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嵐&松本潤くんと《Enjoy☆Happy☆lucky☆らいふ》

嵐☆松本潤くんをこよなく愛し応援し続けるブログです。


愛ゆえに時には辛口に。でも潤愛はダダ漏れに。

元ブログがいろいろ不便になり、2017年5月に勇気をもってお引っ越ししました。


こんばんは!
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす(╹◡╹)

やーみーおーちーーー(O_O)
家康、ぶーきーみーーー(; ̄ェ ̄)

というわけで、今日もじゅじゅ的どうする家康考察、頑張りますっ( ´∀`)

*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*

さて、皆さんは先週の築山事件からの気持ちの切り替えはうまくいきましたでしょうか…
第26回「ぶらり富士遊覧」
我らが家康殿は、心の底ではどっぷり引きずっているのに、なぜか表には出さず、憎っくき相手の信長に媚びへつらう姿に家臣団の心も離れてしまいそうになり。
ようやく徳川家臣団の面々に本心を話す…
という回でした。

タイトルバックは富士山とタヌキ。

タヌキ。

家康のパブリックイメージに近づいていきます…


何考えているかわからない家康の表情、(ていうか、表情がないんだけど)とにかく不気味で、前半のうちらの可愛い白うさぎがこんなに闇堕ちするものかと。

そして、その感情をなくした顔つき、そう、表情じゃなくて顔つき、だよねー。

(この画像、髪下ろしてるから特に不気味だー)


感情をなくした顔つきから一変して微笑むと、不気味を通り越して怖いんだけど!

(しかし、相変わらずまつ毛バッサバサ!綺麗だなー)


【武田家滅亡】

武田勝頼は、天正10年3月、織田・徳川連合軍の攻撃を受けました。


ドラマの中で、穴山梅雪(演:田辺誠一さん)が「家中の多くが敵に寝返った」と勝頼に報告し、さらに自分自身も勝頼と袂を分つ決意をする場面がありました。


この時から遡ること5年ほど前、信長から逃れて紀伊の国にいた将軍・足利義昭(覚えてますか?古田新太さん演じたバカ殿です!)の命で、武田・北条・上杉は三国同盟を結びました。


あ、ちなみに、この紀伊の国、というのが、秀吉が戦っていた毛利の所領です。

またまた繋がりましたね!

毛利輝元が足利義昭を庇護したため、織田に攻められていた、ということ。


話がそれました(^_^;)

勝頼は、一旦は北条・上杉との同盟を結び、北条氏政の妹(北条夫人)を継室に迎えるなど、関係を作り上げていました。


ところが、上杉謙信が病死すると、上杉家は跡目相続で揉め始めます。

北条氏政の弟で、謙信の養子に出されていた上杉景虎と、謙信の甥で養子の上杉景勝の家督争いが起きて、勝頼は北条に頼まれ景虎を応援していました。


ところが途中から景勝を推すようになり、(お金で買収された、との説もあります)北条と決裂します。

その頃から勝頼は家臣の信用を失い始め、次々と重臣たちが離反していきました。


武田勝頼といえば、甲斐一国を束ねる武将ですので、本来ならば「城を枕に討死」、つまり切腹するのが武将のプライドであった時代。

山中で下級兵士に首を取られた勝頼の最後はあまりに無惨ですよね。


勝頼には嫡男・信勝がいましたが、北条夫人と共に自害しましたので、勝頼の死をもって武田家の本流は滅亡しました。


【富士遊覧】

信長から武田攻めのご褒美に駿河を貰った家康。

すぐに、甲斐から駿河へ繋がる街道を整備して、そこを信長が凱旋旅行しながら安土に帰る、いわゆる「富士遊覧」が行われました。



ドラマでは、なにか腹に一物ありそうな家康でしたね。

この富士遊覧のじゅじゅのドラマ上の解釈は、無理難題をいい信長に媚びへつらう自分をどこまで信じてくれるか、家康が家臣団を試した、と考えました。


家康がどの時点で信長殺害を決心したのかわかりません。

瀬名と信康を自刃に追い込まれた時か、勝頼の首を見せられた時か、はたまた駿河を氏真に任せたいとのお願いを却下された時か。




いずれ、どこかで家康のスイッチが入ったんですが、それはあまりに大きな謀です。

そして、家康は謀の失敗で大事なものを失った過去がありますよねー。


だから、本当に、本当に、何があっても、どんな自分の姿をみても、それでも自分をひたすら信じてついてきてくれる家臣団だけに、決意を打ち明けたのだろう、と思っています。


家臣に次々と裏切られて逃げ場を失い命も失った武田勝頼と、信長に媚びへつらう家康を見ながらも「それでも我らの殿じゃ」「きっとなにかお考えがあるのだ」と信じ続けようとする家臣に囲まれていた家康の違い、それが今回の裏テーマのように感じたのですが、皆さんはいかがでしたか?


