日本の継承文化の一つとしての相撲について改めて考えてみる | 週刊テヅカジン

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手束仁が語る、週刊webエッセイ

 先日、大相撲十一月場所が大関貴景勝の優勝で幕を閉じた。本来は九州場所と言われている場所なのだが、今年は新型コロナの影響で九州への遠征がままならず東京国技館での開催となったので十一月場所という呼び方となった。

 相撲は、日本の国技として200年以上の歴史を有している。スポーツとしての要素と、日本の伝統文化としての要素との両面がある。

 大関貴景勝が優勝したことで、初場所となる来場所は、綱取り場所にもなりそうだ。

国技館前の、幟は当然ながら場所の雰囲気を盛り上げる
 いわゆるプロの相撲としての大相撲は現在、1年に六場所が番付に直接影響する本場所として奇数月に開催されている。他に偶数月には巡業も行われる。年間の取組数が多くなっているだけに、記録も更新されやすくなっているが、歴史を紐解ければ、時代の中で生まれた記録もある。
 不世出の大横綱と言われた双葉山定次、大鵬幸喜が残した個人の記録は、昭和という時代の中でもそれぞれに輝いている。

 現在の大相撲はモンゴルはじめ、海外出身の力士も多くなってきた。グローバル時代というビジョンからすれば、こうした相撲の国際化(?)ということも意味があろう。異郷の地の出身者が、日本の継承文化としての相撲を体感しながら、その世界で身を立て名をを上げていくというスタイルは決して否定するものではないと思う。

大関候補一番手だった期待の御嶽海も、このところやや足踏み気味だ
 とはいえ、そもそも力士は神の使者としての役割を担って、土俵という神聖な場に姿を現したものとされていた。その最高位が大関であり、横綱はそれを越える存在である。だからこそ歴代横綱は価値と意味がある。そういう相撲への認識は、やはり伝えていかなくてはならない文化的要素と言ってもいい。

 だから、本場所でも様々な神事が行われているのだ。それら一つひとつの所作も含めて意味があるのだと思う。
 そんな中での横綱なのだから、ただ強いというだけではいけないし、勝つということだけが使命ではない。ただ、ここのところその横綱そのものが土俵で相撲を取っていないというのが現実である。そのことは、やっぱりちょっと忌々しきことではある。

触れ太鼓が叩かれる国技館前の櫓
 また、大相撲は出身地との関わりも強い。そのあたりも、記録と記憶として捉えていく必要がある。加えて、近年は学生相撲出身者や外国人力士も多く存在している。したがって、大相撲では場内アナウンスでは出身地もさることながら、出身校なども言って行って欲しいなとも思っているのだ。

 大相撲の力士としてのさまざまな所作と、アマチュア相撲での動作もいくらか異なるところもある。アマ相撲では行事はいなくて、蝶ネクタイをした審判(主審)が取り組みを裁く。ボクなんかは、そのきりっとした佇まいもまた、悪いものではないと思っている。

 追伸 個人的には十両復帰した宇良が勝ち越して、来場所は星によっては幕内復帰も果たせるのではないかという期待が高まってきている。

宇良(鳥羽→関西学院大→木瀬部屋)。

近くの治療院へ向かう途中だった。