青春映画のヒロインは自転車に乗って現われるのがいい | 週刊テヅカジン

週刊テヅカジン

手束仁が語る、週刊webエッセイ

 今や、映画界ではマドンナ不在というかヒロイン不在の時代であるという。かつては、代表作品とともに、マドンナというかヒロインというか、ステキな女性の登場があった。やはり、女優というのは特別な存在であったのだ。と言うか、特別な存在であってほしいと思う。だからこそ、女優でありえるのだから…。

 つまり、我々下々の庶民にとっては、ちょっと手が届きそうにない存在であることに意味があった。存在価値もそういうところにあったのではないかと思う。

 とはいうものの、庶民的な映画の場合は、ヒロインは自転車で登場するというバターンも定番といってもいいものだった。そこには女優という存在に対しての神秘性に対して、自転車という道具を介することによって、それがグッと我々の位置におりてきてくれるという妙味があったとも言えよう。ことに、青春映画のヒロインなどは、やはり自転車だ。

 もっとも、銀座のホステスやマダムが自転車で登場してきたら興ざめだけれども…。『黒革の手帖』のヒロインが自転車なんかで現れたらやはり興ざめである。

「青い山脈」は自転車があってこその青春映画 

 しかし、青春映画や学園映画のヒロインは、自転車で登場するからこそいいのだ。思えば、名作『二十四の瞳』の大石先生(初代作は高峰秀子が演じた)が自転車で登場していた。舞台も小豆島でもあり、特にあの時代には、自転車が大事な交通機関というか足であるということもまた確かなことである。

 そして、石坂洋次郎の大傑作で、何度も映画化されている『青い山脈』のヒロインも歴代自転車に乗って現われている。というよりも、『青い山脈』では生徒たちが自転車で走るシーンも多くて、そこにまた青春の匂いを感じさせてくれていたということもある。ことに当時としては、それぞれの時代の中で、生徒たちが自転車で走っていく光景が青春の爽やかさも描き出していたのではないだろうかとも思える。何度かリメイクされている作品ではあるけれども、杉葉子も雪村いずみも吉永小百合も、やっぱり自転車が似合ったのだ。

武田鉄矢と沢口靖子が並んで移っている写真の背景に自転車が写っている

 

 そして、少し進んで東宝シンデレラとして登場した沢口靖子も、実はデビュー作の『刑事物語2・潮騒の詩』では、自転車に乗ってカンフー刑事の武田鉄矢の前に現れているのだ。その時の沢口靖子の爽やかさはさは、何だかたまらないくらいに新鮮だったという記憶がある。

「こんな子と一緒におったら、いいなぁ」

 当時まだ20代だっボクにとって、素直にそういう思いにさせてくれるくらいの衝撃だったと言って過言ではないくらいだった。それが、自転車での登場でなかったら、案外そこまでの思いにはなっていなかったんじゃないかなという気もしている。そういう意味で、青春のマドンナの演出小道具としても自転車の存在はとても大きいのではないかという気がするのだけれども。どうだろうか…。

 そういえば、確か『翔んだカップル』(相米慎二・監督作品)の薬師丸ひろ子も自転車で登場していたのではなかったっけ。

まあ、駅の自転車置き場にある自転車なんてのは色気もそっけもないんだけれどもね。

だけど、その昔、学校の現場では自転車置き場は下駄箱と並んで秘密のレターが届いていたりすることもある、そんなトキメキの場でもあった時代もあったのですがね。