史実では、どの時点で家康が天下取りを意識し始めたかははっきり分かりません。


けれど、前半の弱々しい泣き虫鼻水垂れの殿からの明確な闇堕ちのギャップには、このタイミングでバッチリだったと思います。


やっぱり、史実と創作を繋ぐのが本当に上手い脚本だと、いつも感激します!


【伏線の数々】

そして、今回は「本能寺の変」とその後に向けた伏線が数々張り巡らされていて、凄いなー。


まず、秀吉と鷹狩りの後のシーン。

秀吉が「毛利攻めの真っ最中」との件がありました。



これ、「本能寺の変」に繋がっていきますよね。


服部半蔵が伊賀者を集めていた件。



茶谷四郎次郎も再登場。



そして何よりも、富士遊覧自体が「本能寺の変」が起きる理由に深く関わっていますよね。

富士遊覧のお返しに安土にお呼ばれした家康、その饗応役を勤めることになった明智光秀。



ほらほら〜!役者が揃ってきました♪

次回も楽しみですね〜。


*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*

とまあ、長くなりましたので今日はこの辺にしますが、最後に今回の放送の感想をお友だちが送ってくれました。


嵐の活動休止後初の歌と踊りがえびすくいだとは…


大爆笑😂

確かに。笑。


では。

おやすみなさい⭐















こんばんは。
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす。

というか、テンションがぁぁぁ(´༎ຶོρ༎ຶོ`)

25回がどのように描かれるかわからなかったので、前回、「築山の謀」が出た時に、おーっと、これは次回観てからじゃないと書けないな、と。

この「築山の謀」。
あまりに史実と違い過ぎる、とネット騒然でしたが(汗)、紀行で潤くんと架純ちゃん自身が言っていたとおり、史実なんて事実でも真実でもない、というか、実際のことはわからない。

あくまでもドラマですからっ。
じゅじゅは、史実を知っている上で、「そうだったのかもしれないな…」と思わせてくれる、史実とクロスしている創作部分の作りの妙に感動しました(╹◡╹)

タイトルバックは、一人小舟で去っていく瀬名の後ろ姿。

これが、最後、と言うか、瀬名と家康の最初のシーンに結びつくとは、なんたる伏線の壮大さでしょう!




【築山の謀】

ドラマの中で、瀬名と信康が描いた理想の国は、家康が目指す「厭離穢土欣求浄土」まさにそのものでしたね。

そのために命を賭けて、徳川を守った2人でした。


さて、ここからは史実の話。


通説とされている「三河物語」では、武田方に通じている「滅敬」なる漢方医と築山殿が繋がっていたと書かれています。

また、築山殿と五徳は、五徳が姫君しか産めなかったことなどのいわゆる嫁姑問題で仲が悪く、その煽りで五徳と信康も不仲であった、とも。

五徳は、信長に当てた、築山殿と信康の乱暴、不行を12個もしたためた書状を、酒井忠次に持たせています。

ここはドラマでも描かれていましたね。



ここで、学者さんたちの間でも謎とされているのが、忠次の行動。

築山殿と信康の悪行を並べた五徳からの書状をみて、信長は真偽のほどを忠次に問いますが、忠次は全面的に認め、ふたりを庇うことはなかった、とされています。


家康の側近中の側近、忠次が家康の知らないところで五徳の言いなりになり、正室と嫡男を窮地に追いやる手助けをした、とは考えにくい。


そこで、築山殿や信康が死に至った正当な理由がないため、後から作り上げられた話ではないか、と疑問を唱える学者さんも多くいて、正直、築山事件がなぜ起きたか、明確な結論がでていないのだと思います。


事実としてあるのは、築山殿は二俣城に送られる途中の佐鳴湖(さなるこ)の湖畔で自害を求められましたが応じなかったため、家康の家臣の手で殺害された、ということ。

信康は、大浜城、堀江城と移され、二俣城で切腹を命ぜられた、ということ。

信康の処断について、信長は家康に任せていて(ここもドラマで描かれてていました)築山殿については触れてもいなかった、ということ。

それでもなお、築山殿と信康は処罰を受け、命を落としていること。


まだまだたくさんあるのですが、まずはこれらのことを総合的にまとめて、築山殿と信康の粛清には、家康の何らかの思惑があったのではないか、と考えられてます。


ただ、こういう史実を踏まえた上で、凄いな〜と思うのは、「あー、そういうのもありかも?」と思わせてくれる脚本の力、ですね。


例えば、五徳の書状を信長に届けた忠次が申し開きをしなかったのは、「五徳もグルになった瀬名信康逃亡作戦のためだった」。なーるーほーどーーー!


