寺島しのぶのフツーのお母さんぶりは悪くなかった『さくら』だったけれども | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 ちょっと気になる映画でもあった『さくら』(矢崎仁司・監督作品/西加奈子・原作)を見てきた。「さくら」とは、その家で飼っているワンコ(柴犬系の雑種?)の名前なんだけれども、大雑把な印象としては、その存在と、そのワンコを飼っている長谷川家とのかかわり方の重度がもう一つ伝わらなかったような気もしていた。

 内容的には家族というのがテーマになっているのだけれども、「ありふれた家族のきれいごとじゃない物語」というのがキャッチだ。野球の選手で多分エースで四番という設定なんだろうと思われる学校のスターだった兄が事故で半身不随となり、そのことを苦にやがて正月を前に自死する。

 その兄を慕っていた弟の回想(独白)がメインで展開されていく。さらには、その妹の上の兄への憧憬が、やがて恋愛感情にも似たような思いを抱いていくということも話のキイにもなっていく。

 食卓シーンも多かったのだけれども、家族が食卓で子どもが小さい頃から性教育的な話も話題にしていて、食卓に「セックス」という言葉も交わされていく。そうしたことが普通なのかどうなのかはわからないけれども、そうした話をする母親の寺島しのぶの佇まいは、自然っぽくって、「どこにでもいそうなお母さん」という雰囲気は十分だった。

 ただ、作品的にはボクとしては、何となく落ち着かない雰囲気で終始していたのはどうしてだろうか。何がどうしてなのかというのは、説明が難しいんだけれども、妹の卒業式は中学だったのか高校だったのか? 高校だったとしたら、次男とは年子ということになるのかなぁとか…。

 そこと、愛犬「さくら」の絡みというか、影響はどうなんだろうかとか…ということも、ちょっと気になった。

 さくらが家族の絆の一つになっているということは、ラスト前の大みそかに、さくらの体調が悪くなって、それを父親の永瀬正敏が獣医を探して奔走するというところで示される。ただ、そのさくら要因が便秘だったということでの体調回復は、ちょっとした落ちなのだろうか。これは、『尼崎のちっちゃいおっさん』の愛犬八木の状況と同じやないかと思ったりもして、「それだったら『ちっちゃいおっさん』の方が面白かったなぁ」なんてことを思いながら見ていた。

 十代の青春真っただ中の三きょうだいがストーリーのメインなので、そんな自分がとうに失ってしまっていた十代の揺れる心にも浸ってみたいかなっていう気持ちもあった。とはいうものの、十代の瑞々しさを感じさせてくれたのかというと、そんな感じでもなかった。

 ストーリーの時代背景としては、オリックス時代のイチローのポスターが貼ってあるところを見ると1990年代半ばくらいと思われる。だから、兄ちゃんと彼女とのやり取りが手紙という手段しかないというところも納得は行くところだではあるのだが…。男女の心のやり取りが手紙という最後の時代なのかもしれない。

 寺嶋しのぶのどこにでもいそうな、一生懸命なお母さんという作品での存在感は印象的だった。高校野球なんかの保護者席なんかにも、こんな感じの母ちゃんの姿、よく見かけるよなぁなんて思っていた。