第96回選抜高校野球大会は高崎健康福祉大高崎の初優勝で幕 | 週刊テヅカジン

週刊テヅカジン

手束仁が語る、週刊webエッセイ

 今年のセンバツ高校野球、第96回選抜高校野球大会は、目の肥えた玄人時の中では、大会前から「今年の健大高崎は強いよ。ひょっとししたら、頂点もあるかもしれない、それくらいの力はあると思うよ」などと言われていた。大会が終わってみたら、その通りの結果となっていた。高崎健康福祉大高崎という長い校名だが、通称は‟健大高崎"と呼ばれているのだけれども、それもすっかり定着した。そして、2年連続7回目出場となった今大会で、日本一達成という悲願を達成した。

 学校は元々は女子校で母体が群馬女子短期大学でその付属校として1968年に設立されている。群馬女子短大付属時代から女子ソフトボールや陸上競技部などはある程度の実績を出していてスポーツの盛んな学校だった。それが、母体の男女共学化と校名変更に伴って、2001年に現校名となり共学校として再スタートした。翌年には野球同好会が発足したが、前橋商~東北福祉大出身の青栁博文監督が顧問となって、翌年には野球部として活動を始めるようになった。

 ただ、スタート当初はキャンパス内にグラウンドはない状態で、鳥かごのようなゲージ内で打撃練習をしたりしていた。そんな中でも、熱心な指導で実績を上げていき「ベスト8に残ったらグラウンドを造ってもいい」という学校側の条件に対して、努力の成果を示してベスト8進出を達成。これで、キャンパス内に専用グラウンドが出来た。

 スタートした当時は2000年夏に全国制覇を果たしている桐生一の壁も厚くて、なかなか甲子園には届かなかった。それでも2011年夏についに悲願の甲子園出場を実現した。その翌年春にも出場すると、ベスト4まで進出。それからは、県内でも前橋育英と並んで、新しい強豪校として県内では3強としての構図を形成するようになった。

 学校の方針としても、県内外から有望選手を獲得していくということもあって、必ずしも群馬県出身の生徒だけではなく、首都圏の東京や神奈川、あるいは愛知県や近畿地区、遠くは沖縄県の選手もいる。口の悪い人たちからは「県外高崎」などと言うことも言われていたこともあった。それでも「群馬県内では選手たちの数も限られている。私学の方針としても可能な限り広く生徒を受け入れる」という姿勢は揺るがなかった。そんな中で野球に限らずスポーツでの実績を上げてきた健大高崎の、今春の悲願達成だった。

 

 また、センバツの今大会の話題としては元日の能登半島地震のあった石川県から星稜と日本航空石川の2校の選出があり、昨秋の明治神宮大会優勝校でもある星稜はベスト4まで進出。日本航空石川は初戦で敗れはしたものの、甲子園常連校の常総学院と1点を争う接戦で、環境の異なる山梨県の系列校へ移動しての練習ながらも、しっかりとやってきていたんだなということを証明して見せた。

 今の時代は、ネットでの発信もすさまじいので、大会が終わればそれで、いろんな人たちからの意見が配信される。それを見ていることで、心が疲れてしまうこともある。だけど、そんな時代ではあるが、ボクの個人的な気持ちとしては、高校野球の大会が終わると、何となく一つの安ど感があるとともに新しい活力を得られるような気になるのも゜確かだ。そうやってまた、次の世代へつないでいって欲しいとも思っている。