こんばんは。4月のトピックスは以下。
・B'zのLIVEBDが届きました。
・Liella!キャストのソロアーティストデビューについて。
・「伊達さゆりフォト&インタビューブック ~置いてきた傘と地図~」を読んで。
・推しに見返りを求めることがどう悪いのか。
B'zのLIVEBDが届きました。
「B’z LIVE-GYM Pleasure 2023 -STARS-」のBDが届きました。
これを書いている今も隣のモニターで再生されています。自分の中の「LIVE」の概念を塗り替えた昨年のLIVEのBDですね。
写真右がアクリルスタンドなんだけど、アクスタ史上1番でかい。無限に見返そうと思います。
今年はB'zとしての活動がほぼないのでもう終われ2024年。
Liella!キャストのソロアーティストデビューについて。
4/1にStarRise公式より、Liella!キャスト2名のアーティスト活動が発表されましたね。
僕はラブライブ!キャストがソロ活動をしていくことに肯定的なので、素直におめでとうの気持ちになりました。この2人についてというより、ラブライブ!キャストのソロデビュー化について持論を書いていこうと思います。
「ラブライブ!を踏み台にして結局ソロ活動か」というオタクの否定的な声をネットで目にするのですが、僕はラブライブ!が踏み台の弾力性を持っている内に、個人活動をやってファンを囲い込むのが正解だと思っています。
ただ「ソロデビューが早ければ早いほど良い」かと問われると、そんな単純な話でもないと考えます。
ラブライブ!での活動期間を「助走」と呼ぶと、助走が短いキャストは個人活動まで追うレベルのオタクを数多く作れず、1発目のシングルは「個人活動まで追うレベルの内側のオタク」+「1枚目だからご祝儀的に買った外側のオタク」でそこそこの数は出せるけど、そこでインパクト残せないと2発目以降失速・ジリ貧になるパターンになりがちです。
なので助走が短いキャストは、相当の実力を以てしてラブライブ!以外のファンを単体で獲得できるレベルじゃないと、厳しいかなと思っています。
「じゃあソロデビューは遅い方が良いの?ラブライブ!での活動でちゃんとファンを付けてからの方が良いよね?」でも無いかなと思っています。
活動から早い段階でソロデビューした組を先発組、遅い段階でソロデビューした組を後発組と呼びます。
後発組は基本的に先発組に対して不利かなと思います。先発組の方がソロとして積み重ねた思い出や絆が強く、後発組の子も後から推そうとなった時に、先発組に優先順位で競り負けるかなと。路線が被ると特に。
あと、先発組の界隈で上手くいかなかったオタクがこぼれた時の受け皿になりがち。周りにいませんか、純粋にコンテンツに魅せられたのではなく下心を持って移住してきた奴。ただ単に居心地の良い居場所を求めて移住してきた奴。そいつが人狼です。
(オタクのコンテンツ間の移住・他界そのものは否定する気はありません。それによりコンテンツ側に純粋な競争が生まれていくのは良いことなので。)
ただ後発組は助走が長いので、ファン・知名度を抱えた状態で初動を迎えることができ、けっこう安定してスタートを切れるメリットはあります。
まとめると、
・先発組は実力を以て、先行逃げ切り型で個人のファンを後発的に作っていけると良い。挑戦型。
・後発組は助走で作れたファンを大事に零さないようにして、先発組との差別化を図れると良い。安定型。
ソロデビューが全てでは無いのですが、今回は冒頭に述べたようにラブライブ!キャストのソロデビュー化について持論を述べさせていただきました。
僕の最後の推しこと、伊達さゆりちゃんさんのソロアーティストデビューはいつになるんだろうと、4/1の夜に改めて考えていました。
正直、僕はそれ待ちになっています。それ以外の現状の伊達ちゃんの活動にほぼ惹かれてなく、BDイベントだけ行けばよくねの熱量になってます。その時が来たら僕の熱量は復活します。たぶん。
「伊達さゆりフォト&インタビューブック ~置いてきた傘と地図~」を読んで。
僕が追ってる伊達ちゃんのコンテンツである、「手さぐりの旅」が4/22に書籍化されました。おめでとうございます。発売を楽しみにしていたので嬉しいです。
僕の素直な感想はブログにしか書けないので書いていきます。
結論。大ボリュームだけど、僕には物足りなかったです。
全224ページって分厚いんですよ。人殴れる。第13回までのインタビューを収録して、オール新規カットの伊達ちゃんがいて、温泉地でロケした撮りおろしインタビュー3本もあります。
はじめて伊達ちゃんを知る人、深く伊達さゆりという人間を知っていきたい人にはおすすめの1冊です。かなり気合入れて読む必要がありますが、読み応え抜群です。
けど、僕には物足りなかったです。
なぜなら撮りおろしインタビュー3本が期待を上回らなかったから。
過去の回を収録して写真たくさん乗っけたらボリュームは必然的に多くなります。僕は今回の撮りおろしインタビュー3本で、何が語られるか。どんなカードが切られるかに期待してました。
撮りおろしインタビューは、撮影地・衣装→楽曲→パーソナルという展開で話されていくのですが、撮りおろし①②は特に読んでの感想はなく、③の後半が待っていた内容のベクトルではありつつも、自分の想定の範囲内だった。というのが素直な感想となります。
