元青汁王子 開星・野々村監督の「名を名乗れ」発言に賛同

「広陵の件は社会全体の集団リンチと化してる」

 

論点がズレるかも知れないけども。

 

「広陵の件」に限らず

ネットでのこういった問題って

「批判と誹謗中傷は違う」

その前提があっても

それぞれの人がネット情報の何を信じるか?

それによって

「批判と誹謗中傷」の境界というか

感情のコントロールが

出来なくなっている可能性があるんじゃね?

 

問題が起きたという事実

その問題に加害者・被害者が存在し

批判される理由がある。

 

「ネット情報」というのは

事実もあるだろうが

より多くは真実だと思うのだよ。

(明らかな嘘や誹謗中傷もあるけども・・・)

それらの真実は

事実に対して間接的な人たちが作り出したものでしょ。

 

考えたらどうだろう

「批判する理由がある」

「正しい/間違い、わかっている」

それがある中で

「いろんな情報がネットで得られる」

バグる人が出てくるのは

当然の結果なのではないだろうか?

 

例えば

製品の動作試験や環境試験などをやるよね。

 

それと同じように

人々も知らぬ間にネット、SNSなどで

ストレス試験、耐久試験みたいな事を

日々やらされているんじゃないかと・・・

今までの試験はOKだとしても

いつかエラーとなる時が来るのかも知れない。

 

 

ネットに関係なく普通の生活環境でも

誹謗中傷に限らず

感情のコントロールが出来なくなり

バグる人たちはいるし、犯罪行為をする人はいる訳で

ネットに関係なく

そもそも人はバグる可能性があり

それは、どうしようもない事だと思える。

 

誹謗中傷する奴は『名を名乗れ』

これはダメだと思う。

だって

感情のコントロールが出来ないから

誹謗中傷していると考えるので

ネットで誹謗中傷をする事が出来なくなったら

その感情は、どこに向かうのか?

 

誹謗中傷をするなど

感情のコントロールが出来ない

そうなってしまったら

それを押さえようとする、放置するのは

最悪の結果になる可能性があるだろう。

 

早期に発見し対処・治療するしかないだろう。

その仕組みをどう作るか?

なんだと思うけどもね。

 

北村晴男氏、初の国会で「びっくりした」こととは?

「こんなムダを70年、80年も…」

 

まぁ~アレだ、確か

スマホ、タブレットが使えないよね。

その理由って

使い方、セキュリティの問題ではなく

”品位”

だったような・・・。

 

国会という場、議員という立場

その「品位」って何なんだろう。

 

北村氏が感じた事もそうだけど

一般の社会・国民とそれらの「場」は

明らかなズレがあり

それは「品位」というものじゃないと思う。

 

例えば

政治資金のあり方、使い方に対して

国民が求める事に議員たちは応えられていない。

それは

議員たちに「品位」が無いという事だと思うのだよ。

議員たちは、その事をどう考えているのか?

 

 

国会という場、議員という立場

そこに「品位」を持たせる

その「品位」を汚さないようにする

それは大切だろう。

だがね、それは

それらの「場」にあるものと

その「場」にいる人たちの

言動によって示すものがあるだろう。

 

考えて欲しい。

その「場」は、何の為に存在するのか?

その「場」にいる人たちは

どういう言動によって「品位」を示すのか?

 

言い方はアレだが・・・

その「場」に「品位」を持たせても

それを理解していない人たちがいるのでは

豚に真珠

でしかないだろう。

 

「顔洗って出直していただきたい」

さや氏「核武装安上がり」発言に

朝日新聞編集委員がサンモニで

 

個人的には

”核兵器にある抑止力”

それに疑問があるので

今まで通り

”アメリカの傘の下にいる”

というので良いのかと思えるけども・・・

 

ただ、どうだろう。

日本も含め、他のアメリカとの友好国の中で

”アメリカの傘の下にいる”

それを疑問に思う様な状態になっていないだろうか?

それは

敵対する国にとって「抑止力」となるのか?

 

それもあるけど

そもそも、アメリカに限らず

自国が核兵器を使用される

自国が攻撃される

その可能性がある選択をするだろうか?

言い方はアレだが

”自国、自国民ファースト”

そうなると思うのだけどね。

 

もしかしたら

”核兵器にある抑止力”

それって、日本で言う

安全神話

なんじゃないだろうか?

そう思える。

 

核兵器を持つ

そこにある負担を考える必要があるだろう。

広島・長崎以降

核兵器を所有する国は戦争をしているが

それを使用してはいない

使う必要がなかったのかも知れないが

朝鮮戦争、ベトナム戦争・・・

使わないという選択をしたのではないのか?

核兵器は

ほぼ、使えない兵器と言ってよいと思うのだよ。

それなのに

手放せない、持ち続けるしかない

そんなものを

広島・長崎で使用された日本が持つのか?

 

80年間使われていない兵器

なぜ、それに拘るのだろう?

なぜ、それを持とうとするのだろう?

 

戦争が無くなってはいなし

これからも戦争は起きるだろう。

だが、核兵器を使わないという選択を

それを持つ国家、政府、指導者はしてきた。

考えたらどうだろう

核兵器が無くても、この世界は成立するはずである

それは、80年間

核兵器を使わないという時を積み重ねてきた

この世界の現実が示している

そう考えられないだろうか?

 

現実として

この世界で戦争は無くなってはいない

だから、それに備えるのは理解できる。

だが

日本は被爆国として積み重ねてきた時があって

世界でも核兵器を使わないという時を積み重ねている。

核兵器を持つ選択を検討する

その自由、権利は、どの国にあるとしても

日本がその検討をする意味

この世界に与える影響

それを考えないで良いのだろうか?

 

自由・権利と義務・責任、それはセットだと考える。

それは、他国がどうかではない

日本が、それをどう考えるかである。

 

核兵器を持つという選択を検討する

その自由・権利ではなく

被爆国として

世界で核兵器が使われない

核兵器を減らし、必要としない世界とする

その義務・責任を果たす。

 

80年、積み重ねた時がある

それが理想だとしても諦めたら終わり

不可能な事なのではない

ただ、それが実現可能だと信じられないだけ

 

広島・長崎の悲劇は、誰もが理解できる事だろう

それ以降、核兵器が使われてない

戦争を無くせないとしても

核兵器を使はない

核兵器を必要としない

それは、可能なはずである。