論点がズレるかも知れないけども。
「広陵の件」に限らず
ネットでのこういった問題って
「批判と誹謗中傷は違う」
その前提があっても
それぞれの人がネット情報の何を信じるか?
それによって
「批判と誹謗中傷」の境界というか
感情のコントロールが
出来なくなっている可能性があるんじゃね?
問題が起きたという事実
その問題に加害者・被害者が存在し
批判される理由がある。
「ネット情報」というのは
事実もあるだろうが
より多くは真実だと思うのだよ。
(明らかな嘘や誹謗中傷もあるけども・・・)
それらの真実は
事実に対して間接的な人たちが作り出したものでしょ。
考えたらどうだろう
「批判する理由がある」
「正しい/間違い、わかっている」
それがある中で
「いろんな情報がネットで得られる」
バグる人が出てくるのは
当然の結果なのではないだろうか?
例えば
製品の動作試験や環境試験などをやるよね。
それと同じように
人々も知らぬ間にネット、SNSなどで
ストレス試験、耐久試験みたいな事を
日々やらされているんじゃないかと・・・
今までの試験はOKだとしても
いつかエラーとなる時が来るのかも知れない。
ネットに関係なく普通の生活環境でも
誹謗中傷に限らず
感情のコントロールが出来なくなり
バグる人たちはいるし、犯罪行為をする人はいる訳で
ネットに関係なく
そもそも人はバグる可能性があり
それは、どうしようもない事だと思える。
誹謗中傷する奴は『名を名乗れ』
これはダメだと思う。
だって
感情のコントロールが出来ないから
誹謗中傷していると考えるので
ネットで誹謗中傷をする事が出来なくなったら
その感情は、どこに向かうのか?
誹謗中傷をするなど
感情のコントロールが出来ない
そうなってしまったら
それを押さえようとする、放置するのは
最悪の結果になる可能性があるだろう。
早期に発見し対処・治療するしかないだろう。
その仕組みをどう作るか?
なんだと思うけどもね。