もう、すっかり意識の上では欠落してしまっているかもしれないけれども、本当は10月10日は「体育の日」ということで固定されていた。だから、この日に運動会を行う学校なんかも多かったはずだ。これは、今から遡ること56年、1964(昭和39)年の10月10日に第18回オリンピック競技東京大会が開幕し、その開会式が行われた日だったからだ。
どうして、この日に設定されたのかというと、当時の気象科学などの人たちがいろいろ研究した結果として、10月10日が極めて晴れの確率が高いということで、この日が設定されたと聞いている。
それにボクとしては、「1010」というのも、何だか、ちょっと幾何学的でいいんじゃないかなぁなんて思っている。
いずれにしても、そういうことでこの日が開会式となって、予定通り、素晴らしい晴れになった。
当時のボクは東京にいなくて、愛知県の知多半島の当時知多町(現知多市)新舞子にいた。だから、さすがにブルーインパルスの五輪飛行は知らんのだけれどもね。
東京オリンピックのポスターと、映画『東京オリンピック』(市川崑・監督作品)のパンフレット
東京オリンピックは、その後の日本のスポーツ普及に大きな影響を与えたことは確かだったと思う。当時は小学校低学年のボクだったけれども、覚えたての文字で、金メダリストの名前を書いたりもしていた。
水泳のドン・ショランダー、マイク・バートンなんかは、人類ではないようにも思っていたのかもしれない。重量挙げのジャボチンスキー、陸上100mのボブ・ヘイズ、10000mのミルズ。1500mのピーター・スネル、棒高跳びのフレッド・ハンセンとラインハルト。確か5m10をめぐっての争いだった。そして女子砲丸投げのタマラ・ブレス、800mのパッカー夫人、女子体操のチャフラフスカとラチニナ。女子バレーのリスカルなんていう選手もいた。
そしてもちろんマラソンのアベベ・ビキラと日本国民にとって最大のヒール役となってしまったイギリスのヒートリーも覚えている。そんなカタカナ文字にときめいていた。
国名としてもコートジボアールとかエチオピアとかトリニダードトバコだとか…。どこにあるんだか、何がメインなのかわからん国だけれども、妙にときめいていた。そんな思いを感じさせてくれたのがオリンピックだった。
1964年の東京オリンピックは子ども心に、ときめきまくっていた
そして、今年56年ぶりに、日本にオリンピックがやってくるはずだった。ところが、新型コロナウイルス感染防止のために中止。もっとも、今回のオリンピック誘致は、決まったまではよかったかもしれんが、いろんなことでいろいろありすぎた。そもそも、主催すべき首都東京の首長が、決まった時からいずれも不祥事みたいな形で二人も替わってしまって…、そこからおかしい。さらには、国立競技場の予算の問題もあった。そして、日程問題。東京オリンピックなのに、いつの間にやらそのハイライトとも言うべきマラソンが札幌で行われることになってしまったり…。
そんなこんなしているうちに、誰のための何のためのオリンピックなのか、わからんようになってきた。
オリンピックチケットの入手の難しさとあまりにもの高額ぶりにも呆れる。
いつの間にやら利権と商業主義だけが先行しているような気がしてならない。子どもたちも、ボクたちの世代が味わったようなオリンピックへのワクワク感やときめきは感じられなくなっちゃっているのではないだろうか。
映画『東京オリンピック』の告知ニュース宣材
成熟しきった世の中で、オリンピックのようなトータルスポーツイベントそのものが本当に必要なのだろうかと、そんなことを、ふと思ってしまった。
「オリンピックの顔と顔、それれちょんと、ちちよちょんと、ちょちょんとなぁ~~」
そんなふうに歌ってはしゃいでいた時代が懐かしいような、よかったような…。


