メキシコ史上最初の女性大統領、クラウディア・シェインバウムとは誰か?(6月3日)

 

アンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドル大統領の党の、連邦選挙で旗手となったクラウディア・シェインバウム・パルドは、学会と政界で広く認められた経験を持つ人物である。彼女が大統領職を得たことは驚きではなく、それは前任者への忠誠心や、有権者に約束した、政策の、継続性の保証のみによるものでもない。

 

チランガ(メキシコシティー出身者をそう呼ぶ)で、シェインバウムは1962年に生まれた。彼女の家族はコスモポリタンな中産階級で、2つの血統のユダヤ人の子孫である。彼女の母親はアニー・パルド・セモで、分子生物学者で、ブルガリア出身のセファルディ[15世紀スペインを追放されたユダヤ人の子孫]である。彼女の父親はすでに亡くなっているが、カルロス・シェインバウム・ジョセレビッツという名で、化学技術者でリトアニア出身のアシュケナージ[バルト地方のユダヤ人]であった。

 

両親の若きシェインバウムへの影響は、2人からで決定的なものであった:両親は彼女にたいし、科学にたいする愛情だけではなく、政治活動への情熱、メキシコ左翼の様々なサークルでの活動、労働者・学生のなかでの活発な活動、なによりも1960年代の激動の時代の熱情を吹込んだ。シェインバウムが自身のことを、しばしば「メキシコ68年世代」の娘であると話すのは、意味のないことではない。それは民主主義のために、制度的革命党(PRI)政権の支配と激しく闘い、その報復として、1968年10月2日、有名なトラテロルコの虐殺の悲劇が引き起こされたのだった。

 

すでにメキシコ知識階級のエリートと懇意であった家族から、シェインバウムは期待され、メキシコ、ラテンアメリカのなかでももっとも高い評価の大学である、メキシコ国立自治大学に入学した。1989年に物理学で学士号を得て、1994年にはエネルギー工学で修士号を取得した。1年後女性としては初めて、エネルギー工学の博士課程に進み、この課程を卒業した。このときから今世紀に入るまでのあいだ、彼女は休むことなく、教員として研究者として、ほぼ中断することなく、学術界で豊かな経験を積んできた。このころから彼女はエネルギーと気候変動問題の専門家で、この仕事によって著名な「気候変動に関する専門家の政府間パネル」に招請され、この団体は2007年ノーベル平和賞を受賞している。

 

しかし彼女のメキシコ政界へのデビューは、最近のことではない。2000年当時、メキシコ市長としてスタートしたロペス・オブラドルが、技術者幹部であったシェインバウムにたいして、首都の環境省長官のポストを提案した。科学者であり環境保護主義者であった彼女は、このときエネルギーと汚染物質排出削減の分野で、経験を積むことが出来た。このときから彼女のメキシコ政界での存在感は、大きくなるばかりであった。

 

2006年彼女はアムロ(AMLO)の大統領選挙のスポークスマンに任命されたが、このときの選挙は国民行動党(PAN)のあからさまな不正と、フェリペ・カルデロンの認められない勝利に終わった。2011年シェインバウムは、国家再生運動(MORENA)創設の中心部分に加わった。これは中道左派であった民主的革命党(PRD)がその立場をますます新自由主義に変えていくなかで、これを引き継ぐものであった。

 

2015年、彼女は首都の一画を占めるトラルパン区長選挙で勝利した。これは彼女が市民参加の選挙で獲得した最初の公職で、2017年メキシコ・シティー市長選挙への出馬で、辞職するまで続けられた。連立団体「歴史を作り続けよう」(SHH)の候補として、2018年彼女はメキシコ・シティーの、最初の女性市長に選出された。このとき彼女はパンデミックにたいする対応で、国際的にも非常に高く評価され、新しい公立大学の創設を推進し、引き継いだ交通システムの政策強化をおこなった。しかし2021年、彼女は地下鉄12号線、悲劇的な崩落事故に対処しなければならなかった。このときの犠牲者は26人、行方不明5人、80人が負傷した。彼女はいかなる刑事責任を問われることもなかったが、この事故は彼女のイメージを失墜させるために、右派によって広く利用されることになった。

 

メキシコではお決まりのコースであったが、首都のトップは、メキシコ合州国32州の連邦の、上に立つための、避けることのできない踏み台だった。当初からシェインバウムが、国家を指導する後継者として、アムロのお気に入りであることは明白であった。しかしこの科学者が自由裁量で、あるいは依怙贔屓で選ばれたわけではない。モレナは与党内の多数が支持する候補者を決めるために-議論がなかったわけではないが-内部における新しい意見調査のシステムを実施した。

 

この内部選挙プロセスで、シェインバウムは、他の5人の男性の対立候補にたいして、大差をつけて勝利した。これにより「第4次変革委員会の防衛コーディネーター」に任命された。これはインフォーマルな形での後継者、大統領予備候補になったことを意味する。2023年9月の任命以来、とりわけ2024年2月の公式の立候補から、シェインバウムは「第4次変革の第2段階」を建設するという、明確な約束をおこない、激しい選挙キャンペーンをおこなった。

 

彼女の規律正しく、分析的で、厳格な指導者という雰囲気は、ロペス・オブラドルのリラックスし、「ざっくばらんで」、カリスマ的なスタイルとは、明かな好対照になっている。また彼女により穏健な側面を見る人もいるが、一方中産階級には、より親近感が持たれ、そこから彼女の政治に中道的な方向を予想するものもいる。

 

唯一はっきりしていることは、シェインバウムが一連の課題と向き合わなければならないことである:マチズムが非常に根付いているこの国で、最初の女性大統領として国を指導すること;最近6年間の変革を維持し、あるいは深化させること;取り組みの遅れる暴力と治安悪化の問題に緊急に対処すること;そして現代メキシコでもっともカリスマ的指導者の一人の後を受け、彼女自身の就任の権威を確認し、今後の彼女自身の刻印を印すことである。

(通算4048) (Pagina12のLantaro Rivaraの"Quien es Claudia Sheinbaum?"による)