ようこそ映画の小部屋へ
今夜は『アダムス・ファミリー』
をお迎えしました
ちょっぴりホラーで たっぷりシュール
今夜もアダムス一家は お化けダンスで大騒ぎ!
<キャスト&スタッフ>
モーティシア(ティシュ)…アンジェリカ・ヒューストン
ゴメズ…ラウル・ジュリア
フェスター…クリストファー・ロイド
ウェンズデー…クリスティーナ・リッチ
パグズリー…ジミー・ワークマン
グラニー…ジュディス・マリーナ
ラーチ…カレル・ストライケン
ハンドくん…クリストファー・ハート
タリー…ダン・ヘダヤ
監督:バリー・ソネンフェルド
製作:スコット・ルーディン
オリジナル・キャラクター製作:チャールズ・アダムス
編集:ディディ・アレン,A.C.E.
プロダクション・デザイン:リチャード・マクドナルド
撮影:オーウェン・ロイズマン,A.S.C.
音楽・脚本:マーク・シャイマン/キャロライン・トンプソン/ラリー・ウィルソン
<ストーリー>
アダムス家は主人ゴメズ、魔女の妻モーティシアとその母グラニー、長男パグズリー、長女ウェンズデー、無口な執事のラーチ、そして「ハンド」と先祖代々の一軒家に暮らしていた。他人の不幸がなによりも嬉しいゴメズだが、実は25年前に失踪した兄フェスターのことが気になっていた。恒例の交霊会が行われた嵐の夜、突如フェスター本人が現れて兄弟は感動の再会を果たす。しかし、フェスターは借金に困った顧問弁護士のタリーが送り込んだニセモノだった。ゴメズたちは、以前よりも“普通の人"になっているフェスターに疑いを抱くが、ピンダシュロス博士に説得されて納得。次第にフェスターもアダムス一家に慣れて“変化"していく。そして裁判所命令が下り、アダムス家は住み慣れた家をフェスターに譲らねばならなくなる……。
<ポイント>
テレビドラマ、アニメーションで人気が高かった原作「アダムスのお化け一家」を、『メン・イン・ブラック』シリーズのバリー・ソネンフェルド監督が映画化。魔女のおばあちゃん、大男で無口の執事、勝手に歩く「ハンド」たちと共に暮らす一風変わったアダムス一家の生活を、シュールでナンセンスでコミカルに描いて大ヒットを記録。後に『バッファロー'66』などの人気女優となるクリスティーナ・リッチ(当時11歳)も本作でその個性的な魅力が注目された。
●バリー・ソネンフェルド監督は、ジョエル&イーサン・コーエン兄弟のデビュー作『ブラッド・シンプル』で撮影監督を務め、兄弟が契約した出世作『赤ちゃん泥棒』『ミラーズ・クロッシング』の撮影を担当した。特に『赤ちゃん泥棒』でのスピーディで変幻自在の撮影テクニックは、監督デビュー作である本作でも堪能できる。
●アダムス家の当主ゴメズ役のラウル・ジュリアはプエルトリコ出身でブロードウェイで活躍後、『哀しみの街かど』『夜の大捜査線/霧のストレンジャー』『ワン・フロム・ザ・ハート』などに出演、『蜘蛛女のキス』でゴールデン・グローブ賞男優賞の候補となった。『アダムス・ファミリー2』の後、1994年に胃癌と脳卒中の併発により54歳の若さで急死。
●モーティシア役のアンジェリカ・ヒューストンは、名監督ジョン・ヒューストンの娘で、父親が監督した『女と男の名誉』でアカデミー賞助演女優賞を受賞している。私生活ではジャック・ニコルソンと長年のパートナーだった。
●ウェンズデーを演じて注目されたクリスティーナ・リッチは9歳で『恋する人魚たち』に出演、本作出演時は11歳だった。17才で出演したアン・リー監督作『アイス・ストーム』、翌年のヴィンセント・ギャロ監督・共演作『バッファロー'66』で演技派に脱皮した。
●フェスターとしてアダムス家に潜入するゴードン役のクリストファー・ロイドは、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズのドク役で知られる個性派俳優。近作に『ピラニア3D』『ピラニア リターンズ』など。
