父の事をご心配をして下さっていたみなさま
ありがとうございました。
9月19日 23:59
自宅にて、安らかに永眠致しました。
少し詳細をつづらせて下さい
父は軟部腫瘍(左下腿類上皮肉腫)という希少がんで闘病しておりました。
リンパ節や肺にも転移し、
この数週間は血糖値が下がり続ける状態で、とんでもない量の糖分を点滴で24時間入れてなんとか生きているというような状態でした。
訪問看護を受けながら
自宅で最期を迎える準備をしていきました。
先週からは、せん妄(意識が混濁している)状態で、反応も弱くなり、
いよいよ昨日は痰吸引が際限なくなってきて、
呼吸も荒い
お世話を続けている姉も母も限界に近い
何より父が可哀想で…
姉からの知らせでは、
お医者様に
深く鎮静化させていく坐薬を入れてもらい、
しばらくして、たまたま誰もお部屋にいない時に父は心臓の動きを止めたようで、
異変に気付いて声をかけたら
2回大きく呼吸をして、
息を吐いて終わったとの事です。
ちょうどたまたま誰もいない時に、なんて、
そんなところがさすが周りに心配をかけたくない父らしいです。
でも、父の希望通り、大好きな家で、たくさんの優しき人々に介護され逝きました。
私はその少し前に父に会えていて、
その時の父はグレーのガラス玉のような目をしていて
透き通るように綺麗な顔をしていて、
そんな父を見て、すぐにこのあと何が起こるのか理解しました。
それで、
なんというか、
そのまま実家に泊まる選択もあったのだけど、
実際に看取るのは、日頃父のお世話を一生懸命にしてきた人たちだけがしていい特権と言いますか、権利と言いますか、天の理とか、そんな風に思って、おこがましく思って、姉たちのご飯だけ用意して帰る事にしました。
18:40
帰るな、また来るな
と、声をかけると
体は全く動いていないのだけど、
その目の奥が優しく、少し寂しく輝いて、
でも、清々しく笑っていて、
あの目を見れて、本当にもう心残りはないと感じました。
実際、その数時間後のお別れとなりました。
ゆっくり覚悟を決めていけていた分、涙よりも、うんうん、ご苦労様という気持ちが優って、泣けないでいたのですが、
唯一泣いてしまったのが、
父が逝った時に母が父を抱きしめて
「うちと結婚してくれてありがとう!!」と号泣していたという話を聞いた時
大切に育ててくれてありがとう
父はよく頑張って、幸せな人生だった
無欲の愛の人だったなぁ
理想的な死にゆく様だなぁと思いました
どう生きて
どう逝くか
そうか、
こうしていろんな解釈で昇華されていくんだなぁ
死はその人の元から離れ、残された人のものになるのだなぁ
と思いました。
最後の最後までそんな気付きを与えてくれる
父、あっぱれ!
葬儀の日程などはこれから決めていく事になるのでまだまだやる事はありますが、それが終わったらほんまに姉と母を心から労ってあげたいです。
で、
そんな日に絶妙な迷惑メールが…
なんやったらもうほんまに父からでもええけど
ここではどうかなと思うので何があったかは割愛しますが、
人の生死の前後って
まぁまぁスピ的な事が起こりますよね
そう受け取るような心理になっているだけとも言えるのでしょうが。
最後に
私が個人的に思った『介護している人の助け』となる事
・良い香りのものをプレゼント
・食事の用意
・寄り添い(傾聴、共感、労り、労い)
・買い出しのお手伝い
・マッサージ、ストレッチ
・ゆっくり入浴させてあげる
もっともっとあると思いますが、
直接お手伝いできなくとも、何か自分が役に立てる事、一つはあるものですね
口出ししない、という事さえも役にたっていたりする
という事で、長々とすみません。
心の整理と、健忘録にお付き合い下さり、心から感謝致します🌈✨
みなさま、今日も今日とて良き日をお過ごし下さい♡