瀬名が粛清されたのは、「家康と家臣、国を守るため、瀬名が自ら死を選んだから」。なーるーほーどーーー!


歴史学者さんたちの間でも疑問視されていることが、ドラマになるとしっくりくる結末、凄いと思いませんか?


【五徳、その後】

実は、五徳の書状が築山事件の原因とする説に謎が残るのは、事件後の五徳の処遇が大きく関係しています。


正室と嫡男を死に至らしめた嫁の存在は、家康にとって憎むべきものであったでしょう。


ところが、家康は五徳が岡崎を去る際には化粧料田を与えたり、娘ふたりを徳川で育てたり、と寛容な対処をしています。

ちなみに、五徳のふたりの娘、登久姫と熊姫の養育をしたのは西郡の局、そう!お葉です( ´∀`)繋がった。笑。


そして、夫と死別すれば、また有力な武将と再婚するのが当たり前だったこの時代に珍しく、五徳は信長の娘でありながら、信康の死後は再婚していません。

ドラマの中で、信康との別れの時に「どこに行っても岡崎殿と呼ばれたい」と許しを願う五徳でしたね。

これは、再婚はしないよ、ずっと待っていますよ、という意思表示だったのでしょう。



信康と不仲だった、とはいえ、愛情がなかった、とはいえないと思います。

ボタンの掛け違い、こころのすれ違い、そんなものが信康と五徳の間にはあったのかもしれませんよね。

五徳もまた、波に飲み込まれ翻弄され、悪女に仕立て上げられた、時代の被害者だったのかもしれません…


【大いなる伏線】

第25回のタイトル「はるかに遠い夢」を観た時、夢とは「築山の謀」だと思いました。

ところが、そんな大きな大きな謀ではなかった。

瀬名がずっと追い求めていたのは、ほんとに小さくて慎ましい夢、「家族でひっそりと暮らしたい」だったとは(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)


忍びのくせに嘘が下手な半蔵。

忍びではない、忍びではない、とずっと否定してきたのに、信康に言われた時は言い返せない半蔵。

だって、忍びじゃないって認めたら、嘘が下手、も認めることになるからね。

意地でも、うそが下手ではない、瀬名が逃げたのは本当、ってしたい半蔵の気持ちも、壮大な伏線。


「大切なものを守るために命をかける時が来る」

父母からの言葉をうけ、大切なものを守るために、全てを背負わせてください、という瀬名。

これもまた、壮大な伏線。


そして何よりも一番壮大な伏線だったのは…


世の者どもは其方を悪辣な妻と語り継ぐぞ


平気です

本当のわたくしは、あなたの心におります


これが、25回かけて、古沢さんが丁寧に丁寧に紡いできた通説の中に埋もれている瀬名の姿。

まさに、壮大すぎる伏線でした。


家康の言うとおり、後世を生きる私たちには、徳川が書き残した「悪辣な妻」の瀬名が通説です。

でもそうでなかったのかもしれない、とちょっとでも思う瞬間が見ている私たちの中に芽生えていたのなら、それは脚本の勝ち、ですよね( ´∀`)


まだまだ書き足りないのですが、長くなりましたので今日はこの辺にしておきたいと思います!


それでは、明日の潤くん大好きで頑張りまっつん♡

おやすみなさい💤






瀬名の死を目の当たりにして抜け殻になってしまった家康。


こんばんは!
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす♪
(╹◡╹)

広報はままつ、届きました。゚(゚´ω`゚)゚。

めちゃくちゃカッコいい(T_T)

浜松市の皆さん、本当にありがとうございました。

大事にします!


さて、どうする家康は第23回まで進みました。

今回のタイトルバックは竹の水差しに一輪の花。

最初見た時は分からなかったけど、これって、竹(武田)と庭の花(瀬名)が手を結ぶってことですよね?


相変わらず、伏線の妙が素晴らしい。


では、第23回「瀬名、覚醒」のじゅじゅ的考察、いきまーす♪


*・゜゚・*:.。..。.:*・'・*:.。. .。.:*・゜゚・*



今回は、久しぶりにお顔を出した方々がたくさん。

【岡部元信、再登場!】
武田勝頼に「かつて支えた今川の領地を(徳川から)取り返すが良い」と言われていた岡部元信(演:田中美央さん)、覚えていますか?


