映画『異動辞令は音楽隊❢』の示すテーマは何だったのかと言うと | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 予告編段階から気になっていた作品の一つ『異動辞令は音楽隊❢』(内田英治監督・脚本)を観た。オープニングからは、いわゆる刑事もの映画、ハードボイルド調だったけれども、まさに異動辞令が発せられてからは、作品そのものが、それぞれの人物が背負っていく人生の在り方を見つめていくような内容になっていった。

 現場で実績を上げて、犯罪撲滅に命を懸けてきた、30年のベテラン刑事が、異動辞令を受けた先は警察音楽隊だった。異動の理由としては、今の時代のコンプライアンスを重んじる中で、違法すれすれの捜査やパワハラギリギリのところまで部下を追い詰めていくやり方が周囲から疎まれていたということである。内部告発でもあったが、そのやり方は周囲に味方がいなくなってしまったのだ。そんな浮いた存在になっていく主人公が阿部寛。

 彼に下った異動先はあろうことか広報課で警察音楽隊だった。別に、出世に対しての欲があったわけではなかったけれども、現場での自分の立ち位置は欲しかったところだった彼にとって、そのポジションは屈辱的でもあった。

 そんな彼の音楽隊へ異動してからの悪戦苦闘ということになるのだけれども、そこで新しい出会いや発見をしていく。まったく違うポジションで自分の立ち位置を見出していきながら、次へ向かっていくのかなと思わせるストーリーでもある。

 人生は、セカンドポジションや、第二、第三の人生の中で光り輝いていくこともあるのだ。自分の積み重ねてきたキャリアがすべてではないということもあるのだ。だけど、人は、経験で成り立って行くわけで、刑事として30年間やってきた人間にとって、その現場を追われることがどれだけ悔しいか、屈辱的なのかということもしっかりと感じさせてくれる内容になっていた。ただ、その仕事に没頭していくあまりに失っていたものが、見つかっていくこともわかる。

 人には、いろんな形で人生の転換期があるだろう。人生はやってみているうちに新しい発見があるものだということを示してくれる作品でもあった。

 異動先の音楽隊で、最初は気持ちもまったく入っていなかったんだけれど、やがて、そこでドラムを叩くことを任されていきながら少しずつ、その存在意義を見出していく。トランペットを吹く女性の隊員との本音を語りあえたことも、大きく気持ちが動いたこともあった。

 一方で、アポどり強盗の犯人を追い詰めていくというところがあり、まさにその犯人を追っている途中での異動だった。だから未練も悔しさもあったが、それが実は内部からのクレーム告発によるものだったということだ。そんな、組織の窮屈さをも感じさせてくれるのは、昭和~平成~令和という時代の変革の中で生きてきた者としては同意することも多い。そんなことも感じていたけれども、ラスト前のフェスティバルでの彼のアクションはちょっとスカッとさせてくれた要素もあった。

 そして、定期演奏会で終わるラストは、何となく「よかったな」と思わせてくれるシーンでもあった。それとともに、ボク自身は警察や自衛隊に音楽隊がある意味、あるいは大企業がスポーツ選手を抱えていく意味なども思っていた。文化とスポーツは、組織や企業体にとって、どうして存在しているのかということを考えさせてくれた作品でもあったと思う。

 日産自動車の野球部を潰したカルロス・ゴーンがこの作品を見て、そんな思いになってくれるだろうか。まあ、ヤツは観ることもないとは思うけれどもね。