昨日から今日にかけて、
息子の「こども園」時代の1歳上の先輩K君を、

わが家に招待し、一泊してもらいました・・

 

 逆に今日からは息子のほうが、

K君のおばあちゃん宅にお世話になるのですけど、

出発前に息子は「4泊5日してくるよ!」と意気込んでいました。

 

 もし、それが冗談でなく、本気の発言であれば、

K君のおばあちゃんに恐縮なのですけど――
ホームステイ

今年もありがとうございます!

今後も彼らの夏のホームステイは毎年恒例でお願いします!


 

 「今年もありがとうございます」というのは、

ここ2~3年、うちの子とK君は夏休みの度に

お互いの家に宿泊することを要望し、実現しているので、

「今後も毎年恒例でお願い致します」です。

 

 K君は鹿児島のシュタイナー・スクールで教育を受けていて、

夏休みや冬休みに入ると熊本に帰省し、

その内の数日間を、うちの子と過ごしたりしているのですけど、

今回は5日間の短期集中水泳プログラムも一緒に通い、

昨日はその帰りに、わが家に招きました・・ 

彼らは一人っ子ですから、どちらの家族も

二人のホームステイを歓迎しています。


 

 しかし、男児が一人増えるだけでも普段の倍は賑やかというか、

騒がしいというか・・ 

夏になると小生は上半身ハダカで過ごすのですけど、

毎回のようにK君が小生のお腹を愛でるように撫で回します・・ 

 

 さらに今回は「ちくび!ちくび!」と近づき、つまもうとし、

普段、小生の半裸を見慣れている息子も増長し、

K君と一緒に小生を襲おうとするので、

「ニップレス!ニップレス!」
2名を牽制威嚇(けんせい いかく)し、

その場を離れたのですけど、どこまでも追われるので、

とうとう3人でプロレスごっこに至り、汗だくになりました!!

その結末も毎夏恒例の思い出です!!
半裸であることが、男たちをそうさせるのかもしれません!!

 

 ええ・・ 暑いうえにハダカなので、

余計にテンションが上がりもするわけですけど、

男女問わず、夏の肌の露出は子どもさえも刺激するみたいなので

皆さんも気をつけましょうね!

 

そういうわけで皆さま、暑中お見舞い申し上げます。

 

 

 


 1803年の暮れ、キサの娘(11)と見世物小屋の仲間たちは
長崎の平戸から五島列島を経由し、中国の連雲港へ渡り、
初の海外興行を成功させたのち、モロッコを目指した。

 「陸路をキャラバンで」と想像していると、
「船で海路のほう」と、シャーン師匠。

 

 なお、「一行が連雲港を出発し、
モロッコに到着したのは11ヵ月半後」とのこと・・
モロッコ 

 加えて、「寄港先では5日以上、2ヵ月未満滞在する場合、
同行した藩士から興行を許された」とのことで、
その滞在中も船内に寝泊まりしていたそうだ。

 

 一行がモロッコへ向かうことを強いられたことについて、師匠方からは
「同行の藩士の事情」としか教えてもらえずにいるのだけど、
某藩の二人は西洋列国の実態調査(列国の策謀の情報収集)を
主な任務としていたような感じ・・

 

 前回の投稿の際、「一行は連雲港での初の海外興行を成功させ、
その6年後、グレートブリテン島にまで渡り、
1811年4月、スコットランドでも2ヵ月間興行を続け、
ある藩の望みを叶えた」と聞いたことからうかがい知れるのは、
某藩士コンビの任務の部隊はモロッコで、
スコットランドは成り行きからの自主的な任務追加?

 

 その辺のことに関しても、今のところ
師匠方から詳しいことを聞き出せずにいる
(のらりくらり話をかわされる)のだけど、
一行はグレートブリテン島に着くまで6
年を要したというより、
インドネシアのスマトラ島、モロッコ、ポルトガルのリスボンに
長期滞在しつつ、特に「モロッコ~スマトラ」間は2往復し、
人脈を築き、何故かは解らないけど、
小生の単独のビューイングでは――

維新の後、フリーメーソンのために一番動いたのは薩摩藩で、
その礎
(明治政府による日本刷新)は現在も固くないですか?

