若者たちはいつの時代も、何かに怒り、反抗し体制に不満を抱きつつも、迷いながら悩んでいく。今の時代を描いた映画『真夜中乙女戦争』(二宮健監督・脚本)もそうだった。神戸の高校から、東京の大学に入学して上京してきた主人公も、大学の授業にさほど希望も夢も抱けないままだった。その日々の生活に対しても、新生活へ向けての活力やエネルギーがあるのかと言うとそうでもない中でいたずらに時間が過ぎていく。
そんな彼が、あるサークルに入ったことで、そこで出逢ったセンパイ女子(池田イレイザ)やキャンパスに現れた謎の黒服(柄本佑)を通じて、何かを模索して悩んでいく姿を描く。それは、あたかも1960年代に吹き荒れた、松竹ヌーベルバーグのようなトーンを感じさせるものでもあったのは興味深かった。「体制に不満を抱き、それを崩したいと思いながらも、やがてその体制の中に入っていかなければいけない現実を知り、気がついたら体制に飲み込まれていく」それもまた若者が成長していく過程の一つでもあり、大人になっていくプロセスであるのかもしれない。
いや、それは成長ではなくて大衆への迎合であり、社会への同化に過ぎないという人もいるかもしれない。そして、それは進歩や成長ではなく、精神の退化、劣化なのだと声を大にする人もいるかもしれない。だけど、多くの人間はそうやっていきながらも、自分なりの幸せを求めて何かに向かって生きていくことを見出していくのである。
最近見た映画では、やや異なる切り口ではあるかもしれないけれども、『明け方の若者たち』(松本花奈監督/北村匠海主演)、『花束のような恋をして』(土井弘泰監督/菅田将暉、有村架純主演)、『あの頃。』(今泉力哉監督/松坂桃李主演)なども、最終的な帰着点は同じところなのかもしれないなとも思っている。
そしてまた、こうした若者の戸惑いや混乱を見るにつけ、知多半島の田舎からやって来てボク自身の、もう45年以上も前の状況も少し思い出すようになっている。取り立てて知り合いがいるワケでもない中で、ボク自身も、大学に入学して一カ月くらいは、まさに大都会の中で、ポツンとして大衆の中の孤独を感じていた。
そして、ボク自身は故郷の愛知県を離れて東京という大都会の中に着地して、小さな点であり続けながらも、既に人生の3分の2以上もこちらで過ごしている。そして、おそらく今後もそうなるだろう。と思う一方で、年齢とともに愛知県が故郷が愛おしい存在にもなっている。そんな自分をボクは少し愛おしくも思っている。
おっと、映画の本筋と外れて行ってしまったけれども、果たして、この作品では彼らは、一体何と戦ってていたのだろうか。世の中の体制に反発して戦っていたのだろうか、今の自分に歯がゆくて戦っていたのだろうか。最後、果たして東京は大代崩壊したのかどうか、そしてセンパイはどうなったのか、はたまた主人公の私と黒服はどうなったのか…。その後は、観ている我々が想像して判断していくしかないのだろうけれども、テーマとしておかれていた「愛」は決して世界を救えてはいなかったということだけは確かだ。それはそうだ、愛では世界は救えない。だけど、ただ一人の大事な人は救うことが出来るのかもしれない…。それが「愛」なのではないだろうか。
還暦越えのオヤジとしては、そんな結論でどうだろうかと思っている。


