ようこそ映画の小部屋へ
今夜は『エル・スール』
をお迎えしました
【内容】
1957年、秋。ある朝、少女エストレリャは目覚めると、枕の下に父アグスティンの振り子を見つける。エストレリャは父が死んだことを悟る。彼女は回想する。内戦下のスペイン、<南>の町から<北>の地へと引っ越す家族。8歳のエストレリャが過ごした“かもめの家”での暮らしが語られる…。父アグスティンを演じるのはスペインの名優、オメロ・アントヌッティ。
【作品情報】
監督:ビクトル・エリセ
監督:ビクトル・エリセ/製作:エリアス・ケレヘタ/原作:アデライダ・ガルシア=モラレス/脚本:ビクトル・エリセ/撮影:ホセ=ルイス・アルカイネ
出演:オメロ・アントヌッティ、ソンソレス・アラングーレン、イシアル・ボリャン、ロラ・カルドナ、ラファエラ・アパリシオ、オーロール・クレマン、マリア・カロ、フランシスコ・メリノ
【スペック】
製作国:スペイン、95分(予定)、カラー、日本語字幕、スペイン語音声、製作年:1983年
封入リーフレット(映画評論家・遠山純生氏による解説文他収録/予定)
『エル・スール』(西: El sur、英: The South) は、1983年のスペイン映画(ドラマ)。監督はビクトル・エリセ。
エリセ監督にとって2作目の長編であり、アデライダ・ガルシア・モラレスによる同名の短編小説を原作としている。当初、この映画の上映時間は3時間の予定だったが、プロデューサーのエリアス・ケレヘタが後半部90分の上映を許さず、上映時間95分の映画となった。1983年のカンヌ国際映画祭に正式出品された[1]。1996年、スペイン映画生誕100周年を記念して映画製作者と映画評論家によって行われた、歴代最高のスペイン映画を決める投票では、この作品が第6位にランクインした。
プロット
この映画は、スペイン北部のどこかで暮らす少女エストレーリャ(ソンソーレス・アラングレン)の物語である。エストレーリャは、父親アグスティン(オメロ・アントヌッティ)が文章に隠したらしき、「南部」の秘密に興味をそそられる。彼女が幼い頃、父親は謎めいた人物だった。やがて成長すると、かつて父親に恋人イレーネ(オーロール・クレマン)がおり、父親はまだイレーネを愛していることに気が付く。
キャスト
- オメロ・アントヌッティ(アグスティン・アレーナス) - エストレーリャの父親
- ソンソーレス・アラングレン(8歳のエストレーリャ)
- イシアル・ボリャイン(15歳のエストレーリャ)
- ローラ・カルドナ(フリア) - アグスティンの妻
- ラファエラ・アパリシオ(ミラグロス)
- オーロール・クレマン(イレーネ・リオス/ラウラ)
- フランシスコ・メリーノ(イレーネ・リオスの共演者)
- マリア・カーロ(カシルダ)
- ホセ・ビボ(グランドホテルのバーテンダー)
- ヘルマイネ・モンテーロ(ロサリオ夫人)
受賞
映画祭 | 部門 | 結果 |
---|---|---|
サンパウロ国際映画祭 | 最優秀作品賞 | 受賞 |
シカゴ国際映画祭 | 最優秀作品賞 | 受賞 |
イベリコ・ブルデオス映画祭 | 最優秀作品賞 | 受賞 |
🌟🌟🌟🌟🌟🌟🌟
突飛なところのある人間らしい父を見つめる、8歳から15歳までの少女のまなざしを描いた映画。
エル・スールとはスペイン語で南という意味。英語ではthe South。
父アグスティンは娘のエストレーリャが生まれる前南にいた。
アグスティンは、内戦が終わって監獄に入っていた。
アグスティンには父との確執があり、女優の恋人がいた。
アグスティンは、その南の地を捨てて北に来た。
北で生まれたエストレーリャは南を知らない。
母親から「南には雪は降らないのよ」と聞くと、
「変な所」と言う。
(エストレーリャ▼と、
エストレーリャの初聖体拝受式のため南からやってきた、アグスティンの乳母▼(陽気))
▼エストレーリャの初聖体拝受式
アグスティンは医者だが特別な霊力もあるらしく、ダウジング▼で、何メートル掘れば水脈があるか教えたりもしている。
ダウジングとは、振り子で水脈や鉱脈を探し当てられるとされる方法だ。
コックリさんを想起した。
わたしが小学生のとき流行っていた。
あれは、そうしたければ、そうすれば、そうなる、というもので(笑)、