 


 いけない いけない・・ 

今回は「キサの娘の生涯」編の最終回としていますから、
その締め括りとして、
「この時代にキサの娘は転生していないのですか?」と、
師匠方に訊いてみました・・ 

 そうしたら、「キサの娘の転生は再来年(2017年)中の予定で、
鹿児島の指宿の事業家の子として誕生する」と、シャーン師匠。

 

 次の人生では両親と一緒に過ごすことができますように・・


 あと、冒険の血が騒ぎだしたら、
君の32歳あたりからの使命のヒントを、
このブログの随所に残せるようにしますので――
火星

次は火星を目指し、裏ではなく、表舞台でのご活躍を!

 


 

 


 

 「普通の人生」を知らず62歳の生涯の幕を閉じたキサの娘・・


 しかし、1803年の秋、彼女(11)と見世物小屋の仲間たちは

「ある藩」の招きから佐世保(長崎)へ行くことを決意し、

その「ある藩」から持ちかけられた相談に応じ、

平戸から海を渡り、五島列島を経由して、
中国の連雲港(ご禁制破り)へ。

 

 そして、一行は連雲港での初の海外興行を成功させ、

その6年後、グレートブリテン島にまで渡り――

1811年4月、スコットランドでも2ヵ月間興行を続け、

「ある藩の望みを叶えた」と、ヤァー師匠。

 


永慶: 一行は無鉄砲に大陸へ渡ったのではなく、

そこには「ある藩との密約(藩士2名同行)」や援助があり、

「外交(政治)やビジネス目的だけではない何か」のための協力で、

どちらかといえば見世物小屋は隠れミノにしたと・・


その裏付けができても、もしくはできなくても、
小説化してみたい話ですね。


 

ジャア: そうかもな(笑)

ともかく、その頃「ご禁制破り」は重罪で、

命を賭けられる者には、相応の褒美が用意された。


 

永慶: 命を賭けるに値する褒美・・
どういう報酬内容でしたか?


 

ジャア: まずは土地・・それと、身分。

あと、苗字を許されること。


 

ナァー: そう・・ それらが当時のステータスシンボル。
 

それに、彼ら(主に見世物小屋の運営者)は

世間でいうところのヤクザ者で、

「人生を一転させる大バクチ」を常に欲し、

そのためだけではないけど、情報網の拡張と維持に最も力を入れ、

そのネットワークって実は――

交易ルート
一時、スベインの交易ルート上の国々
(遠くはモロッコまで)も通じていた。



 

永慶: えっと・・
その辺のお話は、すごく興味がわきますけど、

ここで、のめり込みますと、また別の枝(シリーズ)が
できてしまいそうで、
本題が先に進みませんから、次回は――

ひとまず「キサの娘の生涯」編の最終回とさせて頂き、

交通整理をお許しください。 ←(任務)



 

チャーン: 仕方ない・・ けど、最後に一言!


諸君、ペリーが艦隊を率いて浦賀に来航(選択)した陰に、

“ 当時の山窩(サンカ)ネットワークあり ” かもよ (ぼそ)

 

 

永慶: そ、その件にも興味絶大ですけど、

ほかの件との兼ね合いがあるので、

ブログでは取り扱わないように努めたいと思います

 



 


 

 キサと、彼女の弟の間に生まれた女のコは全身毛むくじゃら・・


 そのことから、仲間たちから忌み嫌われ、

彼女が2歳のとき、ある集団のところへ里子に出されたそうですけど、

キサは母親でもあり、「仲間を守ることを第一の信条としていた」と、

師匠方より聞いていますので、「その子のゆくえ」が気になります・・


 

ナァー: いろいろ嫌な思いをしたけど、

娘は仲間に囲まれ、62歳まで生きることができた。

 

 

永慶: そうでしたか!

「キサの仲間たちから忌み嫌われた」と伺い、

容姿の件では気の毒に思いましたけど、仲間に囲まれたのであれば、

いろいろ嫌な思いをしても励ましてもらえたことでしょう・・ ね! 

励ましてもらえましたよね!

 

 

ナァー: な、何故、「ね」を強調する

ま、彼女の幸せを願ってのことだろうけど・・ ね!

 

永慶: 私も人の親ですから、

2歳で親元から引き離され、里子に出される子どもの気持ちや

「その先(将来)」のことを想うと、幸せを願わずにいられません・・


しかし、その頃の日本の福祉や人権のことを想像しますと、

やはり、その子は――

苦悩に満ちた生涯を送らざるを得なかったのでは!?


