思い立って転職サイト複数に登録してみた。
すぐ情報提供があり、10社ほど応募した。
専任のアドバイザーもつき、オンラインで面接がある。
実に簡単ないい仕組みだ。
63歳でも求人がある。
採用になるかどうかは不明だか、とりあえず受け付けてはもらえた。
どうなるか楽しみだ。
思い立って転職サイト複数に登録してみた。
すぐ情報提供があり、10社ほど応募した。
専任のアドバイザーもつき、オンラインで面接がある。
実に簡単ないい仕組みだ。
63歳でも求人がある。
採用になるかどうかは不明だか、とりあえず受け付けてはもらえた。
どうなるか楽しみだ。
昨日資金調達のため、道銀本店営業部へ融資申し込みをした。
一番の弱点は、経営コンサルのため販売管理費が低いことと、仕入れや見込み客がいない、
サービス単価が低い、基本的にスポット中心で顧問契約がなく、集客に困難を抱えていることだ。
そこを若手の営業マンにするどく指摘された。
いちおう事業計画と決算書二期、不動産担保、登記簿、予算書、企業概要は提出したが、あまりいい感触ではない。
そもそも金利も高いし、新規は審査も厳しい、また返済期間も五年なのでこれもすこしネックだ。
そのため可能性のある日本政策金融公庫の無担保無償の融資も申し込んだ。
公庫は800万の融資を10年で返済するので、それほど難しくはない。
いちおう土地を担保に借りるので利率も低いし、事業計画もいらず、ヒヤリング審査のみでわりと
すぐ貸してくれる。
保険をかけて商工会議所のマル経融資を1000万申し込む予定です。
経営指導員の指導を半年受けるのが条件です。
以上現在で可能な手はすべて試した。
さてどうなるか。
今更だが今年度の事業計画を立てた。
重点は 官民連携だ。国から膨大な予算が出ている。
これはチャンスである。
次はソーシャルビジネス支援、非営利組織の支援だ。
公庫から800万円の融資の申し込みをした。
これが年齢的に最後の挑戦となる。
返済期間は10年なので健康でないと厳しい。
がんばろう。
考えるところがあって、北大公共政策大学院を受けることにした。
22年間の政策提案活動とアドボカシー活動の集大成として学問的に勉強してみようと思い立った。
学費は二年間で150万円である。
多彩な科目と優秀な教授陣がそろっている。
さすが旧帝国大学である。
このような充実した環境で勉強がしたい。
年齢的にはラストチャンスである。
試験科目は、政治学、行政学、行政法である。
法学部出身であるので有利だ。
競争率は高くないので行けそうな気がする。
あと一月半で試験だ。
毎日8時間の勉強が必要だが、とにかく暑い。
がんばろう。
皆様のいいねが励みです。
いろいろ反響がありました。
一番驚いたのは、地方の消防の現役の中堅クラスからのメールです。
転職あるいは独立を考えているという相談の内容です。
ついに消防も定年まで勤務する職場ではなくなりつつあります。
公務員の給与も厳しくなりました。
札幌市の大卒の初任給の手取りが15万円です。
これでは一人暮らしはできません。
では中堅クラスの消防の方が独立する条件は何かを私なりにアドバイスします。
まず市場価値をしることです。
転職エージェントに登録しましょう。
あとは自動的に助言してくれます。
次は自己探求です。
自分軸で深く自分を探ることが必要です・
そのためには、コーチングを受ける。
キャリアコンサルタントの面談を受けるです。
パソコンの技術を磨くです。
次が予防分野の高度な専門知識を取得するです。
できれば、消防設備士の特類をとるといいです。
そして、余裕があれば、電気工事士をとるです。
最後が、行政書士をとり、登録後特定行政書士になることです。
公務員を17年やると、無試験で行政書士になれます。
登録料はだいたい30万、月会費は6000円程度です。
自宅事務所開業なら、初期費用は抑えらます。
取り扱い分野は難しいですが、消防専門だと全国でも数名しかいないので
経営的には可能性があります。
一番問題なのは、中高年で警防分野しか経験がない場合です。
まず、甲種防火管理者をとり、とりあえず消防設備点検資格者第1種と第2種を取得しましょう。
そして、消防計画や自衛消防訓練につき知識を深めるといいです。