そう。
第6話「続・瀬名奪還」のこのシーン。

人質交換の交渉役の数正を「切れ!」と氏真に命令されても、切れなかった優しい今川家臣さん。


そして、第12話「氏真」の冒頭。

今川家臣はみな、武田に寝返り誰もいなくなった陣に、ひとり最後まで氏真の側にいて、武士らしく切腹を勧めていたのが、岡部元信です。


岡部元信は、今川義元の重臣で、義元が桶狭間の戦いで信長に敗れた後も、今川氏真に仕えた忠臣です。


そんな岡部は、もともと武田信玄との繋がりがあり(武田、今川は北条と共に三国同盟を結んでいたので、今川の重臣となれば信玄とも面識があったことでしょう)、氏真が失脚して今川が滅亡したあと、武田信玄、そして武田勝頼に仕えました。


久々の登場に、こんなところにも伏線があったとは…とビックリしちゃいました(^_^;)


【お葉、再登場!】

これまた久々にお葉(演:北香那さん)が!

相変わらずキビキビと直角に歩いてたっ!笑。


まさかこんな風に再登場するとは思わずに、第10回「側室をどうする」の時に、後のお葉について書いてしまいました(^_^;)


お葉はドラマ上の名前で、正式には「西郡の局」。

家康との間に生まれたのは女の子、亀姫に次ぐ家康にとっての次女です。

西郡の局は、岡崎に残った築山殿とは対照的に、浜松、江戸、と家康に付き従いましたので、家康との仲は良かったのではないでしょうか。


今後もまた、忘れた頃に直角歩き、披露してほしいですね!笑。


てか、側室絡みで出てくるお葉、次はあの側室の時か?( ̄▽ ̄)


【家康最愛の側室・於愛初登場!】

こちらは初登場!

さあ!いよいよ於愛の方、後の「西郷の局」です!


とんでもなくインパクトのある登場でした。笑。

殿のケツをバシンっと叩いてましたが、これがインタビューで話していた、殿がもっときて!と欲しがったヤツですね?爆。

潤くん、ドMだからなー( ´∀`)


お葉が「このものはひどい近目」と言っていましたが、於愛がかなりの近眼だったのは史実通りです。

さらに、瀬名に於愛を紹介する時、「奥の女房たちにも気に入られている」と言っていました。

こちらもまた史実通り。


於愛は、みめ麗しく、性格も温厚で優しく明るかったので、家臣たちにもとても人気があったそう。

そして、家康にも寵愛された、と言われています。


広瀬アリスさんのはつらつとした於愛がとっても可愛らしいですね!


於愛の方は、これからたくさんエピソードがありそうなので、今回は詳しく書きませんが、今後が楽しみです(╹◡╹)


【水野信元の最期】

水野信元が殺害された経緯は、謎が多いんですよね。


本当に武田方と通じていたのか、はたまた誰かに嵌められたのか。


信元はこの頃、かなり実力をつけていて、信長にとって厄介な存在になっていた、とも言われています。


信元が武田勝頼の家臣と内通し、兵糧を横流ししていたのかは定かではありませんが、信長に目をつけられていたのは間違いなくて、難癖つけて粛清した、というのがしっくりきますよね。


信元の所業を信長にチクったのは佐久間信盛(演:立川談春さん)。

そして、信長の命を受けた家康の命で、大樹寺にて信元を殺害したのは平岩親吉です。


ドラマでは、家康が信元最期の場にいましたが、実際は親吉による暗殺に近かった、と思います。

もちろん、家康はいなかったでしょう。


また、親吉は信元の遺骸を抱き上げて、

「信元殿に私怨はないが、君命によりやむ無く刃を向けた」

と泣きながら詫びたとのエピソードが。

親吉は、岡部大さんの演技そのものに、真面目で素直な忠臣でしたから、どんなに辛い役目だったことでしょう…


また、信元の死後、久松長家は「隠居して家康殿にはもう出仕しない」と於大の方に言いましたよね。


長家は、家康の命で信元を大樹寺に呼び出し、待ち伏せていた親吉と数正によって信元が殺害されたことを知って「こんなこととは知らず信元を迎えて討たせてしまったこと、家康を深く怨み、縁を切る」と言って出奔しました。