 

キャーン: Yes・・ 

生きている間、彼女はいつも「死にたい」とか、

「親を許せない」と、口にするばかりでなく、自身を卑下していた・・

聖書
30代の頃、キリスト教と出合わなければ、

その後の人生は無いに等しい。


 

永慶: では、キリスト教との出合いにより、

彼女は自身の境遇を受け入れることができるようになり、

立ち直ることもできた・・

そう捉えてかまいませんね?


 

ナァー: 脱皮する感覚を2度体験し、目は開かれたから、

幼い頃からの怒りも憤りも「郷愁じみたもの」に変わり、

「自身の役割」を生きることができた。


 

永慶: 役割を自負したり、自覚できたのであれば、

その集団の人間関係において、

彼女は要として居場所も得ることができたでしょう・・

少なくとも、たくましさは得られたみたいですね。

 

ところで、彼女はどのような集団に預けられ、

そこで、どのような仲間に恵まれたのです?

 


 

ジャア: 嫌な話になるけど、仲間には恵まれたのではなく、

「同じ境遇の者たちとの共同生活」を強いられていたから、つまり――

被差別民よりもさらに苦々しい思いの連続に、

彼女らは境遇が似ていても、
お互いに対しての同情や励まし合いより、

「解らないフリ」をして、自分を隠しあっていた。

 


永慶: 「解らないフリ」とは、知能の程度を低く見せた

(精神遅滞を演じた)わけですね・・


では、キサの娘は「よほどの所」に預けられたというか、

察するに「人身売買」された・・

そういうことですね?

 

それと、お許し頂けるのであれば、

キサの娘の名前を教えて頂けませんか?

 

 

ニャーッ: だね・・しかし、生後間もなく

売られることが決められていた子だから、

幼いときの名前は無いんだけど、

4歳あたりから芸名で呼ばれ、

彼女を目当てに来場する客が多くいた。

 

 

永慶: 予想はしていましたけど胸が痛いです・・
彼女は見世物小屋か何かに売られ、

生き延びることができたわけですね?

 

 

ヤァー: そう・・ その呼び名(芸名)についても、

胸を痛くするから明かさないまま話を進めよう・・

それでなんだけど、キサの娘たちの巡業先で一番遠方はどこだと思う?

 

 

永慶: 一番遠い巡業先ですか?

キサの娘は江戸時代(1790年代)の生まれでしたら、

その頃、日本は鎖国していたので、
巡業先は国内に限られると思いますけど、

南九州(鹿児島・宮崎)あたりまで足を伸ばしていましたか?


 

一同: ハズレ! 

国内で一番遠くは五島列島で、

さらに遠くはスコットランドさ!


 

永慶: スコットランド!?
スコットランド 

マイノリティーには鎖国もなければ、国境もないわけですね!!


 

シャーン: 70年くらいまえまでは日本も
「見つからなければ、何をしてもいい時代」だったのさ・・


余談になるけど、もし、その頃の者たちが諸君らの社会を訪れ、
その2泊目くらいに口にしそうなのは
―― 
「何がしたくて生きてんだ」だね。 



永慶: えっと・・ 
どう返していいか分かりませんので――
一旦、「キサの娘の生涯」②へ続きます 


 


 U女史の前世であるキサは「15歳で第一子をもうけ、

24歳までに6人の子宝に恵まれた」と、ナァー師匠。

 

 ちなみに、その子どもたちの父は2人。

ひとりはキサの弟で、もうひとりは一族のボス。 

彼はキサと親戚関係。


 

 その辺のことで気になるのは、「妊娠期間中にサキは

グループと行動を共にできたのだろうか?」ということ・・ 

 

 そのことについては、U女史の過去世へのアクセスの許可を

師匠方から頂いたときには思い付かずにいたので、

昨日、改めて訊いてみると――


 

ヤァー: 妊婦にサバイバル生活とか無茶でしかない。 

妊娠した一族の若い女性たちはしばらくすると、

「室(ムロ)」に身を寄せ合い、
それぞれのグループの近況を知るたび、

ムロに立ち寄る一族ほか、サンカ仲間への伝達を役目にしてた。

 

永慶: なるほど・・ 
そういうふうにキサの一族は情報伝達していたわけですね。
 

 ところで、ムロと申されますと、
いろいろなタイプが思い浮かべられるのですけど、

キサたちの場合は「山腹などに掘って作った石室」
ということになりますか?