指揮官歴がある人は、コーチングの講座で勉強して、民間の最高レベルの視覚をとることです。
若い人は、今後の潜在的能力が判定されるので、ビジネススクールへの通学をおススメします。
がんばりましょう。
前回の続きです。
おつきあいください。
私がいま振り返ると、大きな失敗がなかった理由のひとつは、段階を踏みステップアップしてきたことです。
退職してから、偶然あるところで、ボランティアの募集のチラシをみて、人生で初めてのボランティアをしたのが、今にいたるきっかけでした。
それは、日本初のNPO情報誌、えぬぴおんのボランティア取材スタッフになったことです。当時まだNPOという言葉すら、道内では知らない方が多かった時代です。
日本の社会の変革の主体としてNPOは熱い時代でした。どんどん市内ではユニークなNPOが誕生しておりました。
このボランティアは運営主体は、当時では珍しい中間支援組織である北海道NPOサポートセンターで、理事長はのちの札幌市長となる上田文雄氏でした。
交通費と若干の取材費がでるこの取材はとても大変ではありましたが、当時失業していた私にはとても楽しい、視野が広がるいい体験でした。
当時知り合った方々とは、今も付き合いがあります。
この中で、いろいろと知人ができ、その後もいろいろとボランティアをしました。
残念ながら、この日本初のNPO情報誌は五号で休刊、事実上の廃刊となりましたが、得難い経験で、ネットワークの広がりの端緒でもありました。
その後、道の主催のNPO・NGOスタッフトレーニングという講座に出ました。
この講座は、60時間の講義と時間外での実習という非常に充実した講座でした。年齢や性別もさまざまな人たちがあつまっていました。
講師陣も実務家や大学教員などいい内容でした。
ここで、今の活動の基礎となる素養ができました。
私はこの時、実習先に全国的に注目されているNPO法人札幌チャレンジドにしました。そして、講座終了後、このNPO法人でボランティアとして13年間活動することとなりました。
障害者をIT支援するという当時では画期的で、マイクロソフト日本法人の幹部も視察にくるという成長過程の団体にボランティアとして参加でき、楽しい思い出ができました。
この団体は現在は、事業高も一億円以上で、高校の教科書にも載る、ソーシャルビジネスの旗手として道内のNPOのリーダーのような存在です。
この団体が、市から業務委託された札幌市障害者ITCサポートセンターのボランティア講師を13年勤めました。
この団体の現在の理事長の知遇をうけ、さまざまなセミナーで勉強さっせてもらいました。
いま私が通う大学院の非常勤講師である中です。
この後、障害児の託児ボランティア、発達障碍児の育児ボランティアをやり、さらに大型イベントの広報スタッフを務めるなど、かなりたいへんなボランティアを次々と体験しました。
いずれも、消防の世界しかしらない自分にとり、視野が広がる得難い経験でした。
その一つが、ヒマラヤ圏サパナ主催の外務省後援の国際交流事業です。ヒマラヤネパール民族音楽道内公演という数千万円の大事業でせいた。
数十人のボランティアが参加して、初めて日本に来たネパールの民族音楽団の道内三か所の公演を支援しました。最年少は12歳の少女でした。いきなり先進国の日本に来たので、ホームシックになり泣いていました。ネパールは当時も今も世界では最貧国でした。
印象に残っているのは、アジア系の方の昔の日本の農村のような雰囲気とヨーロッパ系の方の気品がある雰囲気です。
運営されていたMさんは元ゼネコンの技術者で、脱サラして団体を立ち上げ、ネパールやヒマラヤ圏との異文化交流をされていました。ネパール語も話せるなかなかの方でした。
今も市民活動相談員として活動されています。
ゼネコンにいただけあり、緻密な計画と事業運営能力がありました。
私は知り合いから依頼されて、広報担当となりました。
日中動けるメンバーが少ないため、6000枚のチラシを一月で一人でまきました。消防時代の戦略とボランティアでのネットワークを駆使して、自分でも驚くほどの情熱でがんばりました。
公演はさいわい大成功で、満席でした。
終了後のパーティで、ネパールの方から感謝されて、小さい仏像のお土産をもらい、いまも自宅の机にあります。