肉親、親戚同士が血を流すこの時代、早く終わらせたかった瀬名…


全てのことが、築山事件に向けて流れていくようです。


【信康、僧侶殺害事件】

信康の性格は、勇猛果敢であると共に、粗暴な一面があった、とされていて、この「鷹狩りでの僧侶殺害」は書き物に残っているエピソードです。


しかし、信康、瀬名、五徳については、江戸時代に入ってから書かれたものが多く、神君家康公の行いを正当化するために創作されたものもあると考えられています。


ただ、その性格から家康や五徳と折り合いが悪かったのはおそらく正しくて、まさに今回描かれたように、家康の命令も聞かず、信長を軽視し、家臣にも辛く当たっていたのでしょう。


この件はまだまだ続き、そして家康を語るに重要な要素なので、今日はこの辺にしておきますね〜(╹◡╹)



【木彫りのうさぎ】

最後に、このシーンについて。

瀬名が手に取っている木彫りのうさぎですが、回想にもあったとおり、第17回「三方ヶ原合戦」で、出陣する前の家康が築山を訪れるシーンにでてきたもの。

この時家康は瀬名に、

「そなたは、何があっても強く生きよ」

と言います。

瀬名は

「いつか必ず取りに来てくださいませ。殿の弱くて優しいお心を。瀬名はその日を待っております。」

と。


弱くて優しい心を取りにくる=戦のない平和な世になる


瀬名の願いはなかなか叶わず。


そして瀬名は、家康の言葉の通り、己を貫き強く生きた…

それが例え悲劇と呼ばれようとも。


*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*


それでは今日はこの辺にしとうございます♪


おやすみなさいませ。











こんにちわ!
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす♪

6+1=7。笑。
ハッピーバースデーです、二宮和也さま(╹◡╹)

他のメンバーが誰も言わないのに(気を遣ってか?)、潤くん、40歳!40歳!って連呼。爆。

もちろん、数ヶ月で自分も40歳だけど、って言いながらも、40歳!40歳!って。笑。
そんな言わんでもええやん?笑。
じゅじゅがニノが嵐の人だと知ったのは、「優しい時間」のクレジットでした。
2005年の1月のこと。
それから、嵐さんにどどどどぉーーーっとのめり込み(なぜかニノにはハマらず、その先はみなさんご存知の通りで)、今に至ります。

だから、ニノには感謝してます。
わたしと嵐さんを結びつけてくれてありがとう( ´∀`)

21歳?22歳?だったニノが倍の時間を過ごして40歳になりましたね。
「二宮和也」だった時間より「嵐の二宮和也」の時間のほうがずーっと長くなりましたが、これからもずーっとずーーーーっと嵐でいてくださいね(╹◡╹)

そして、座長になれば誰よりも頼りになるのに、嵐になると途端に末っ子感ダダ漏れてしまう、唯一30代の我らが潤くんをこれからもよろしくねーー♡

40歳のお誕生日、おめでとうございます🎉🎈













こんばんは!
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす♪
(╹◡╹)

週末に東京に行く用事があって、こちらへも行けて嬉しかったー( ´∀`)


日本橋の三井記念美術館で行われていた「どうする家康展」です!

終了1日前だったのでめちゃ混みでした(^_^;)


重要文化財がわんさかで、久能山東照宮所蔵のお宝もたくさん展示されてました。

今、久能山には何があるの?ってくらいにね。笑。


美術館の中は撮影できなかったのですが、普段は久能山東照宮にある、あの!「金陀美具足」の本物も展示されていて、うぉーーーー!ってなりました。

ただ…

じゅじゅの中ではもう、家康=潤くんなんで、家康着用=潤くん着用ってなっちゃう。笑。

いやいや、違うからっ!

これは、潤くん着てないからっ!

ってノリツッコミですよ、ほんと潤バカ。笑。


ちなみに、潤くん着用の金荼美具足は、現在静岡大河ドラマ館で展示中ですよー。

6月21日(水)までですので、じゅじゅはいけないけど〜(^_^;)


※久能山東照宮では「金陀美」、大河ドラマでは「金荼美」と表記なんだって!

では、第22回【設楽原の戦い】じゅじゅ的考察いきまーす!

タイトルバックは火縄銃の弾の痕。

武田勝頼の有名な肖像画はこれ。

身につけている衣装の色がタイトルバックと同じ。

勝頼に銃を撃ち込む。

なんともまた、意味深いタイトルバックです。


【鳶ケ巣山攻め】

長篠の戦いといえば、大規模な鉄砲隊が登場したことで有名ですが、最大の功労者は、酒井忠次の鳶ケ巣山砦攻め。
なんで武田軍から攻めてくるように仕向けなければならなかったのか。