 

キャーン: ま・・そういうのは母子に酷でしかないから、

キサたちの場合は墳墓(盛土のある墓)を仮宿とした。


 

永慶: 墳墓・・ ?
それ、古墳のことですよね?
保渡田古墳群

 古墳といえば、その内部は暗くてジメジメしてて、
カビ臭いイメージですけど――

そっちのほうが母子に辛くありませんか!??



 

ヤァー: いや・・ 
君は九州内に残る墳丘のムロをイメージしてるけど、

キサたちが選んでいたのは、現在の群馬県高崎市に残る古墳群。
薬師塚古墳①

夏は涼しく、冬は温かく、快適に過ごせたし、

ときに「お供えもの」で飢えをしのげた。


 

永慶: そうでしたか・・たしかに九州と上州・信州では

気候(特に湿度)が違いますもんね。 安心しました。
薬師塚古墳②

 さて・・ 「群馬の古代王族(車持氏)」についても

お訊きしたいところですけど、
「その件は別の機会に」とさせて頂くとして、

もう1つキサのことで確かめておきたいことがあります。

 

 それは、キサが22歳のとき、すでに子どもが二人いましたよね?


 しかし、22歳~24歳までの2年ほどの間に

4人も増えているのはどういうことです?

もしかして、双子のツーペアに恵まれたとか?



 

シャーン: いや・・ その際は、三つ子が一組。


 その後、女児を一人もうけたんだけど、

その子は全身毛むくじゃらで生まれたことから忌み嫌われ、

2歳のときに仲間を通じて里子に出された・・


 

永慶: 辛い話です・・その子は染色体異常でしたか?


 

シャーン: 違う・・ 

異常と見なされるだろうけど、
それは「ある種の遺伝特性」としておく。



 

永慶: おや? 何だか「意味深」な感じですけど、
もしかして、いつものように――

話をSF領域に持ち込もうとしておられませんか!?

 

 もし、そのおつもりでしたら、その前に、

里子に出された女の子の行方について、お聞かせ願えませんか?

 

 キサたち一族が「仲間を守ること」を
第一の信条としていたのであれば、
その子をどこに預けたのか気になります。

 


 

一同: 仕方ない・・

君に課している執筆計画から外れてしまいそうだけど――

「客人U女史の前世」番外編に続こう!


 

永慶: ありがとうございます!

そのようなわけで皆さま、今週はこの辺で! また来週!!

 

ヤァー: こら! 
「今週はこの辺で」って、今日は水曜だし、

君は金曜までは投稿しなきゃでしょ!?


 

永慶: 申し訳ございません・・  

基本としましては「月~金は毎日投稿(土・日は休み)」と
させて頂いているわけですけど、

実は明日、パートを終えてから
家族でキャンプへ出かけたいので、よろしければ――

ブログへの投稿再開を28日(火)とさせて頂きます! ←(独断)


 

一同: 木・金曜のみならず、
月曜までもサボるつもりかぁああ~~~  

 

 


 


 キサたち一族は いわゆる「山窩」で、定住することを拒み、
4ヵ月ほどで上州と信州を往復していた・・

 

 もう少し具体的に視てみるなら、
キサたちは日本三大奇勝の一つとされる
群馬の妙義山あたりから、
群馬の妙義山
長野の塩見岳までを回峰するかの如く、
長野の塩見岳 
旅暮らしを続けていた被差別民で、
キサたちのグループは1789年の秋時点では5人。

 

 グループの内訳はキサ(22)、その弟(18)、
キサと弟との間に生まれた女児2人。
そして、一族3
グループののボス(32)という構成。

 グループ内ではフリーセックスが容認というか、
どちらかと言えば推奨されている様子で、
同じグループ内であれば親兄弟(近親相姦)であれ咎められず、
生まれた子どもは「グループの子」として育てられる。 

 

 そのような措置が取られていたのは、過酷な暮らしの中で、
子どもの生存率が高くないことから、共同体の出生率を上げ、
身内を絶やすことを避けたからではあるようだけど、
「そもそもは成り行き」と申しておられたヤァー師匠。

 

 しかし、その「そもそもは成り行き」という言葉は、
情けないとか、好ましくないとか、
褒められないという体たらくではなく、

いつまで生きれるか判らないことから、
「生きているうちに好きなことをしよう」ということからの往生際。 



 その死との隣り合わせのサバイバル生活は、
「仲間を守ること」を第一の心情(信条)とし、
自分たちの仲間を得る目的から、
「定住を拒み、身を隠す如く、山野を渡り歩く暮らし」を貫いた様子・・