そのご正月も過ぎたころ、ネパールから平仮名とローマ字で書かれた旧正月を祝う年賀状がきて、びっくりでした。
このボランティアを経験して、市民活動やNPO活動のパワーを感じて、この道に進むこととなりました。
この二つのボラティアは人生を変えるほどの経験でした。
公務員とは違う民間の発想を身に着けるいい機会でもありました。
まだまだ続きがあります。
前回からの続きです。
メンタルも安定してきて、しばらくしたあと、偶然起業の講座に参加することにまりました。
市の外郭団体の講座で、出口秀樹税理士事務所の出口先生の講座でした。まったく初心者対象の講座で、非常に勉強になりました。出来ストもよく、現在も保存してあります。
まったく起業に関する知識がなかった私のとり、手取り足取りの講座で、これでなんとなく起業に関するイメージがわきました。
原価計算や損益分岐点など、そんなあたりまえの言葉すら知らなかった私には、新鮮でした。
その後複数の起業塾に参加しました。
以下に書いてみます。
道銀起業塾
無料で道銀が主催するもので、懇親会や道銀の幹部との懇談もあり、講師も一流の方でした。終了証も出て意義ある講座でした。
北洋銀行の起業塾
内容的には道銀のものとほぼ同様でした、政策金融公庫の創業支援部門の幹部による講義が役に立ちました。
市の外郭団体のソーシャルビジネス起業塾
コーディネーターがベテランの中小企業診断士で、参加者同士の建立ができ、何名か今でもおつきあいしてる方がいて、人脈がひろがりました。実際の起業家で成功している方が講師だったので、実践的かつ体験にもとづくいいお話があり、ためになりました。
さっぽろソーシャルビジネススクール
札幌市の経済観光局が主催で、コーディネーターはその分野では第一人者の札幌学院大学大学の河西教授でした。
学院大学の大学院の講義を15回夜間受講できるというお得な講座でした。参加費は15000円でした。
この講義は実際にソーシャルビジネスを起業された方の講義や学問的な高度な内容もあり、私に大きな影響を与えました。今の仕事につながったとてもいい講座でした。
この影響で、後日学院大学の大学院へ進学することになりました。
ある程度仕事が軌道にのった時点で今度は商工会議所の起業塾へさんかしました。コーディネーターは著名な中小企業診断士の知野先生でした。指導役の方もベテランの中小企業診断士で、ある程度の講義のあと、実際に仮想の条件で、チームを組んで、ある事業計画を作るという実践的なレベルの高い講座でした。
以上のような過程をへて、市内中心部にあったセミナーや勉強できる施設である、プラット22というコーチングの専門家である塚田先生の経営する場でいろいろなセミナーに参加していました。
定期的に開催されるランチ会にも参加して、さまざまな分野の方と知り合いました。コーチングの勉強とウェブや経営の勉強をしました。現在は閉鎖されて、オンラインのセミナーをする会員組織となっております。塚田先生には本当にお世話になりました。
次に影響を受けたのは、ワークショップの講座です。
市の外郭団体の主催する講座に参加しました。環境教育の専門家である丸山博子先生の講座です。非常に歯切れがよく、よく構成されていた講座で、コミュニケーション能力の向上に大きな影響を受けました。交流会もあり、当時なかなか予約がとれない人気の講座でした。
このようの偶然ではありますが、いま思えば段階を踏んですこしづつステップアップしてきたと思います。これが大きな失敗をしなかった原因かと感じています。
公務員を辞めてから、非常に苦労した。
発作的であり、まったくノープランであった。
悲惨な人生が待ち受けていることは当然覚悟した。
なんとか、非正規のコールセンター勤務をねらい、かなりの会社に応募したが、面接までいったものは1社だけで、ほぼ書類選考すら通ることはなかった。
ハローワークやネットでさがして、可能性のある会社をかなり応募した。たしか50社は応募したと思う。
一次選考が通ったのが、あのアマゾンの札幌拠点のコンタクトセンターだった。二次試験をすごい立派な会場で受けて手ごたえがあった。
人事部長の若い人の話もよく、非正規から優秀であれば正社員にも登用されて、役員待遇までいった人がいたと聞いた。
きている人は主婦やいわゆるフリーターの人がほとんどだった。
