我々はどういう思いで映画を観ているのだろうか | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 このところ、年間通じて60~70本くらいの作品を映画館で観ていると思う。おおよそ、月5~6本とみなして計算すると、そんな数字になる。これは、還暦越えのオヤジで料金が安くなっているとはいえ、この年齢では(この年齢でなくてもか…笑)多い方ではないかと思っている。

 ボクの場合、基本的には邦画がほとんど。それは、やはりそこに何かを求めているからだと言えようか。ボクが学生時代くらいの名画座華やかなりし頃は、やくざ映画中心の新宿昭和館や浅草新劇場、上板橋東映にロマンポルノ中心の三軒茶屋中央などにもよく足を運んでいた。

 そういう作品に触れる時は、リアルタイムで見ていなかった作品に触れながら、時代を学ぶということもあった。ことに、東宝のサラリーマン映画や松竹の家庭映画なんかはそんなところもあったかもしれない。しかし、基本はやはり、アクション映画、任侠映画、実録映画などは、非日常のスクリーン世界にカタルシス(精神浄化)を求めていく場合と、何かしらの自分なりの美学やエンターテインメント性を見出していこうというところもあった。

 また、喜劇作品というのも、単純にその世界の中に入り込んでその時間だけでも、日常から逃避するというところもあるだろう。そして、大正~昭和の近代文学が原作となっている文芸作品の場合は、やはりその文学性に触れてみたいというささやかな知的好奇心もあるのも確かだ。そして、なによりそういう文芸作品では、多くの場合、昭和の大女優たちが出演しており、その姿をスクリーンで眺めるのも楽しみの一つと言ってもいいであろう。その心は、そのままロマンポルノ作品や、文芸エロスと言われた作品群に触れる時も同じともいえる。

 そして、昭和30年代~40年代の映画の場合、特に日活アクションや東映任侠作品であれば、主題歌や挿入歌を味わえるということも楽しみだ。ことに、日活アクション末期の渡哲也主演の「人斬り五郎シリーズ」などは、主題歌のレコードが発禁になってしまったという背景もあり、テレビでの放映もされない。だからこれは、まさにスクリーンでしか味わえない世界だとも言えるものだ。

 それとは別なんだけれども、石原裕次郎がメインとなって築いたムードアクション映画なんていうのも、独特の世界を味わえるものだった。そういえば、『男の紋章』シリーズのような、日活任侠路線というのも、それはそれで面白かったかなぁ。

 今のボクは、それこそかなりランダムに、封切作品に関しては、どこかで興味を惹かれる部分があったら積極的に足を運ぶようにしている。ことに、今の作品は原作がコミックだったりということも多く、その原作を知らないボクにとっては、却ってフレッシュだということもある。それに、若い俳優陣の顔が、そんなにわかっていないのだけれども、その分、むしろ先入観なく、スクリーンの世界に入っていかれるというところもある。

 こうして、ある程度の歳になればなったで、それなりの楽しみ方をしている。そういう意味では、映画を観るということは、野球観戦と同じで、不自由なく動ける間は継続できる楽しみと言ってもいいであろう。

 今年のラインアップも、これから先、ちょと楽しみな作品が控えているのが嬉しい。