武田軍の騎馬隊の攻撃を防ぐのに絶大な効果があった「馬防柵」でしたが、大変大きな欠点がありました。
それは、こちらは馬防柵の内側からしか攻撃ができないと言うこと。


当時の鉄砲は射程距離が50メートルほどだったので、武田軍はその射程距離の外に陣を張り、睨み合いが続いたんですね。

と言うことで、織田・徳川連合軍は、とにかく武田軍のほうから攻めさせて、鉄砲の射程距離内に入ってきてもらう必要がありました。

ドラマでは、信長と信長の家臣たちに家康が体良く押し付けられた感がありましたが、実際は軍議での忠次の発案を信長が絶賛し採用したとのこと。

そして、武田軍の後方、鳶ケ巣山砦を奇襲する作戦が、忠次の采配により行われました。
真っ暗な険しい山中を行軍する15㎞の道のりは、想像以上に危険な進軍だったでしょう。


【甲斐の山県昌景】
山県昌景は武田信玄の重臣で、信玄が亡くなったあとは、武田家を継いだ武田勝頼に仕えました。
しかし、勝頼と昌景の折り合いはあまりよくなく、信玄のように重用されてはいなかったようです。

ドラマの中でも、退路をたたれる前に撤退するように進言しますが、聞き入れてもらえなかったですもんね〜。
信玄は合議制を取り入れて、家臣の話にもよく耳を傾けたらしいですが、勝頼はワンマンタイプだったのかもしれません。
昌景は、設楽原で47歳の生涯を終えました。


【信長の鉄砲隊】
じゅじゅは、火縄銃は1543年に種子島に漂着したポルトガル人がもたらした、と教科書で習った世代。
ただ、実際は誰がどのようにして日本に持ち込んだのか、定かではないようです。

火縄銃は瞬く間に国中に広がっていき、1575年の設楽原の戦いで、信長が初めて大量の鉄砲を用いた組織的な戦い方を取り入れて大勝してから、鉄砲が戦の主役になっていきました。

設楽原の鉄砲隊は、「三段撃ち」と言う手法だったと長年言われてきました。
「三段撃ち」とは、鉄砲隊が三重に並んで、1列目が発砲すると最後列に並び直し、2列目が前に出て発砲し最後列に並ぶ。
これを繰り返すことで切れ間のない攻撃を行った、と。

ところが最近は、この「三段撃ち」の説も疑問があるようで…
というのは、火縄銃は弾込めをして火をつけて撃つまで結構時間がかかります。
それを列全員が準備できるのを待って一斉射撃していては、50メートルを約4秒で駆け抜ける騎馬隊が馬防柵に到着してしまう。
ドラマでは、弾込めした銃を発砲隊に手渡ししている、いわゆる弾込め隊がいましたね!




これはいい案です。
時代考証の先生方、グッジョブ♡

【御旗 楯無 御照覧あれ】
みはた たてなし ごしょうらんあれ
勝頼が高々と叫ぶこの言葉。



「御旗」「楯無」どちらも武田家の家宝で、御旗は武田家の祖先が天皇から下賜された日の丸の旗、楯無は武田家開祖から伝わる鎧で、「盾がいらないくらい頑丈」だから「楯無」。

勝頼は、武田の戦い方、武田の誇りを先祖への誓いとして貫き通した、その覚悟の言葉だったのではないでしょうか。
負け戦に挑んだ勝頼の戦い方は確かに無謀だったかも知れませんが、武将としての生き様は潔かった。
だから信長は「武田勝頼、みごとなり」と思わず溢れてしまったのかな。

*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*
全体的に観ていて切なくて苦しい回でしたが、その中でほっこり、というか不謹慎(?)にも笑っちゃったのが、誰が鳶ケ巣山砦を攻めるか?の件。笑。
柴田勝家、佐久間信盛、秀吉と家康のダチョウ倶楽部コント「どうぞどうぞ」。爆。

そして信長まで。

こんな恐ろしい「どうぞどうぞ」見たことない。笑。


忠次出陣前の「えび〜すくい〜」に意味わからん新参者万千代。爆。
「なんなんだ?これは…」


えびすくいに加われないとは、まだまだ家臣団に馴染めてないな、万千代くん♪
ほら、信康でさえ、しっかり馴染んでるよ。


けれどじゅじゅ的にこのシーンのツボは、えびすくいを歌い始める数正のボソボソっとした感じ、ですねー。

そして、数正まさかのえびすくい初参加?


