コロナ自粛期間には、「不要不急」という言葉が、メディアを通じてしきりに用いられるようになっていた。この四字熟語は、「不要」と「不急」という2つの単語の合成語でもある。
「不要」とは「(さしあたっては)必要ではないこと。{不用}とも書く」とあった。「不急」とは「急いでする必要がない様子」という意味となっている(『新明解国語辞典』三省堂・刊より)。
つまり、「さしあたっては急いでする必要がなくて、必要ではないこと」ということになる。
現実には、何がそれに値するのかということはとても難しい。コロナ騒動下では、「生きていくために絶対的に必要ではないもの」というような定義づけになっていたと思われる。
こういう本は、生きていくために絶対必要ではないのですが…
そう考えると、ボクなんかは社会人となって以降、仕事としては、確実に不要不急ではない産業に従事し続けてきていた。そうなってくると、「社会ではどういう存在なのだろうか」ということも思ってしまうことになる。
そうした中で見つけた一つの考え方があった。そう考えると元気が出る。それが、この定義だ。
「なくてもいいからこそあったら楽しいこと」
そう。人間が最低限生きていくためには、なくてもいいものこそ、実は面白いし楽しいし、嬉しいんだということ。
世の中で、娯楽と言われているものはおよそ、そこに位置するのだ。映画も芝居も、コンサートもそうだ。ボクが現在メインとしている本作りなんかも、学校の教科書のような類のものではないのだから、「なくてもいいけど、あったら面白いかもしれない」モノであろうか。まあ、それらにはいずれも、興味がある人にとっては…、という但し書きがつく。それはそうだ、野球の本なんて、野球に興味のない人間にとっては、どうってことはないのだから。
それは、芸能産業だってそうだろう。
普段ならば、役者名の幟が立ち並んでいるはずの明治座だが、興業は不要不急のためお休み
だけど、だからこそ、芸能産業が成り立っているんだなと思う。スポーツ文化もそうだけれども。
そうすると、今こそ改めて「なくてもいいけれども、あったら面白いもの」としての価値を高めていく努力をしていかないといけないのかなぁとも思う。
実は、小説にしたところで、「読まなくてもいいけれども、読んだら面白いと思えるもの。何らかのためになると思えるもの」であったり、「勇気や自信を与えられるもの」である必要があると思う。
そう考えると、これからの自分の著作も、もっと意味を持たせなくてはいけないのかなぁとも思うけれども、誰かが、「ためになる」とか「面白い」と思ってくれたら、それでいいかなという気もしている。
葛飾北斎美術館も、お休み中でした


