年齢的に50代後半くらいか、それ以上で映画に興味のある人であれば、多くの人が多少なりとも、何かしらの影響を受けているのではないかと思うのが『仁義なき戦い』であろうと思う。
作品の公開は1973年1月なので、当時は中学生か高校生だったりするのだろうけれども、その後に何らかの形で見ているというケースが多い。
ボクなんかは、大学入学で上京してきて以降に見まくった。当時、新宿昭和館という映画館があって、そこはほとんどやくざ映画専門みたいな名画座で、三本立てだった。
ほぼ毎週月曜日に通っていたくらいだ。大体は実録系と任侠系が各1本と、『まむしの兄弟』や『シルクハットの大親分』みたいなコミカルなものというメニューだった。
そして、3本を堪能すると劇場から斜めになりながら出てきたりしたものだ。

「やれんのォ、ワシらのやることにいちいち文句つけられたんじゃ」
「おどれコラッ!誰に向こうてモノ言うとんじゃ」
「ワシら、どこで道間違うたんかいのォ」
とか、そんなセリフを吐いてみたくてしょうがなかった。
『仁義なき戦い』シリーズは全5作、さらに特別編として『新仁義なき戦い』が3本あって全8作が深作欣二監督作品だ。

ことに、当時は高度成長が落ち着きかかってきたところで、サラリーマン天下の時代でもあった。だから、組織に忠実であることが「よし」とされていた時代でもある。
しかし、その一方で組織の不条理さを実感されられることも少なくはないはずだ。『仁義なき戦い』シリーズは、ヤクザ社会に舞台を借りて、そんな組織の不条理さを痛快に描いてきたところもあった。これが、ボクらのような、ちょっと小生意気な若いサラリーマンなんかに受けた要素だったのではないだろうか。
多くのサラリーマンが組織に忠実であったのだけれども、どこかに反骨心もあった。そんな心を射抜いたのではないだろうか。
特に、血気盛んな意気がった20代の勘違い者なんかは、そうだったのかもしれない。そんな社員の一人でもあったボクなんかも、まさにそんな口だった。だから、まるで自分への応援歌ではないのかという錯覚をしながら、何度も見まくっていた。
サラーマンとして、組織に不満を抱きつつ、そんな過激な刺激を味わいながら過ごしていた20代でもあったのだ。

もっとも、あの西崎義展の下に移ったら、「やれんのォ」どころではなかった。まさに、「ワシの思うちょることなんか夢みと~なもんよ」ということを思い知らされるのだった。
「現実ちゅうもんは、オドレが支配せにゃ~、どぉにもならんのよ」
身につまされたものだった。
