自転車は、どこかに青春の香りがして、ちょっと嬉しくて懐かしい | (株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

(株)ジャスト・プランニングも、何だかんだで15年目を突破した

ついこの間始めたばかりだと思っていたこの会社も、干支で言うとひと回りを越えて、15年目に突入してしまった。その間には、コロナ禍や事務所の引っ越しも含めていろいろなこともあったかな。そんなことを思うと、まあ、よくここまで持っているかなというところだろうか。

 中学時代の3年間は自転車通学だった。

 ほとんどの人がそうだと思うけれども、小学校は徒歩通学だった。だから、自転車通学になったのは中学生になった証みたいで、やっぱり嬉しかったかなぁと思う。当時は、小学校6年生になって、ちょうど今くらいの時期だと思うけれども、親にねだって自転車を買ってもらうというのが高度成長時代の田舎の小学生のパターンだった。

 その頃は、5段変速だとか、フラッシャー(方向指示機)付きだとか、そんなのが持てはやされていた。それを生意気なガキどもが競い合って親にねだっていたんだけれども、どういう理由かはわからんけれども、確か、中学では3段変速までしか許されていなかったと思う。

 だから、最初に5段変速を買ってもらったら、小学校時代には5段変速で乗って、3月になって自転車屋へもっていって3段変速にしてもらうというようなことをしていた。他にもいろいろ条件があって、ドロップハンドルはNG。セミドロップなんていうのもあったけれども、確かそれもダメだったような気がする。さらには、荷台の幅は大きくなくてはいけないだとか、カバンをしっかりと固定して乗れということで、カバンを前かごに入れることは禁止されていたような気がする。

 ボクの通っていた知多中学は、当時、交通安全優良校ということで全国か愛知県か忘れたけれども表彰されたという実績があった。その証として交通安全バッジをつけているというのが知多中生の誇りでもあるというようなことを、入学早々に教員から教え込まれた。

 

 当時、学級委員や代議員なんかをやっていて、今のオレだけを知る人間からは信じられんだろうけれども、絵に描いたようによい子をやっていた。だから、そういう身としては、教員の教えをとてもまじめに守っていた。ただ、やんちゃ盛りの田舎の中学生ボウズでもあるから、必ずそうした約束を守らんヤツがおった。

 かといって、そういうヤツをチクったり、注意したりすることはしない。そんな正義感は持ち合わせていなかった。それよりもむしろ、「本当は、オレも、ちょっと型崩しに乗ってみたいなぁ」と思っていたくらいだった。だけど、形上はよい子だから、そういう違反は出来ないで、そんなことでちょっと悶々としていたのかなぁという記憶がある。

 雨の日も、雨合羽を着て、自転車をこいで、今思えば3キロちょっとの距離だったと思うけれども、通っていた。ただ、学校が丘の上にあったことで、最後は坂道を登りきって到着というのは、ちょっと堪えたかなぁ。

 そういえば、下校時は下り坂は自転車を押していけという指示もあったような気がする。だけど、土日に練習試合なんかに来ていた八幡中や鬼崎中、常滑中の連中は荷台にバットを括りつけたりしてスイスイと乗っていっていた。だから、自分たちも見えないところでそうやって帰っていっていたような気がする。

 いずれにしても、自転車っていうのは、田舎の中学生ボウズにとっては、そんないろんな思いが交錯しているのだ。

 大島小松川公園の荒川沿いの道を自転車で軽快に走りまくっている人たちを眺めながら、ふと、そんなことを思い出していた。