 

 その頃のキサたち一族を含め、列島に暮らす人々が、
どのような気持ちで日々を過ごしていたのか、さらに知りたくなった・・


 「客人U女史の前世」編③へ つづく。

 



■ 客人U女史の前世 ①は「こちら

■ 祝☆ ツヨシによる『架空の村』づくりのすすめ ブログ開設




 5月の『レイキ体験交流会』に参加して頂いたU女史の施術の際、

彼女の過去世の1つが浮かんだ・・ 

時は遡ること230年ほど前(江戸時代後期)の群馬山中。

 

 「徳川家斉が在任して間もない頃」と、
シャーン師匠のガイド付きとはいえ、 

いきなり「男女のまぐわい(青姦)」の場面に慌てた

 

 しかし、二人とも赤裸々(包み隠しなく丸裸)ではあるのだけど、

エロさよりも、ヘルシーさを感じた。

 

 すると、「グループ内であれば親兄弟(近親相姦)であれ咎められず、
生まれた子どもはグループの子として育てられるという風習」と、
再びシャーン師匠の解説・・


 伝えられた情報に絶句したものの、
正直に言えば、
その「タブーなど脳みそのウンコに思えてしまう大胆さ」というか、

二人を含む一族の習俗に「こ、これは新しいかも!」と、
U女史を前に感嘆した。

 何だかうまく言い表せてないけど、とにかく、

ごちゃごちゃ頭でこねくり回してアウトプットされた理屈など――
よろしければ、どなたか小生の代わりに名言を残してください(頼)


 

 話を戻して・・
シャーン師匠によると、その一族は
“ いわゆる山窩(サンカ) であるそうで、
定住を拒み、四季の山々を渡り歩き、暮らしていた日本のジプシー
というイメージを持っていた小生なのだけど、
「彼らの先祖は戦火を逃れるため大陸から日本に漂着し、
その頃(1787年)は被差別民に近い扱いを受けていた」とのこと・・


 

 ウィキペディアで検索してみると、

サンカは、日本の山地や里周辺部で

過去に見られたとされる不特定の人々を指す言葉である。

 

 その指し示す範囲は広く、回遊職能民であったり

特殊な窃盗団など、時代や立場によって定義や趣旨も大きく変わり、

語義を明確にすることは難しい。 

 山窩

 その生活形態については、
定住することなく仕事を求め村々を移動する。


 定住ではないため拠点(天幕、急ごしらえの小屋、自然の洞窟、

古代の墳遺跡、寺等の軒先など)を回遊し生活しており、

人別帳や戸籍に登録されないことも

珍しくなかった人々であったとされている。

 

 サンカは明治期には全国で約20万人、

昭和に入っても終戦直後に約1万人ほどいたと推定されているが、

実際にはサンカの人口が正確に調べられたことはなく、

以上の数値は推計に過ぎない。

 

 

 という解説なのだけど、

U女史の前世においての人物「キサ」の生涯を見せて頂いた際、

小生に届けられたのは――

「自分たち職能民を邪魔にしたがる里の者たちにも、

いつか生き方の真髄を教えてやる」という不敵!


 

 それは南米の密林の戦士たちが、

木々の隙間から観光客(現代人)を目にし、

即座に「うちの娘たちより弱そう」と感受することに似て、

キサの場合も「肝(きも)なら負ける気しねぇな」な微笑。

 

 

 つづく。

 


 本日は第二回『架空の村づくり会議』の開催日。
 

 19時からの開始ということで、
今日は投稿のタイミングが普段よりも早いわけですけど、
このあと いろいろ用事があるので慌てていたり、
さらに会場である『とぅから家』までは自転車で向かいますので――

この続きは帰宅したのちに! ←(遅刻&サボリ防止策)


 以下、「ようやく追記(3日ぶり)」となります。


 
「この続きは帰宅したのちに!」としながらも、
17日(金)に開催されました第二回『架空の村づくり会議』から
3日経過しています・・ 
皆さま、
申し訳ございません。


 

 この3日間、何をしていたのかと申しますと、
現在、息子が夏休みに突入しておりまして、
18日(土)は彼が
映画が観たいというので、
ポケモンの『光輪の超魔神フーパ』を、
その後、少林寺武術の体験会へ参加。

