また一人、昭和を代表する歌謡曲の歌い手が亡くなった | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 歌手八代亜紀が亡くなったというニュースが報じられて驚いた。昭和歌謡好きというか、演歌好きでもあるボクにとっては、いくらか衝撃でもあった。

 何枚かCDも持っているし、BSで放映されていた八代亜紀の番組なんかも観ていた。ちょっとハスキーボイスというか、独特の歌声は心地よく歌詞の世界に導いてくれた。

 出世作となった「なみだ恋」は当時、しきりに作られていた歌謡曲映画にもなった。男と女の別れや情念を巧みに表現していてくれる歌手だった。ボク個人としては、その次作となった「しのび恋」も好きだった。♬逢いに行きたい 逢うのがつらい 誰も許さぬこの恋ゆえに…♬ という悠木圭子の歌詞からも、二人のただならぬ関係を伺わせる。2番の♬人の噂はこわくはないが やつれたあなたの 涙がこわい♬ というところに、ただならぬ関係だけれども女のやさしさと思いやりが感じられる。それを巧みに聴かせてくれた。

 今の時代だったら、不倫促進みたいな感じで、バッシングを受けかねない歌詞でもあるのだが、昭和の歌謡曲は、そんな歌詞が多かった。同じ悠木圭子の作詞「おんなの夢」なんかでも♬一度でいいから 人並に あなたの妻と 呼ばれてみたい♬ という歌い出しである。 

 レコード大賞受賞曲である「雨の慕情」はもちろんのこと、大ヒット曲の「舟歌」や「おんな港町」に「愛の執念」「もう一度逢いたい」など、男女の出会いと別れや女の情念を歌い込んでいって印象に残っている歌は枚挙にいとまがない。

 テレビでは歌番組全盛期の1970年代後半から80年代前半にかけて、八代亜紀はその時代を走り抜けていった歌手だった。そして、平成の訪れとともにゆっくりと駆け下りていきながらも、歌番組などではしみじみとした歌を聴かせてくれていた。安心して聞いていられる歌手という点でもナンバーワンだったといっていいだろう。

 享年73歳というのも驚いた。ボクが高校時代から聴いていたので、もっと年上かとも思っていた。ませた高校生のボクにとっては、大人の世界を覗かせてくれて、大いに好奇心と興味を煽ってくれた歌手でもあった。

 1月10日のスポーツ新聞の一面は、すべて八代亜紀の訃報を告げるものであった。それだけ、偉大な歌手であったということであろう。ご冥福をお祈りしたい。