最近というか、かなり以前からの傾向ではあるが、「……的には」という言葉遣いが気になっていた。
「私的には、好きくない」なんていう表現をする女子なんかも、「なんじゃそれは」と言いたくなるところだ(# ゚Д゚)。
私的とは、私ではなくて、私らしいもの…ということでしょう?
ボクなんかも、「手束さん的には、どう思われますか?」なんて聞かれることがある。
その時は、「えっ?」と思いながらも、「オレとしてはねぇ……」と意見は述べるが、それは「オレ的」なものではなく、あくまでオレそのものの意見なのである。
♬オレは河原の枯れすすき 同じオマエも枯れすすき 🎶どうせ二人はこの世では 花の咲かない枯れすすき
屁理屈ではないけれども、「オレ的」な意見だとすると、「オレではなくて、オレのようなもの」としての意見ということになる。
実は形態模写や、物真似歌唱という芸があるが、それこそが「……的」な者を表すことによって楽しませているということである。
ただ、最近の言葉としては、「ワタシ的には、こう思います」なんていう言い方がある。つまり、「ワタシではないけれども、ワタシのような人がこういうことを言っている」ということになる。
そこで、ちょっと気になったので国語辞典で引いてみた。
てき{的}(名詞につけて連体修飾語とし、また形容動詞後感をつくる)そのような性質・傾向をもつことを表す。……のような。(「角川国語辞典」より)とある。つまり、「男性的」というと「男性のような性質、男性のような」ということになる。ということは、男性ではないということである。
そう言えば、かつて『の・ようなもの』という映画があった。1981年の森田芳光監督作品だ。
まだ二ツ目の若手落語家が、なぜかモテて落研の女子高生(麻生エリカ)と、お気に入りのインテリのソープ嬢(当時は、トルコ嬢と言っていた)の秋吉久美子と二股掛けながら、仲良くなりつつも、結局どっちにもどうもならず、落語でも真打にはなかなかなれず…というような話だったと思う。ちょっとした小じゃれた笑いがいくつか散りばめられていた映画だったかなぁという記憶がある。
テーマは「人間ってなんて面白いんだろう」ということだというが、タイトルの心は、「落語家的なもの、彼女的な存在」という「のようなもの」で人間は囲まれているということだったのだろうか…、ということをふと思い出した。


