50代以下の人たちにとっては、歌手と言うよりも、俳優としてのイメージの方が強いかもしれない西郷輝彦。かつて、昭和歌謡全盛時代には橋幸夫、舟木一夫と並んで御三家と呼ばれていたスター歌手だったということを何となくでも覚えている人も、ボクと同年代くらいでは少なくないだろうと思う。
多分だけれども、テレビの『どてらい男(ヤツ)』から、歌手と言うよりも俳優としての位置づけが大きくなっていったと思う。最後は、2019年のドラマ『ノーサイド・ゲーム』でのラグビーを愛する社長役だったという。晩年は、そんな役どころも多かったように思う。
だけど、ボクなんかは、それ以前に1964年12月に「君だけを」(水島哲・作詞/北原じゅん・作曲)でデビューした青春歌謡の歌手というイメージが大きい。歌手西郷輝彦の代表作としては、1966年の「星のフラメンコ」(浜口庫之助・作詞作曲)が有名だけれども、個人的には、西郷輝彦の歌としてはデビュー2曲目となる「チャペルに続く白い道」(水島哲・作詞/北原じゅん・作曲)が、最も好きだ。「ネムの並木のこの道は チャペルに続く白い道 野原を越えて鐘の音は 雲の彼方に消えてゆく……」というものだけれども、青春歌謡の王道と言ってもいいのではないかとも思っている。まあ、どうでもいいことかもしれないけれども、ボク自身としてもカラオケでは「君だけを」とともに「チャペルに続く白い道」は、比較的歌いたいなぁと思ってしまう曲の一つでもある。他には、「兄妹の星」(米山正夫・作詞作曲)や、ちょっと寂しい失恋曲の「月のしずく」(銀川晶子・作詞/五代けん・作曲)なども好きな曲だったなぁと思いだす。
当時の歌謡界としては、そこから御三家として売り出されていくのだけれども、女性の三人娘に対しての御三家だったということであろうか。
そして、その後の歌謡界の歴史を辿っていくと、男性アイドルも久しく3人セットで売り出していくというスタイルが増えていったのではないだろうか。その後に西城秀樹と野口五郎、郷ひろみが新御三家として売り出されていく。それを巧みに利用していったのが、ジャニーズで、その後もたのきんトリオ~少年隊~シブがき隊などを輩出していっている。また、テレビでも萩原欽一の番組でも「わらべ」と並んで「よい子、悪い子、フツーの子」などと、3人セットで売り出していくというパターンが結構あった。
閑話休題、西郷輝彦が亡くなったことで、ボクなんかは、また一つ昭和の芸能文化が遠ざかってしまったんなぁという気持ちは大きくなってしまった。
直接的にはもちろん、今のボクの生活に何かがどうかして影響を与えるというものではない。だけれども、大切に保存していたものが壊れてしまったような、大切にしていたはずのモノを失くしてしまったかのような、そんな寂しさを感じてしまったのは確かだ。
こうした訃報の度に思うことではあるのだけれども、時代は流れていくのだということもしみじみと感じている。合掌。

