愛知県知多半島の南知多でロケが行われたという『はるヲうるひと』 | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 知多半島と伊勢湾を挟んで向かい合う三重県の志摩市。その一角に渡鹿野島と言われるところがある。知る人ぞ知る自由恋愛の出来る島というところである。自由恋愛というのは、言葉をオブラートで包んでいるのだけれども、早い話が売春島として昭和の一時期から栄えていたところである。この映画『はるヲうるひと』はそんな渡鹿野島を一つのイメージとしてモデルとしているのではないかと思われる作品だ。俳優の佐藤二朗が企画監督したのだが、主宰する演劇ユニット「ちからわざ」で、何度も上演されていた題材の映画化でもあるという。

 渡鹿野島自体は、かの安倍晋三の伊勢志摩サミットを機に、そんな島の機能は一掃されてしまったということだ。ボクは行ったことがないのでその実態はわからない。もっとも、実は愛知県にもその渡鹿野島に似たような役割を果たしていた温泉街が衣浦温泉に存在していたとも言われている。作品では、そこに原発問題なんかも織り交ぜて、地域住民がどのようにして地場で生きていくのかということも描いている。

 愛知県出身の佐藤二朗はそんなこともヒントとしていたのではないかとも推測している。

 佐藤二朗監督は愛知県春日井市出身で東郷高校から信州大学へ進んでいる。卒業後は一般企業に勤めながら演劇活動もしていたという。役者としては、主演でも助演でも、独特の存在感を示す役者である。ボクは、福田雄一監督のコメディ映画なんかでの佐藤二朗がとても好きだ。何とも言えないセリフ回しと存在感は、他の誰にも出せない味わいがある。

 この作品では、置き屋を仕切る兄貴という役どころで、義理の弟と妹を脅したり叱りつけたりしていくのだけれども、そこにも佐藤二朗節は十分に発揮されていた。硬派としての佐藤二朗も悪くはない。

 この作品は、コメディ調のモノではなく、かなりシリアスに島の置き屋という閉鎖された世界が舞台だ。そこで息づく女たちの生態を描きながら、それを取り巻く人たちの葛藤が描かれていく。「愛のないセックス」をいかに仕事として処理していくのかというのが置き屋の女たちの日々なのだけれども、そんな肉体行使の仕事と人間同士の生臭い接触がある世界の中で、いろんな思惑や生きるための駆け引きなんかが描かれていく。

 そして、置き屋を仕切っている兄の佐藤二朗と義理の弟の山田孝之との「親」を思う心の葛藤は一つの見どころにもなっている。ラスト前でわかるのだけれども、妾と心中したと思っていた自分の親父の死は実はそうではなくて…というどんでん返しは見どころでもある。さらに言えば、その事実を弟は知っていたというところがこの作品の一つのキモにもなっていたのではないだろうか、という気もするのだ。

 宣材チラシにも、多くの称賛や評価の意見が述べられているけれども、佐藤二朗の原作・脚本・監督ということで彼自身の人間観察の中で表現したいことを出し切ったと言ってもいい作品かもしれない。

 最後は破滅的でもなく、前途洋々でもなく、こうしてまたいつものように日常が過ぎていくのだろうなと思わせてくれる味わい。そう、多くの人は面白いとか面白くないとか、そんなことも内在しながら、いつもの日常をいつものように過ごしていくのである。特に、田舎というところではそんな要素がより大きいということは否定できない事実だ。

 それに、知多半島育ちのボクとしては、この作品が全編南知多町でロケだったということにも非常に興味があった。冒頭のタコから始まって、南知多らしい味わいもいくつかあったのかなぁとも思った。それに最後に上がってくるクレジットの協力団体が何となく嬉しくもあった。