「普通の人生」を知らず62歳の生涯の幕を閉じたキサの娘・・
しかし、1803年の秋、彼女(11)と見世物小屋の仲間たちは
「ある藩」の招きから佐世保(長崎)へ行くことを決意し、
その「ある藩」から持ちかけられた相談に応じ、
平戸から海を渡り、五島列島を経由して、
中国の連雲港(ご禁制破り)へ。
そして、一行は連雲港での初の海外興行を成功させ、
その6年後、グレートブリテン島にまで渡り――
1811年4月、スコットランドでも2ヵ月間興行を続け、
「ある藩の望みを叶えた」と、ヤァー師匠。
そこには「ある藩との密約(藩士2名同行)」や援助があり、
「外交(政治)やビジネス目的だけではない何か」のための協力で、
どちらかといえば見世物小屋は隠れミノにしたと・・
その裏付けができても、もしくはできなくても、
小説化してみたい話ですね。
ジャア: そうかもな(笑)
ともかく、その頃「ご禁制破り」は重罪で、
命を賭けられる者には、相応の褒美が用意された。
永慶: 命を賭けるに値する褒美・・
どういう報酬内容でしたか?
ジャア: まずは土地・・それと、身分。
あと、苗字を許されること。
ナァー: そう・・ それらが当時のステータスシンボル。
それに、彼ら(主に見世物小屋の運営者)は
世間でいうところのヤクザ者で、
「人生を一転させる大バクチ」を常に欲し、
そのためだけではないけど、情報網の拡張と維持に最も力を入れ、
そのネットワークって実は――

一時、スベインの交易ルート上の国々
(遠くはモロッコまで)も通じていた。
永慶: えっと・・
その辺のお話は、すごく興味がわきますけど、
ここで、のめり込みますと、また別の枝(シリーズ)が
できてしまいそうで、本題が先に進みませんから、次回は――
ひとまず「キサの娘の生涯」編の最終回とさせて頂き、
交通整理をお許しください。 ←(任務)
チャーン: 仕方ない・・ けど、最後に一言!
“ 当時の山窩(サンカ)ネットワークあり ” かもよ (ぼそ)
永慶: そ、その件にも興味絶大ですけど、
ほかの件との兼ね合いがあるので、
ブログでは取り扱わないように努めたいと思います 
