非現実と非日常の世界に浸りつつ、観られた映画『忌怪島』 | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 必ずしも、自分自身としては好きなジャンルではないと思っているのだけれども、ついつい観てしまうのがホラー映画である。ことに、このところこのジャンルでそこそこ面白い作品を提供してくれている清水崇監督の作品は、まあ、観ておきたいなと思ってしまっている。この手の流れで行けば『犬鳴村』『樹海村』『牛首村』に続く4作目ということになる。

 ボクは、映画としての絶対的な基軸として家族というテーマがあると思っているのだけれども、それとは別に映画の面白さというか楽しみ方の一つに非日常体験というか非現実を味わうということもあるとも思っている。そういう意味では、やくざ映画とともに、この手のジャンルの作品はありかなぁとは思う。

 今回の映画🎥『忌怪島』は、南九州の鹿児島沖か沖縄の離島が舞台で、そこに頭脳明晰な若者たちが,いわゆるバーチャルリアリティ(VR)で理想の「新世界」を築いていこうというところからの発想である。そこに、新たにさらに優秀な若いヤツが派遣されてくるのだが、AIなんかで、いろんな世界を作り上げていって、それを再現していくうちに、実は非科学的なことが起きていくということになる。

 進化していくAI技術の世界と言うか、それによって生み出されていくVRの世界なんて言うのは、正直ボクの中では理解しきれない。人間の脳みその中身を解析して、それをVRの世界の中で示されてしまっては、どうなっていくのか、わけわからんしなぁ…。それこそ、オレなんか煩悩だらけで、それを見ることによって自己否定していかないかんくらいのことになってしまうでねぇ…(苦笑)。

 閑話休題、南の離島でそれを開発していくプロジェクトに集まった彼ら彼女らが、その開発していく中で起きていく怪奇現象。それが、この作品のストーリーのキイとなっている。そして、その対極的な位置にある「ゆた」という現実に琉球時代からの沖縄や奄美大島に存在したと言われている霊媒師も絡んでいく。そうした超科学的世界と非科学的世界がシンクロしていくところも面白いと思えた。

 その中でも、新しく赴任してきた頭脳明晰な若いヤツは「人と関わらなくてもいい世界」を築いていきたいという考えでもあった。ということなのだろうけれども、果たしてそれはどうだったのだろうか…という話でもある。

 村八分にされている怪しいジジイの笹野高史以外は、ほとんど顔と名前が一致しない若い俳優ばかりの出演だった作品でもあった。だけど、それだからこそ、変な先入観なしに見られたというところはあったのかもしれないなと、後で思った。

 また、南九州的なリアル感を出すために「~~するワケ❔」という沖縄コトバが頻繁に使われていた。その是非は、結果的にはわからなかったけれども、少なくとも現地感は味合わせる一助にはなっていたのかもしれない。

 こうして観終えた作品だったけれども、予告編で流れていた清水崇の次回作『ミンナのウタ』。やっぱり、観たいなぁと思ってしまった。