のんびりと、そしてしみじみと『古賀メロディ 永遠の名曲集』を聴いていたのだけれど、19曲目の「柔」で、思わず「う~む…」と考え込んでしまった。
「柔」は東京オリンピックで初めて柔道が五輪競技種目になったということもあって、その年の11月に美空ひばりの歌唱で発売された曲だ。
東京オリンピックでは柔道競技は無差別級では神永昭夫がオランダのヘーシンクに金メダルを持っていかれたものの、重量級の猪熊功はじめ、他の階級では金メダルを獲得した。これで柔道がさらに注目されたことは確かだ。日本で発祥した柔道が五輪種目になったということで、国際的地位にもなったという理解で、より柔道への関心も高まったという。
そんな時代の中で、「柔」はヒットし、11月発売だったということもあって、レコード大賞の選考では翌年曲扱いになったが、ロングヒットとなった。翌1965(昭和40)年のレコード大賞受賞曲となっている。
ところで、どうして「う~む…」となってしまったのかというと、三番の歌詞である。
「口で言うより 手の方が早い 馬鹿を相手の 時じゃない 行くも住まるも 坐るも臥すも」
この歌詞をどう理解するかということである。
「言ってもわからんヤツには、説得するよりも先に、殴り倒してでも、相手にわからせないといかん」という理解であれば、今の時代だったら、完全にアウトということになる。
関沢新一の歌詞の流れからすると、一番では「勝つと思うな 思えば負けよ」というところで、柔道の精神を述べている。そして、二番では柔道精神というよりも、柔道家としての個人のあり方を示している。だから、「人は人なり のぞみもあるが」ということを言って、最後に「恋の涙を 噛みしめる」こともするのだということであろうか。
そして、柔道家として指導者の立場となって、言うこと聞かんヤツは張り倒したれ❕ ということになってしまうのだろうか…。
しかし、今の時代に考え方を変えてみると、「理論的な指導をしないで、いきなり殴ってきて教えようとする、そんな指導者や師匠だったら、そんな人と関わっている必要はない」ということで、「柔一筋」というところは、「すべては自分がすべてなのだ」という信念を貫いていれば、やがて夜が明けて新しい時代も来るのだ、ということを諭しているのではないかという理解もある。
そうであれば、この歌詞はまったく、今の時代を反映しているということがいえようか。時代の流れの中で、歌謡曲の歌詞の吟味も多様化していく。