 

 19日(日)も、小生たち家族が暮らしている町の情報交流センターで
『おさるのジョージ』が上映されるというので同行していました・・
「おさるのジョージは前にも観たことあるのに」です

 

 ちなみに今日も息子は
妻と一緒にお芝居か何かを観に行っている最中で、
「その間にブログの投稿を完了させねば」な小生なのですけど、
夕方からは小生もどこかに連れ出される予定です(疲)


 

 ともかく、 17日(金)まで話を戻します・・
第二回『架空の村づくり会議』 
 改めて、「この続きは帰宅したのちに!」としていたにもかかわらず、
その日の帰宅は日付を超え、午前2時を過ぎてしまい、
早朝からのパート勤務のため、帰宅後からの投稿を諦め、
そのまま寝ることにしました(詫)



 その日の帰宅が午前2時過ぎに至りましたのは、
一旦、21時に閉会した第二回『架空の村づくり会議』なのですけど、
その直後から反省・今後の検討会議に突入し――

「どうやら、こっち(検討会)のほうが本番みたい」という内容で、
本会議の閉会後の居残りメンバーで、
時間を忘れて盛り上がったのでした
(ノ∀`)


 

 さて・・ その夜、どのような話(新案件)で
居残り組が盛り上がりをみせたのかと申しますと、
「少し時間を置いてお伝えしたほうが良さそうな件」を含みますので、
「現段階でお伝えしても、ツヨシが慌てずにすみそうな件のみ」を
ピックアップさせて頂きますれば――

★ 近日中、ツヨシが『架空の村づくり会議』ブログ(仮称)
  開設致します!
(アメブロを予定)

★ 現在、行われている『架空の村づくり会議』に並行し、
  『架空のづくり会議』の開始の検討に入りました!

★ そして、ツヨシの村長としてのスーパーサイヤ人化を熱望し、
  講話会などの開催の検討にも入りました!


 

 そのようなわけで、これから先の講話会におきまして、

自薦・他薦を問わず「ツヨシとの対談相手」を
募集させて頂けたら幸いです・・
あ、この件は小生の独断です。

 

 独断のついでに、上記の自薦・他薦の件は問いませんけど、
ツヨシとの対談の前の通過儀礼として――

是非、小生との対談(非公開)を希望させて頂けませんか?

 


 え? そういうことを希望したら逆に、
どなたからもお申し込みを頂けそうにないですか  


 

 あり得ますよね・・
そこで、もし、「非公開でも永慶氏との対談(接触)は遠慮したいけど、
ツヨシ氏となら是非」という方であれば、
以後、ツヨシによる『架空の村づくり会議』ブログ(仮称)を
窓口にお選びになられ、彼との対談へのご応募をお願い致します・・



 とは申しましても、
この取り計らい(小生の独断)の真意」
お分かり頂けそうな方でしたら、

「のどかで ゆる~い連中じゃなさそうだ」ということも
お分かり頂けると思いますので――
くれぐれも営利目的のみでお近づきになられませんよう、
事前の気骨とし、周知させて頂きます。

 

 

 今宵、「クニづくりにも似た ムラづくり」に先駆け、
一筆奏上&天○○下へゴメン。






 

 高校時代の英語のN教論は巨人軍の絶大なファン。


しかし、ジャイアンツが試合に負けると、次の瞬間、必ず荒れ、

その不機嫌はジャイアンツの勝敗次第で数日続くものですから、

当時、小生もクラスメイトたちも、
その緊張から授業に身が入るどころか、

「重苦しい空気に耐えていたこと」を思い出しています・・

 

 

 何故そのことを思い出すのかと申しますと、

昨日、 自民・公明の先導により、

集団的自衛権の行使を可能にすることなどを盛り込んだ

安全保障関連法案が衆議院の特別委員会で可決され、

今日は衆院本会議で可決されてしまい、

国会で成立してしまう公算が大きくなりましたから――

 今宵、「英語のN教論以上」に、

機嫌が悪くてナーバスな小生なのです!!!

 

 

 話が逸れますけど、小生は巨人軍のファンではありません・・

それ以前に野球自体に興味が湧かずにいます。

 

 ええ、一部の人たちからは「つまらない男だ」と

見なされるかもしれません。

 

 ちなみに、ゴルフに対しての興味も乏しいもので、

これまた一部の人たち(主に企業人)からしますと、

小生のようなタイプは――

「人間あつかいされない」というのは本当でありますか!?