手当や無料での飲み物の提供など、福利厚生もよかった。
試験も非常に難しい検索を個人に与えられたパソコンでやるという実践的なものだった。
あとはグループ討議だった。
自分の感触だといい感じだったが、だめだった。
がっくりきた。
このあと、地場の大手のコールセンターの採用試験の面接までいったが、これも年齢的なものと、深夜のシフトに入れないことで不採用だった。
やはり、当時でも北海道は不景気で、まず正規社員の求人はなかった。あらためて、中高年の求人の厳ししさを知り、暗澹たる気持ちになった。
そして一年以上経過後、偶然新聞で大手の損害保険グループの傘下の損害保険調査会社の嘱託調査員の仕事に採用された。
面接には100名以上来ていたが、採用されたのは3名だった。
仕事は損害保険会社から委託された調査案件を歩合給与で行い、最初は交通事故の保険調査で、私にはゆくゆくは本社の火災保険の調査をまかせて、正社員にするという口頭での約束があった。
東京で1週間専門的な保険調査の研修をうけた。
数名の警察の交通部門の定年退職者と多くは生保の営業所長クラスでリストラされた人達だった。
消防は私一人だった。
やはり、やってみると、自家用車の運転ができないと、厳しいし、ノルマはないが、一定の件数をこなさないといけないので、楽な仕事ではなかった。東京ではほぼペーパードライバーであったのと、家族からの反対もあり、長期勤務することはなかった。
ただ、研修の内容は非常に専門的で、その後の仕事に役立つものであった。
そして、またひたすら求人サイトやハローワーク通いの日々が続いた。
だんだんメンタルも限界にきて、今にして思うと危ない状態であった。
次回は独立への道その2です。
おつきあいください。
私は現在は、一般社団法人代表理事で社会人大学院生でもあります。
前職は、東京消防庁消防官で、40歳の時に発作的に退職して、いろいろあり、NPO活動歴22年となりました。
消防には15年間在籍しました。
公務員から独立起業したいという人に参考になるかもしれないと思い、自分のケースをもとに書いてみたいと思います。
まず、公務員、特に消防分野からの独立起業は非常に困難です。
なぜか、それは公務員には失業手当がありません。さらに教育訓練給付金も支給対象外です。
辞めればそく収入の道はたたれ、路頭に迷い、まず公務員の経歴では中高年になると、どこにも採用されません。
地方公務員の多くは専門分野がなく、ゼネラリストとして異動しますので、売りとなるスキルがまずありません。福祉職や医療職以外は。
私は在職中から、パソコンが趣味で得意でした。職場でもその方面の仕事をまかされていました。ただ、資格を持っていなかったので、退職後、自費でパソコンスクールに通い、マイクロソフトのトレーナーの最高レベルの資格MOTを取りました。他にもたいていのパソコン関係の資格を取得しました。
そして、複数の起業塾に参加して、修了書をもらいました。
銀行系2つと商工会議所と市と大学等の公的機関開催のもの
に参加しました。
これは大変ためになりました。
まず金融機関系の起業塾は、人的ネットワークができます。
さらに、商工会議所の起業塾はかなりハイレベルで、参加者の意識も高く、有名な中小企業診断士が講師でしたので、ためになる実践的内容でした。
公務員でしたので、経理や簿記がわからないので、これも複数の公的機関のセミナーで税理士等に習いました。
ここ22年でかなりの専門的セミナーに参加しましたし、複数の経済団体の会員でもあります。
私は無借金経営ですし、金融機関から融資を受けたことはありません。すべて自己資金で経営しております。
長く個人事業主で活動し、三年前に法人化しました。ほぼ一人で経営して、理事のひとりは私の母親という典型的な中小企業です。
なぜここまで生き延びられたのか。
その理由は
1は東京消防庁での勤務歴です。法学部卒でしたので、法務部門歴がかなりあり、行政法規の解釈や各種許認可の経験があります。
これが民間でいきました。補助金や助成金の申請やソーシャルビジネス支援に行政側の立場を熟知しているので仕事をとることができました。