第10回(P166)の吐露に勝てていない。過去の回の方がまだ深くて熱い話が出ていたなって思ってしまいました。期待のハードルを上げすぎたのかな。
『手さぐりの旅』って、その時点の伊達ちゃんの思考が語られているじゃないですか。それを歴史のように振り返る形式にするなら、素直に第1回~最新回→撮りおろし回という構成にすれば良いのになと思いました。撮りおろし回では振り返って終わるのではなく、これからこの連載をどうしていきたいのか、何を伝えていきたいのか。改めて意気込み・展望が聞きたかったです。
『手さぐりの旅』最新回では、タイトルを「置いてきた傘と地図」にした理由が語られていました。
「傘」も「地図」も旅に出る人にとっては大事なものですよね。傘は雨を防ぐために必要ですし、地図も正解の道のりを探す手助けになってくれます。このふたつを置いてくるということは、本当に無計画で進んでいるということなんですけど、忘れてきちゃったというわけじゃなくて、あえて置いてきたことにしたいなと思って。「悩んでもやもやした時期があっても、それを受け入れて向き合っていくことで成長できるよ」という思いを込めて、このタイトルにしました。
タイトルが出た当時(2/29)に自分が予想して伊達ちゃんに送った内容は以下。
傘を持ち歩く理由は雨に備えるため。地図を持ち歩く理由は道に迷わないため。
この2つを置いてきたのは不要になったから。伊達ちゃんが今までの半生や考えを、楽曲と共に振り返ってきたこの1冊により。伊達ちゃんのこれからの旅路を、傘や地図に頼らず胸張って進んでいく意思を表すのかなと思いました。
微妙に解釈が違うのかなと思っていて、僕の場合は【「傘と地図」が必要だったこれまでの旅(=過去の時点のインタビューをまとめた今回の書籍)と訣別して、旅に必要な補助に頼らずこれから自力で進んでいく旅への意思】を表すのかなと思いました。
色々と素直な感想を書いてきましたが。どのお写真もめちゃくちゃ良いです。分かり切ってることだけど、伊達ちゃんは可愛すぎます。P48の右下のお写真とか好物です。
別に今回の書籍の撮りおろしインタビュー3本が期待を上回らなかったからといって、この連載ごと嫌いになることはないです。今後も更新を楽しみにしています。出来ればそろそろ、僕も好きな楽曲が取り上げられると嬉しいなって感じです。
推しに見返りを求めることがどう悪いのか。
毎月のブログで最後に取り上げるトピックスが、1番パワー使う所です。
しゅんき氏のNoteを読みました。ラニーノーズの件でバズっていましたね。僕が今回注目したのはこちらのNoteです。
よく聞きます。
「推しに見返りを求めるな」「見返りを求めて推すことは間違ってる」という、一見すると綺麗な主張を。ファンである自分の側を卑下して、推しは生きて活動しているだけ有難いだの。尊いだの。自分自身を卑下するのは勝手だけど、ファン全体を括って卑下する権利はそいつに無いです。何様?何メロサマーライブ?
僕は推しに見返りを求める側のファンです。
僕の場合の見返りとは、「応援していて良かった」です。これを「成就」と呼んでます。
非オタの友人と話すと、「異性の推しに金と時間と愛を注いでも別にエッチできる訳じゃないよね」という旨の話を喰らうのですが、別にファンが写真集を100冊積んでも推しとエッチ出来ないし、推しの彼氏は1冊も買わなくてもエッチ出来ます。興奮してきたな。エッチしたいだけならシンプルにそいつが界隈を間違えています。話が逸れたので戻します。
推しに対して見返りを求めるのも求めないのも、ファンの自由。ではなぜ見返りを求めることは悪いとされているのでしょうか。自分なりに考えてみました。
◆見返りを求めるタイプのオタクはうるせえから。
成就されないオタクは不満を垂れ流して、仕舞いには推しを叩き始める癌細胞になるリスクが高い。癌細胞は悪い。よって悪い。キューティーキャンサー。
◆推しを推す行為は幸せになるための行為なのに、見返りを求めると幸せになれる可能性が激減し、不幸になるリスクが激増するから。
僕はこっちの方がしっくりきます。多分だけど脳死盲目全肯定オタクくんが1番幸せです。推しのパンチライン不明20点エピソードトークに対して「wwwwww」と中身0実況ツイートしてる人が1番幸せです。推しがやる仕事全てを喜んでる人が1番幸せです。それを送って何になるん?って言うくらい中身の無い推しリプを送ってる人が1番幸せです。
盲目は不幸が見えないから幸せなんです。瞼の裏の幻想しか見えないから幸せなんです。
けど、見返りという明確な欲求が出てきた瞬間、全ては成就と非成就に分類されます。今まで好きでやってきたはずの応援が、見返りの為の出資に変貌します。見返りの為の応援。サンクコスト。もし成就されたとしてもプラスには転じない収支。尊大なリスク。
推しを推す行為は、幸せ・ポジティブになるためのものなのに。
見返りを求めると、不幸・ネガティブになるリスクが増える。
なら推しに見返りを求めることは、悪そうだ。
というのが僕の持論です。
自分の幸せを、第三者に依存してはいけないと小学校の道徳で習いました。自分では手の届かない所に自分の幸せのハンドルを置くなと、教習所で習いました。楽しくオタクやりましょう。説得力0。それではまた来月~。