価値観の逆転。
一般的な不幸が甘い蜜。
アダムス・ファミリーの二人のこどもは雨の日に感電おかまいなしでアンテナで遊ぶ。雷を集める避雷針を素手で持ってげらげら笑い合っている。雨に濡れながら。
正にホラー。しかしそれが可笑しい。
日常の、慣れ親しんだ、時に縛りとなって息苦しい、生きづらさの根源となってしまう価値観を蹴っ飛ばしてくれる一家、アダムス・ファミリー万歳!という感じ。パーティーとは本来、このような、価値観の逆転をして常識を洗うことなのだろう。
この映画を観ると、不幸って一体なんだっけ、と思う。
存在しているか否かだけで、存在していなかったらそもそも意識なんてないのだから、不幸なんてイリュージョン。
いやいや、嫌な人がいて、その人がマウントをとってきてそれが………、というのが一般的悩み。
つまり人間関係による軋轢なのだろう。
と考えると、アダムス一家は世界の価値観を全てホールドしてしまう、最強包容力一家。実は全き優しい人達。そしてそれはつまり、愉快な人達。この一家に差別などない。全てホールドしているのだから。あらゆる価値観の果ての果てまで手が届いているのだから。
価値観は人の脳内の幻想の一つ。この一家にも価値観はある。一般的な善の裏の悪が大好物。
誰にも媚びず、愛し合う、粋でいなせなアダムス一家、参上。4649(昭和の数字言葉。よろしくという意味(笑))
昭和の日本のアダムス一族、なめ猫軍団、参上4649。合言葉は「なめんなよ」。
こちらが原作。一見同じ。キャストが変わっただけのような。これがウケたっていうのは、『ゲゲゲの鬼太郎』がウケた感じだったのだろうか。不気味、怖いと思いつつ見るという、その矛盾心理。
『ゲゲゲの鬼太郎』の目玉おやじが、
アダムス家のハンド。目玉おやじもハンドも、人の一部で全体を成している。目玉おやじがお碗のお風呂に入るというのは、一寸法師のお碗の船のお化け版。このハンドの動きは蜘蛛。切断恐怖と蜘蛛恐怖で、失神者続出(昔、わたしの父は蜘蛛だけが怖い人だった。蜘蛛だけは退治できず、見つけるとそれがどんなにちっちゃい蜘蛛でも「わっ!」と叫んで椅子の上に立ち上がり、母が掃除機で吸って退治するまで避難していた。(笑))。
こちらは、昭和のものぐさ小学生に爆発的に流行った(笑)マジックハンド。まことちゃん的、平和過ぎてそれが壊れるのが怖いような一家の団欒光景。
ウルトラハンド、
ガチャコンハンドとも。
進化したマジックハンド。
やっちゃ駄目、を全部やってくれている、
身代わり地蔵、アダムス・ファミリー。
普通じゃない、を全部やってくれている、
非常ワクチン実験一家、アダムス・ファミリー。
よってもう、何も恐れることはない。
もう何も、恐れられない。
そこまで受容しちゃったら、一体何がタブーなの?という。
つまり菌で菌を洗うような、禊(みそぎ)。
泥で泥を洗うような、もう不潔と清潔の区別が付けられない。分けられない。
普通って、実は一番省エネ。
安全てつまり、既成概念を煮つめたジャムだから。
アダムス・ファミリーがそこまでを楽しんでしまっていると、もうどこを怖がればいいのか、心の暗闇を失う感じ。
でもだからって、カンカン照りの辛さや、直射日光の紫外線の危険に晒されるのではない。
暗闇だけれどタブーのない安心の我が家で存分に愛し合おうという主義。それがアダムス・ファミリースピリット。
実は噎せ返るほどの愛なのだ。
死ぬことすら怖くない。
これは宗教の、信仰の救い。
「死んだの?」
「それが何か問題ある?」
というきょうだいの乾いた会話。
何も問題ない、という感じ。
別に肉体なんかなくたって、大丈夫、愛があれば、とすっかりアダムス信者になっている観客。
クライマックスはハンドの活躍シーンだった。
ハンドが、ファミリーのお母さん、アンジェリカ・ヒューストン演じるモーティシア(ティシュ)▼の
