独特の移動撮影と天衣無縫な演出で小津や溝口から天才と称賛され、“早すぎたヌーヴェルヴァーグ”とも評される清水宏。清水宏は、まったくの未体験。今回の清水宏監督特集は、旅と放浪への偏愛、子供、女給、障害者、落伍者といった少数者・弱者・アウトサイダーへの暖かい眼差しに満ちた作品群を一挙公開する。
夏の温泉場。東京からやってきた女が風呂場に落とした簪(かんざし)を踏んで、帰還兵が足を負傷し…。簪をきっかけに起こる滞在客の人間模様を綴った珠玉の一篇。
簪が縁で、こんな情緒的な物語が生まれるとは、戦争中の日本とは思えない。こんな作品が、あの軍国主義の時代に許されたのだろうか?それが一番の驚きだ。
訳ありの女に扮した田中絹代の美しさと儚さが忘れがたい。彼女こそが、この作品の空気感すべての根源だ。笠智衆との出会いで、彼女が、自分の人生を見直すきっかけになる。話を聞けば、誰かに囲われている身なのだろうか、お金や生活には不自由していないが、自分の生き方に疑問を感じていた。他愛のないことで、喜怒哀楽を見せる湯治客の姿が、妙に新鮮に映る。混迷の時代に、何もない鄙びた温泉地で、金銭で手に入れられない豊かさを感じさせる。その人々との触れ合いに、本当の幸せを見出したとしても、不思議ではない。
フィルムも古く、複雑な表情までは読み取れなかったのは残念だが、一時でも、清流に手を浸して、山の空気をいっぱいに吸い込んだような清々しい気持ちにさせる。ラストは、皆が去った温泉地を、一人思い出を繰るように歩く、寂しげな田中絹代のショット。それは、戦争の暗い影を彷彿とさせ、いやが上でも緊迫感が高まる。