2つめは、消防で指揮隊という前線司令部のような部隊で、大隊長の補佐官の仕事をしていた経験です。最大で150名の消防部隊の指揮運用を補佐したことがあります。また首都東京の有数な災害件数の所属ばかり経験したので、危機管理、安全管理、消防戦術、作戦計画作成、報告書作成などの専門的知識があり、これはある程度は民間のビジネスの経営戦略とも通じるところがあります。
3つめはおじさん大学院生としてビジネススクールで勉強したこと。非常に厳しい学生生活でしたが、最新の経営学を知った上に、同期との人脈ができました。
4つめは、経産省系の助成金を取り、有名企業の社長のもとで数か月実習をしたことです。これでだいぶ自信がつきました。また非常に貴重な経験をつめました。
5つめは、積極的に異業種交流会や読書会、研究会、学会に参加して、広範な人的ネットワークをもったことです。仕事上に役立つうえ、学者との交流は視野が広くなりました。
6つめは、高度な実務書や学問的な本を多く読んだことです。古典といわれる経営学者の名著を多く読みました。
最後は一貫してNPOによるソーシャルビジネスをライフワークとして研究してきたのも差別化につながったのかもしれません。ライフワークがあると厳しい時でも、心の安定が保持できます。
しばらくブログをさぼっておりました。
ヤフーニュースで消防ネタがあったので、前職のことを書いてみたいと思います。
私は15年間東京消防庁に勤務しておりました。
辞めてからだいぶたちますが、消防の世界は世間にあまり知られていないと感じることが多々あります。
それで東京消防庁におけるエリートコースにつき書いてみたいと思います。
首都東京の消防は、地方の消防とはかなり人事制度等が違います。
まず大きな違いは、東京消防庁は東京都職員であることです。
そして、全国の消防で唯一、消防総監という最高位の階級があるということです。
では、どういう人がこのクラスまで出世するのかを以下に、私の同期の例をもとに解説していきます。
東京消防庁には、全国ただ一つ国の官僚と同じようなキャリア制度があります。
採用区分が分かれています。一類という大卒程度採用試験の上に、専門系というほぼ10名しか採用しない、通称特別幹部候補生がいます。
給与も大卒よりは高いです。
私の当時は理工系は受験資格が大学院卒で、法律系だけが学部卒で受験できました。
試験はかなりの高倍率で難関です。
有名大学出身者ほぼ占めます。
私の同期では、横浜国立大院、筑波大学院、都立大学院などです。
ほぼ理工系が多く、法律系は2名でした。うち一人は中央大法卒です。
この専門系採用者がどれほど優遇されているかというと、無試験で消防士長という小隊長クラスまで3年で昇任できます。
そしてほぼ全員が消防司令という大隊長クラスまで、30代でなれます。
司令試験の実務年数も大卒より短いです。
私の同期で消防司令まで昇任できなかったのは、1名だけです。
そして、その大半が消防監から消防正監という、署長以上の高級幹部まで出世しています。
この専門系採用者が事実上、消防総監候補となることが多いです。
過去の消防総監の学歴は、東大法、京大法、北大院、日大理工、埼玉大、早稲田大理工、専修大法、中央大法、などで、現在の総監は防衛大学理工卒のもと幹部自衛官です。
そしてこの専門系採用者は、現場が短く、消防署勤務を短期間で終え、すぐ消防士長クラスで大手町の本庁勤務となり、重要な課へ配置されることが多いです。
本庁と消防署をいききしながら、どんどん出世していきます。
だいたい消防署には二年程度しか勤務しません。
さらに、東京消防庁には委託研修生という国内留学制度があります。
有名国立大学大学院の修士課程に留学して、修士号をとります。
行先は、東大院、政策研究大学院大学、筑波大学院、東工大院、都立大院などです。
この委託研修生の選抜試験は非常に難しく、この研修に派遣されれば、人事は本庁扱いとなり、専門知識を活かしたポストにつくことになります。多くは本庁勤務が中心となります。
この委託研修生は、専門系採用者が合格することが多いです。
つまり、東京消防庁の高級幹部は、いわゆるダブルマスターがいるということになります。修士号を2つもつ人が多くいる高学歴集団ともいえます。この点が地方の消防と決定的に違うところです。
世界最大の消防機関、職員数1万8500人という巨大組織は、官僚的に運営されており、高級幹部はこの組織運営の中枢となります。