 

 

 ともかく、小生の野球への興味や関心が人並み以下であるのは、

高校生の頃、「N先生みたいになりたくない」と思い、

彼を避けて行動していたことが関係していそうです・・

  

 そういうふうに誰か、あるいは受け入れられずにいる何かを

拒み続けることは、己の抑圧にも似て、

野球を愛する人たちとの共感や共鳴よりも、

見えない壁に恵まれ――

 自分の好まない事柄(執着)が、

分離感や疎外感の生みの親にもなるわけです (ノД`)

 

 

 

 そのことを安全保障関連法案に重ねて自問してみましたら、

「ジュネーブ条約が自衛官に対して適用されるまでの間は

バランス重視で慎ましやかな暮らしを」と師匠方・・ 

 

 ジュネーヴ条約とは、

戦争時の傷病者や捕虜に対する人道的な扱いを求め、

提唱されている戦時国際法としての条約です。

 

 戦時国際法は、戦時のみに適用されるわけではなく、

宣戦布告のされていない軍事衝突も含め、

あらゆる軍事組織に対して適用されるようですけど、

海上自衛隊 

「自衛隊は軍隊ではない」というタテマエである日本は、

外国軍隊への後方支援にしても、

「適法な行為の支援で、武力の行使とは認められない。

よって、わが国は紛争当事国ではなく、

自衛官に対して、ジュネーブ条約は適用されず、

捕虜として扱われない」(15日、岸田外務大臣)と、ヘンテコです。

 

 

 心配です・・ 
捕虜の人道的待遇を義務付けた同条約が

自衛隊員に対して及ばないということは、

彼らが拘束されても、捕虜の待遇を受けられないので、

拷問や即時処刑(無条件に殺害)もあり得るということ・・

 

 なので、師匠方の申される

「ジュネーブ条約が自衛官に対して適用されるまでの間」とは―― 
そういうふうにならぬよう、祈るばかりでなく、

アクションとシャウトを交えて、己のバランスとしたいです(慎)

 

 

 今回も気持ちの赴くままに、いろいろ書いてみました・・

しかし、当初の予定としましては、
「仮に入浴(混浴)施設を架空の村のシンボルに位置付けるとするなら、

村は熊本のどこら辺に置かれそうか?」について書きたいと
考えていたにもかかわらず、

昨日から安全保障関連法案の可決の件で、メラメラとしてしまい、

一旦、自分を落ち着かせようと、

クールダウンの目的で綴り始めたのですけど―― 

安保法案反対 

 戦争につながりかねない法案には絶対反対!!

その廃案を強く求め、この先もメラメラと全身全霊で火の玉

 



 

 


 

 安全保障関連法案(集団的自衛権の行使)が衆議院の特別委員会で

自民・公明の賛成により可決された。 


安保法案反対 

 国会周辺はもとより、全国各地で「法案の成立を止めろ」
「憲法9条を壊すな」「今すぐ廃案にすべきだ」と、
多くの人が叫び、大きなうねりを見せている。


 

 総括質疑の中で安倍首相は
「まだ、国民の理解が進んでいないのも事実だ。

だからこそ理解が進むように努力を重ねていきたい」と述べたのだけど、
一方で「審議は尽くされた」とはどういう道理か? 

国民に懸念や不安が沸き起るのは当りまえだ。 

 

 13日(月)、安倍首相は東京都内で開かれた会合で、

政府の子育て支援に関連し、
安倍首相

「将来を担う子どもたちは日本の宝だ。

すべての子どもたちが、未来に希望を持ち、

夢を実現する意思を持って、

自分たちの道を歩んでいく手助けをしていくことこそが
教育の役割だ。
特に幼児期の教育は、
生涯にわたる人格形成の基礎を培う大切なものだ」
と述べ、

幼児教育の段階的な無償化など支援に取り組む考えを示したのだけど、

国民の声に応えず、憲法違反そのものと云える法案の強行採決という

暴挙に出ておいて、「幼児教育の段階的無償化」は折り合いのつもりか? 

 

 教育とは言い換えれば方針だ。 

 

 その教育が「集団的自衛権の行使」を推し進める

自民・公明の両党による方針となれば――

それは「ゆりかごから墓場まで」のドナドナ。


 

 若人の連れて行かれる先が戦場という市場でありませんように。