案外今までも加わりたかったのかも。笑。


あー、おもろ♡

だんだん壊れていく信康、それを見ていて女子の戦いを決心した瀬名。
いよいよあの時に向かって時計の針が加速していきます。
つらいーー。

そしてどんどん気持ち悪さを増していくムロ秀吉(>人<;)
舌出して雨舐めてる…




では。
今日はこの辺にしとうございますm(_ _)m





こんばんは!
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす♪(╹◡╹)

どうする家康。
なんか今週も泣ける展開で…

タイトルバックは、繋ぐ手と手。



始まった時はわからなかったけど、温かくもあり切なくもあり、終わった時にはじんわりと沁みるタイトルバックでした。

【瀬名と千代】
先週の終わりから引っ張った瀬名と千代の対面。




こうして瀬名と千代が会っていたかは定かではありませんが(というか、なかったと思います)、これはこの先の瀬名の心の動きに繋がるとてもいいシーンだとじゅじゅは思います。


というか、今回ストーリーが進む中で、瀬名にとって、明らかに何かのスイッチが入った瞬間がありましたよね。

それは、先週から続いた瀬名の気持ちの変化が「カチッ」と決まった瞬間、と言うか。


信長に堂々と物言いをする瀬名。


モヤモヤしていたものがハッキリしたのかも。


信長に対する不信感なのか、家康に対する不満感なのか、そういうものに今後の千代はヌルっと入り込んでくるのでしょうか。

「徳川のためでもなく、武田のためでもなく、もっと大きなこと」

と言った瀬名。

時間は刻々と迫っていますね…

何を思うの?瀬名…


脚本、上手いなー。


【奥三河と亀姫】

家康と瀬名の娘、亀姫が嫁いだのは奥三河の長篠城主・奥平家。


ちっちゃい赤い点々は武田軍…

囲まれてるー。怖いー。

まさに、武田領と接する最前線基地ですよね。

てか、武田にジワジワと攻められ切り取られ、徳川の領地はこんな小さくなってます。

信長と家康の間に同盟とはいえ、主従関係が存在していたのはこの圧倒的な国力の差がどうにもならなかったから。


さて、話を戻して。

今回、亀姫は、信長と家康のいざこざに巻き込まれて、いわゆる政略結婚で奥平に輿入れしなければならなくなりました。


亀姫と奥平信昌(演:白洲迅さん)の婚姻は、信長が提案しましたが、結局は家康が決めたことです。

ちょっとネタバレになりそうなので詳しくは書きませんが。

一つだけ言えることは、

亀姫は奥平に嫁いで幸せだった

と言うこと。

夫婦仲はよく、2人の間には5人の子供がいました。

また、信昌は愛妻家で、生涯側室を持つことはなかったそうです。

晩年の亀姫には色々なエピソードがありますが、それも今後のお話に影響するかもなので、今回は書きませんねー。


それにしても…

だんだん大きくなる亀姫の石つぶて。笑。




当たってたら確実にここで死んでた強右衛門(^_^;)


【鳥居強右衛門】

今回の主役とも言える、鳥居強右衛門のエピソードはかなりインパクトがあるので、なんとなく知っていた、という方も多いかも。

演じたのは岡崎体育さん。

史実にかなり近い形で脚本されていました。

強右衛門は奥平家の足軽で、決して身分の高い武士ではありませんでしたが、15000の武田軍に包囲された奥平軍500人を救うため、自ら志願して岡崎城の家康に援軍要請に向かいました。

完全に包囲された長篠城から抜け出ることは不可能と言われましたが、夜の暗闇に紛れて川に潜り、包囲網を突破。

岡崎城で織田・徳川の援軍を知って、それを伝えるために長篠城に戻る途中に武田軍に捕まり…


と、まさにドラマのストーリーの通りです。

亀姫との手と手を取って、というのは流石に身分が違いすぎてあり得ないと思いますが、その後の信長に対する亀姫の行動に説得力を持たせていましたよね。



1話だけの出演者が多い「どうする家康」。

それだけたくさんの人々の行動と想いが溢れている時代だった、ということかな。


【家康100面相】

最後にコロコロ変わる家康の表情をどうぞ(╹◡╹)


悩む


怒る


喜ぶ


困惑する


激怒する


やるせ無くなる


潤くん、上手いなー♡


そして来週はいよいよ長篠・設楽原の戦い。


では、本日はこの辺にしとうございます。












こんばんは!

今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす🎵


ちょっと前の話になりますが、お友だちからいただきました(╹◡╹)


浜松まつりの騎馬武者行列の記事が載った地元の新聞と、大人気で売り切れだった「MJみそまん」( ^∀^)


みそまん、初めて食べましたが、めちゃくちゃ美味しかった〜♡

皮がちゃんと味噌の香りがふわっとして、あんこの甘さと絶妙なバランスでした。

そして、ネーミングの勝利。笑。


*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*



さて。
前回の「三方ヶ原の合戦」から、ひとつ休み、的な、ちょっと気楽に観れる回かと思いきや…

あの「事件」を知っている視聴者にとっては、あれもこれも伏線!伏線!伏線!状態でしたよね?(>人<;)
それでは、「どうする家康じゅじゅ的考察」いきましょう!

