2人の祖母が圧倒的存在感を示した映画『母性』 | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 かなり早い段階から予告が流されていたので、ボクとしても自然に刷り込まれていた感もあった映画🎥『母性』(広木隆一監督/堀泉杏脚本)だった。原作者湊かなえをして、「これが書けたら作家をやめてもいい。そう思いながら書いた小説です」ということだが、その原作本もかなりヒットしたという。

 冒頭、女子高生の首つり自殺の遺体が発見されたところからストーリーが始まるのだが、そのことはこの作品の根幹としては、ほんの導入部分ということだった。

 そして、作品としては母親とその娘が5歳の時の雷雨から起きた事故が同じ時間の回想という展開で進んでいく。その回想はそれぞれの立場で違っていて、その真実はわからない。ただ起きた事実は事実として存在している。それは、その時から、幸せかと思われていた母親と娘の生活は一転していったと言うこともあったからだ。

 時間は、やがて娘が高校生になったところまで進んでいく。彼女は、幼少時から、大人に好かれたいという思いで生きてきた。言葉はあまりよくないけれども、大人の顔色をうかがうようなところもある少女だった。そのことを、小さなエピソードで如実に表していく。そんな彼女が成長し、多感な世代の感性がどんどん研ぎ澄まされていく。それが、小さなことでも許せない潔癖なこだわりを持つ女性となっていく。

 生活環境も、5歳の時から一転していってしまっていた。そんな中で、母親は姑との関係で心が疲弊していきながらも頑張ろうとしている。それが娘の思いと食い違っていく。やがて、娘は父親のある真実を知ってしまう。そうしてまた、ストーリーは新たな展開になっていくのだ。

 この、高校生時代の時間が話の核になっていくのだが、それをやがて大人になり教員となった彼女が、やがて自分が母親になっていこうとする中で、生命をつなぐということを考えていくようになる。

 それにしても、映画の中では二人の祖母、母親方のお上品な祖母が大地真央、そして父親方の口の悪い祖母が高畑淳子だったのだが、その存在感は圧倒的だった。ことに、高畑淳子は、田舎にいそうな口の悪い婆さんというところが見事に描かれていた。メイクもそうだけれども、圧倒的に上手いなぁという気がしながら観ていた。

 また、戸田恵梨香と永野芽郁は実際は12~13歳くらいの違いなので、母娘というにはちょっと厳しいのではないかなと思っていたが、戸田恵梨香の老けた感のメイクもあって、その違和感はほとんど感じさせなかった。このあたりも、演出の上手さはあったということではないだろうか。

 ところで、ちょっと気になったので「母性」という言葉を辞書で引いてみた。『辞林21』(三省堂・刊)によると「女性がもっている母親としての本能や性質。また、子を産み育てる機能」とある。さらに「母性愛」という言葉が次にあって「子を守ろうとする母親の本能的な愛情」ということだ。

 ただ、その母性愛を失っている母親も、世の中には存在するようでもある。いずれにしても、映画の柱としてのテーマは"家族"なんだなということを再認識させられた。