アナログオヤジの変換ミスについての長い言い訳 | 週刊テヅカジン

週刊テヅカジン

手束仁が語る、週刊webエッセイ

 自分の文章を後で読んでみて、「えっ?!」と赤面させられることが何度かある。

 モノカキなんていうのは。元々自分の文章にはそれなりに自分のポリシーやこだわりは持っているモノである。だけど、時間とともに表現技法や言葉の選択も変化が生じてくるものである。だから、若い頃の自分の文章なんかを読み直してみて、「何言っとるんだコイツ」なんて、恥ずかしかったり、腹が立つことはままあることだ。

 だけど、今のこうした手軽なSNS配信や、このブログのような形でメッセージ等を配信していると、そうではないことで赤面することがある。というのもあれよあれよホイホイと、自分の言葉で「とりあえず何か言っとけ」みたいな発想で配信していることがあるからだ。そういう時は、気持ちのどこかに、「早く発信したい」という思いもあるのも確かだ。だから、ついつい慌てて送ってしまうことがある。

 そして、とりあえずは送信しといて、気持ちとしてはひと段落。

 ところが、後でちょっと読み直してみると、ガックリくることもある。「おいおい、変換ミスかよ」というのと、「あれっ? なんでこんな字になっとるんだ」という事態が見つかった時だ。それは、一にも二にも、自分の校正不足だったりもするのだけれども、何だかもどかしい。もっとも、一旦世間に流出してもすぐに修正の効くものもある。だから、その際は、こっそりと修正してしれっとしていればいいのだけれども、印刷物などはそうはいかないものでもある。

 というのも、このパソコンというヤツは、90年代のワープロ時代からボクとしては思っていたのだけれども、ボクの思い以上に勝手に言葉を先読みしてきやがる。「文字変換」という技術が本来の文章表現へのこだわり以上に手間なんじゃないかと思わせるのだ。

 そもそも、日本語には同音異義語というのが非常に多い。そして、PCというヤツは、そんな同音異義語を前後の文脈を読み取ることなく変換していくから、おかしなことになる。「こうえん」という音だけでも、公園、講演、後援、好演、公演などいっぱいある。それらの言葉の使用頻度も比較的多いと、こっちの意図とは別に、勝手に予測変換ということをしてくるから厄介なのだ。

 そして、それに気がつけばいいけれども、気がつかなかったらそのまま走って行ってしまう。まして、オレなんざぁ、カナ入力だから、ローマ字入力よりも変換ミスは多く発生するようだ(ということを、ある人間に言われたことがある)。それも、ローマ字入力のヤツでは予想だにしない変換ミスも生じてくる。一番多いのが、濁音の押し間違いで「で」としたいところが「てせ」になっていたり「手背」になっていたりする。「そうなんだが」というところを「そうなんたせかせ」になったり、もっとひどいと「遭難多勢かせ」になっていたりする。そうなると、その時に何と書きたかったのかすらわからなくなってしまう。そういうわからんさと言うのは、手書きの場合はまず生じないミスである。

 たいていの場合は、そうした変換ミスは、配信前に見つけて、修正するのだけれども、必ずしもそうではない時もある。ついつい慌てて配信してしまったり、急いで送りたいという思いから、確認しないで、打ち終わりました~送信ボタンをボチッ…としてしまって変換ミスに気付かず行ってしまうというケースもなきにしもあらずですね。

 固有名詞や情緒的な表現を用いたいなという場合なんかは、必要以上に意識しているのだけれども、そうではないヒラの文章の場合に生じやすいミスでもあるんだわね。

 などと、変換ミスの多い、アナログ系オヤジとして、長い言い訳をさせて貰いました(この中にも、気がつかず、変換ミスがあったりして)。