こんにちは。


京都では、幕末好きの息子に誘われて、

幕末や明治維新にゆかりの場所をいくつかたずねました。



新選組と池田屋事件(1864年)をめぐった散歩の記事はこちらです。



 

そして、幕末と言えば、坂本龍馬。

 

龍馬にゆかりの地も訪れました。

 

 

高瀬川のほとりの土佐藩邸跡です。

 

 

 



「此付近土佐藩邸跡(このふきんとさはんていあと)

土佐藩は、薩摩、長州と並んで幕末政局の主導権を握った雄藩で、

武市瑞山(たけちずいさん)、坂本龍馬、中岡慎太郎、後藤象二郎らの志士が活躍した。

藩邸は、土佐藩の活躍の京都における本拠地であった。」

 

この地で、江戸から明治にむかう激動の時代に、

坂本龍馬らが日本の新しいありかたを考えたり議論していたりしていたのだなと思いを馳せました。

 

そして、次に、近江屋事件跡地に向かいました。


地図はこちらです。


土佐藩邸跡から近江屋跡までは徒歩3分。



 

1867年(慶応3年)、京都の醤油商近江屋で、坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されました。

 

 

 

「坂本龍馬・中岡慎太郎 遭難の地(近江屋跡)

この地は、慶応三年(1867)年11月15日、維新の功労者である土佐藩海援隊隊長の坂本龍馬(1835~1867)が盟友である陸援隊長の中岡慎太郎(1838~1867)とともに刺客に暗殺された近江屋(醤油商)があった所である。

 龍馬は、海援隊の本部があった酢屋(すや・材木商)に下宿していたが、前年の寺田屋事件により幕府から狙われていたため、土佐藩の出入商人であった近江屋に移っていたのである。

11月15日の夕刻、中岡が近江屋を訪ね、大政奉還後の政局について論じていたが、夜になり、十津川郷士(とつがわごうし)と称する男たちによる襲撃を受けた。

龍馬はその場で絶命し、中岡も二日後この世を去った。龍馬33歳、中岡30歳。実に大政奉還(10月14日)が行われた1か月後、王政復古の大号令(12月9日)が出る1か月前の出来事であった。」


大政奉還直後、日本の未来をより良くすべく考え、行動していた二人が、33歳と30歳という若さで暗殺された。

手を合わせながら、もしも龍馬が生きていたら、日本はどんな国になっていたんだろうと思わずにはいられなかった。



お読みいただきありがとうございました。