危機を愛妻家のお父さん、ゴメズ▼に伝えようとするところ。
一家の屋敷が陰謀によって乗っ取られた。
屋敷を追い出されてホテル暮らしになった一家。
ゴメズは意気消沈。
そこでモーティシアが一人で、命を懸けて屋敷に乗り込む。
するとモーティシアは殺されそうになってしまう。しかしその死にそうな仕打ちにモーティシアは快感を覚えてしまっている。
モーティシアに一人、というか一手でついていったハンド。
途中車に轢かれそうになったりするその様子は、飼い主を助けようとする健気な犬そのもの。
(こちらは飼い主のもとに戻ろうと旅をする名犬ラッシーwithエリザベス・テイラー)
屋敷でモーティシアの命の危機を目撃したハンド。
全指で地団太を踏む。けれど今自分にはどうすることもできない、そうだ、とホテルに全力で戻る。
そしてお父さんゴメズに伝える。
しかしゴメズには、ハンドが何を伝えたいのか分からない。
犬などの、喜怒哀楽、快不快は飼い主に分かる。
しかし考え、というのは、言葉で考えるしかないので言葉でなければ伝わらない。
ハンドは始め、指文字を使う。
しかしゴメズには伝わらない。
ハンドはあああっ!とパニクって、テーブルの上の紙にペンで書こうとする。しかし気が焦ってもどかし過ぎて書くということが出来ない。
そこでハンドは、気合でワワワワワワーー!!という様子で全身を激しくクレイジーに動かして念力で伝えようとすのだ。
するとゴメズは「えっ?!モーティシアが危険?!」と一瞬で理解してしまうのだ。
ここが、非常識が常識を超える瞬間というか、マジック。
しかし実はよくあること。
何かが極まって、超えて共有してしまう。
つまり例えば恋愛とか。
クレイジーな方が、エネルギーが強い方が、伝わる。
境界を乗り越えられる。
火事場の馬鹿力のような、怪力。お化け力。
ほとんど全てのシーンで、アダムス・ファミリーはこの乗り越えをやってみせてくれる。
もの凄い非常識な、つまり化け物的エネルギーを使って。
通じたゴメズは、急に力が入る。
さっきまでどよんとしていた体に非日常の非常識な力が漲る。
大きな目がらんらんと非常識に輝く。
ザッツゴメズ、そうこなくっちゃ、という感じ。
アダムス・ファミリーは観客を気楽にしてくれる。
アダムス・ファミリーがいれば、もう怖い物なしという感じ。
実際アダムスファミリーには怖いものはない。
ただ、愛する人を失うことだけが怖い。
そこは神田川と通底している。
アダムス・ファミリーは前衛芸術だ。
前衛芸術家とは、息苦しく、生き辛さの根拠になってしまっている古びた普通、既成概念を、爆破してくれる優しい戦士なのだ。
(日本のトーテムポール、心のパラボラアンテナ、太陽の塔と、その生みの親、戦士岡本太郎)
屋敷を陰謀で乗っ取っていた悪人二人が死んだところで、アダムス・ファミリーに、もとの暮らしが戻ったのだった。というアンハッピーハッピーエンド。
ウェンズデーを演じて注目されたクリスティーナ・リッチは、9歳で『恋する人魚たち』に出演、本作出演時は11歳だった。
彫刻のように彫りの深い美女、モーティシア役のアンジェリカ・ヒューストンは、
名監督ジョン・ヒューストン▼の娘で、
父親が監督した『女と男の名誉』でアカデミー賞助演女優賞を受賞している。
私生活ではジャック・ニコルソンと長年のパートナーだったという。
アンジェリカ・ヒューストンとジャック・ニコルソン。その関係知らなかった。でも分かる。二人とも好きだから、嬉しい
ジャック・ニコルソンがとっても嬉しそうで、とっても嬉しい。
昔わたしはアンジェリカ・ヒューストン演じるモーティシア▼と
女優で歌手のシェール▼の区別がつかなかった。というか、シェールがモーティシアを演じていると思い込んでいた。
シェールが歌う「ビリーブ」。大好き
ジェンダー超えがボーイ・ジョージっぽい。
ボーイ・ジョージ
▲この写真はマリリン・モンロー▼っぽい。
再びボーイジョージ。