この中でも、もっともエリートコースなのは、専門系採用者かつ政策研究大学院大学か東大院へ国内留学した委託研修生です。
私の同期や後輩、同僚をみると、ほぼ本庁の部長級である消防司監や都の局長級である理事や次長、総監にまで昇進しています。
同期では方面本部長、消防正監に昇進しています。
民間で言えば、役員クラスの高級幹部です。
しかし、やはり大組織のエリートの道は厳しいです。
当然、要求される能力は高いものがあります。
全員が本庁部長級までいけるわけではありません。
このコースの中でも、ふるい分けがあります。
まずは、消防司令補か消防司令の階級の時に、総務省消防庁か東京都へ出向するかどうかです。外部の民間研究機関に派遣されることもあります。
この出向に行くかどうかが署長以上に昇進できるかどうかの境目です。
一類採用者でも、優秀で若手のうちに本庁勤務歴があり、将来性が見込める場合は、多くは司令補か司令時代に国に派遣されます。
つまり、東京消防庁においては、ずっと消防署勤務をしているようでは、上級幹部へは昇進できないということです。
ここでまとめると、まずは専門系区分で採用され、委託研修生となり、国か東京都へ派遣されるというのが、基本です。
副署長から署長へ昇進することも少なく、それ以上の昇進はありません。副署長からだと、がんばっても副本部長程度です。
ここでまず定年です。
高級幹部の特徴は、現場経験が少ないことです。
私の採用当時から、救急部も有力部署となりました。
同期でエースはほぼ中級幹部時代に本庁救急部へ配属されています。ここから有力署署長へなった方が多いです。
救急専門でも、早期に救急救命士となり、救急隊長とへと昇任し、大学病院の救命センターで研修を受けた人は、消防司令試験を一度でクリアして、本庁勤務となり、署長まで昇進します。
一類採用者でも、昇任試験をすべて一回で合格して、消防司令まで早期に昇任し、消防大学校上級幹部科へ派遣されれば、署長にはまずなれます。
この他にも英会話研修生や外国語研修生となると昇進に大きく影響します。私は初代外国語研修生として韓国語を学び、その後某署で重要ポストである指揮隊勤務となりました。研修同期は消防司令長から消防司令まで昇進しています。
いわゆる専門系採用者で優秀な人は、もう消防司令補にだいたい28歳で昇任します。中隊長の階級です。この段階で中隊の指揮官ですから、どれだけエリートかわかります。
消防司令がなる大隊長には早い人では34歳くらいでなります。
地方の消防なら、大隊長は50台です。
専門系採用者で優秀なら、署長も50歳くらいでなります。
同期の典型的な昇進パターンをみると。
専門系で理工系区分で採用 理系修士号あり
政策研究大学院大学へ国内留学 修士号取得
消防士長で本庁企画課勤務
消防司令補で消防署管理部門勤務
その後総務省消防庁へ派遣
消防司令で救急部勤務
消防司令長で外郭団体事務局長
本庁予防部参事
消防学校副校長
小規模署署長
有力な方面本部長
予防部長消防司監
総務部長
理事兼警防部長事務取扱 東京都局長級
次長
定年後日本最大の警備会社本社顧問へ天下り
東京消防庁では消防司令長以上の階級で退職すれば、外郭団体や大手企業へほぼ再就職できます。
消防総監までいけば、引く手あまたです。
このような人事のため、東京消防庁は人気があります。
出世をねらう野心的な学生には魅力があります。
全国の消防で一番給与が高く、福利厚生も充実しています。
私は地方国立大学法学部出身でしたので、主流にはなれませんでした。
もともとあまり出世欲も能力もないので、災害の多い激務な署ばかりで、限界にきて15年で退職しました。
あのまま定年までいれば、退職金は2500万円程度もらえ、年金もかなりの額であったことは間違いないです。
消防においても高級幹部はこのようなコースで出世していくのです。
もちろん、多くは消防司令補か消防士長で、現場の隊長クラスで定年となります。本庁勤務者はほんの一握りです。
私でも本庁に行ったのは外国語研修生の時と、指揮隊勤務の時だけです。
大手町の本庁は遠い世界でした。
方面本部ですら、数回しか行ったことがありません。
なにせ、消防署だけでも81署、方面本部も10もあるので。
東京ならではの世界ではあります。