ついつい観入ってしまった小津安二郎作品『東京物語』 | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 先日、NHK―BSの昼の映画で、昭和映画の巨匠と言ってもいい小津安二郎の松竹作品『東京物語』(1953年作品)を放映していたので、ついつい観入ってしまった。どうしても、テレビで放映している映画だと、何かをしながら…みたいなことになってしまうことが多い。だから集中して観ることがあまりないのは確かだ。

 今回も「あっ、『東京物語』やっているな」ということで、チャンネルを合わせてみたのだけれども、松竹の富士山マークがモノクロで出てきてタイトルが出てクレジットという昔の映画のパターンなのだけれども、当初は出演者の確認程度のつもりで観ていた。

 しかし、いつの間にやらストーリーに惹かれてしまって入り込まされていた。かつて、学生時代には毎日のように名画座と言われるような、映画館に通っていたことがあった。リアルタイムでは観ていない古い日本映画を観て勉強しておこうという思いもあったので、もちろん『東京物語』も観ていた。だから、ある程度のストーリーの流れは、観ながら思い起こされていくのだけれども、いつしかのめり込んでいた。

 尾道にいる老夫婦(笠智衆と東山千栄子)が東京で生活している息子や娘たちのところを訪ねていくとうもので、そこで、それぞれの親子関係を垣間見せていくという、話としては他愛ないものなのだ。そんな離れて暮らしている家族の、たまに会った親子なのだけれども、ろくに相手もしないで、親を熱海への旅行に行かせてごまかしていくというようなこともある。

 それぞれが仕事をしていたりするので、忙しくてなかなか相手が出来ないということでの戸惑いなどが描かれている。こういうところも、戦後復興の中で、活動していっていた日本の現実を感じさせてくれる要素でもあった。そうした中で、戦争で亡くなった二男の嫁(これを原節子が、とてもいい感じで演じている)だけが、その老夫婦のことを心から迎えていくという話。

 やがて、尾道に戻ってからしばらくして老婆が亡くなってしまうということで、また、それぞれが集まる。だけど、仕事などがあるということを口実に、葬儀だけが慌ただしく過ぎて帰っていくというもの。そんな、どこの家族にも起こりうる、よくある日常というか、特に大きな出来事が起こるというものではない話だ。取り立てて派手なアクションがあるわけでもなく、どろどろの恋愛劇が展開されることもなく、これからどうなっていくんだろうか…というサスペンス的な要素があるワケでもない。

 だけど、映画としてのテーマとしては、いわゆる中流から、少し上の豊かな家族の存在というものがものの見事に描かれている。

 戦後から復興していく日本が、少しずつ生活が向上していこうとしている時代でもある。そんな日常の風景を描いたと言っていいのであろうか。

 驚くべきこととしては、この時の笠智衆は調べてみたら49歳だったことだ。一方、老婆の東山千栄子は63歳。それでも、今のボクよりは若い。だけど、この2人が見事に老夫婦を演じているのだ。しかも、長男の医者の山村總は笠智衆と7歳しか違わないということだ。

 笠智衆は小津安二郎映画の常連でもあるが、なんとも言えないセリフ回しは、一度作品を観たら忘れられない存在となっていく。その後は山田洋次の『男はつらいよ』シリーズの御前様として多くの人にも親しまれたのだけれども、40代にして、これだけの爺さんを演じていたとは、改めて驚いた。

 なお、この作品は2013年に山田洋次監督で『東京家族』として、リメイクされている。老夫婦には橋爪功と吉行和子、長男夫婦は西村雅彦と夏川結衣で演じられた。巧みに、小津安二郎の世界をなぞりながらも、今の時代に替えて家族のありようを表現していた。