そうしたい人がそうしたい方向に動かして、何もしなかった人が動かされて驚くという仕掛け(笑)。
エストレーリャの父アグスティンは、「平和な市民生活を営む」多数派の大人からは破天荒で訳の分からないところのある人物。しかし得てしてそういう人がこどもと相性が良かったりして、エストレーリャは父に惹かれるし、二人は波長が合う。
そんななかエストレーリャは、父の心を独占している父の恋人の存在に気づく。
その人は女優で、南にいて、父はその南から離れたのだった。
父は生まれ変わる為にエストレーリャの母親と結婚した。
いや、結婚したから生まれ変わった。
南には二度と戻らない覚悟で。
父はエストレーリャをある日昼食に誘う。
エストレーリャは思春期。恋人がいる。
その恋人が「好きだ」とエストレーリャに向けて落書きした塀
を父は見ていた。エストレーリャは恋人を「しつこくて嫌」「わたしの気を引きたいだけ」と言うが、父は「思った通りに行動できて羨ましい」と言う。
父は中座して洗面所で顔を洗う。
戻ってきた父は、「午後の授業を休まないか?」と言う。
エストレーリャはそれを断る。
それが父を見た最後だった。
その夜、父は銃で自殺する。
エストレーリャの枕元にダウジングの振り子を残して。
エストレーリャはその後病気になる。
転地療養が必要ということになり、父のお母さんであるお婆ちゃんと父の乳母の呼び寄せに応じて南に行くことになったエストレーリャ。
エストレーリャが荷造りをして、父の形見の振り子を鞄に入れて閉じたところでエンドロール。
娘の父への思いは複雑だ。
色々あって最終的に大好きでしかないとなるまでには父より大分後に生まれた娘側の経験と努力と成長の時間が必要。
間に合わなかったと泣くことがあるかもしれない。
けれど、父の全ては娘にすっぽり入っている。
父親の愛という形で。
この映画を観ていて、昔の父のことを思い出した。
母が赤ちゃんを産むため家にいないため、父が車で小学校に迎えに来てくれた。
そして二人で、父の友人が経営しているレストランに行った。
お昼ごはんを食べるためだ。
土曜日だったのかもしれない。
「ピザが好きだろう?」
と父。
「うん」
とわたし。
わたしは、大きな襟の黄色いシャツにデニムのジャンパースカートを着ていた。
父はカレーライス、わたしはミックスピザを頼んだ。
わたしはその頃、サラミが大好きだった。サラミとウイスキーボンボンとレーズンバターとイカの塩辛が大好きだった。それらは父のウイスキーと日本酒のおつまみで、いつも父にひっついていたわたしは、もらって食べているうちにそれらが大好きになってしまったのだった。
サラミののったミックスピザを食べるわたしを、カレーライスを食べ終わった父はずっと見ていた。
わたしは、父に見守られながら、ゆっくりとピザを食べ終えた。
参観日のことも思い出した。
それは二年生の算数の授業だった。
忙しい父に「どうしても来て」と言うと、父は来てくれた。
わたしは後ろに父の気配を感じながら黒板の式をノートに書き写し、計算を終えた。
すると父はわたしに近寄り、「合ってるよ」と小声で言ってから、教室を出ていった。
この映画の語りは、大人になったエストレーリャだ。
その声は父を見た最後となったレストランのシーンで、「あのとき、自分はどうすれば良かったのかと、ずっと考えています」と言う。
どうすることもできないし、正解はないのだけれど、父に永遠の失恋をするしかない娘の、生涯かかえる問いだろう。
それは母に永遠の失恋をするしかない息子も同様で、肉親以外との恋や愛は、そういう隙間を埋めるジグソーパズルのピースなのかもしれない、と時々思う。
お父さんたくさんたくさんごめんなさいそして本当にありがとう
九螺ささら
主人公の名前のエストレーリャとはスペイン語で星
エストレーリャは映画の中でずっと、左の薬指に星形の石が付いた指輪をはめている。これはお父さんからのプレゼントなのかもしれない。
エストレーリャの初聖体拝受式のとき、
父と踊った曲「エン・エル・ムンド」▼
最後のレストランで、同じ曲が聞こえてくる。父は既に死ぬ覚悟を決めていたのだろうが、この曲が聞こえてきてふっと気持ちが軽くなる。しかし、父の内面では様々なことが重く沈んでどうにもならなくなっていて、もう死ぬしか決着がつかなくなっていたのだろう。
原作者のアデライダ・ガルシア・モラレス





🐧🐧🐧