そして今回のタイトルバックはこれ。

この説明は後ほど。



【信玄の死】
武田信玄が、3年間は亡くなったことを隠すように遺言を残して、あとは息子の武田勝利に託したのは、信玄享年53歳でした。


信玄の死因については諸説あります。
・暗殺説
・肺結核
・胃がん
などなど

信玄が亡くなって一番利を得たのは(人が亡くなり利を得る、とはあまり良い表現ではないけど、そこは戦国時代の話。お許しを。)、やはり信長ですよね。

もし信玄が生きていたら、信玄は京まで攻め上り、信長も苦戦または敗戦していたことは想像できる。
だんだん疎ましくなっていた足利義昭を京の都から追い出して、天下がグッと近くなりましたよね。
うん、やっぱり得をした人物選手権1位は信長。
なので、信長の暗殺説があります。

でも、信玄の死因はおそらく病死。
何の病気なのかははっきりしていないのですが、「呼吸する度に苦しんで吐血していた」と書物に残っているので、肺結核説が一番濃厚でしょう。
しかし、胃がんで亡くなった、と書かれている書物もあり、肝臓病ではないか、との説をとなえる学者さんもいて、結局のところハッキリしていません。

いづれにしても、信玄がもしももう少し生きていれば、家康は天下を取れず、今の私たちの世がまったく違うものになっていたかも?
そう考えると、歴史って不思議で興味深いものです(╹◡╹)

【戦神摩利支天】
今回のタイトルバック、猪に乗った女神は、数正が「いつも懐に入れているの戦神摩利支天が守ってくださったのかも」と言った通り、仏教における守護神です。

摩利支天は、陽炎から生まれた、と言われていて、その御利益は「傷つけられない」。

陽炎から生まれたので実体がなく、故に傷つけられることがない、と言う考えですね。

戦に明け暮れていた戦国時代に大変好まれ、信仰していた武将も多くいたようです。

家康もそのひとりだったのでしょう…

猪が豚ちゃんに見える←何とも罰当たりな私💦



【お万の方とは】


お万の方は後に「小督(こごう)の局」と呼ばれて、70代半ばまで生きた、当時では長命な家康の側室です。

第10回でも、側室絡みの騒動が描かれましたよねー。
お葉、後の西郡の局、とその子督姫。
西郡の局が家康の最初の側室、と言われていて、今回の主人公「お万の方」は2人目の側室です。

お風呂でお手付き(笑)したのは史実どおりで、その頃、瀬名の目が届かなかった中での出来事だったのも史実どおり。
生まれた男子は、結城秀康となり徳川家に関わってきますが、ネタバレになるかもなので、秀康については詳しく書かずに先に行きます!

【折檻事件と瀬名の気性】
さて、ドラマではお万の方が侍女たちに頼んで反省の態度を示すため折檻を希望する一芝居を瀬名にうち、瀬名が許す、という流れでした。
このお万の方の折檻事件は、実は嫉妬に狂った瀬名が一方的に起こした、と言われていて、その気性の荒さから、瀬名は悪妻、という印象をつくったエピソードです。



でもこれは、後の世で家康の人生を語る上で瀬名が悪妻の方が都合が良かったので、創作されたエピソードのようですね。

長年、瀬名は悪妻だったと言われてきました。
今回、「どうする家康」では、実は瀬名は悪妻ではなかったのではないか?という視点で小沢さんの脚本ができています。

この後、瀬名にとって運命の出来事に進んでいきますが、果たして本当の瀬名は、良妻、悪妻、どちらだったのでしょう…

【正室の立場】
お万の件で瀬名が怒ったのは、よその女性との間に子供をもうけたことではなく、自分の正室としての立場、自分が産んだ信康と亀姫の立場を蔑ろにされたこと。

これは、第10回でも描かれていましたが、正室と側室との間には大きな大きな身分や立場の差があったからです。
そしてその子供たちも然り。
しかも、側室を選ぶ立場の正室を通さずにかってにあちらこちらに手をつけて知らない間にどんどん「殿の子」と名乗る輩が増えていったら…
そりゃ、瀬名が怒るのは無理ない話ですよねー。

お万の方は、家康から大事にされていた様子はなく、それはやはり、ちゃんと手順を踏んだ側室ではなかったのでは、後のお家のために家康が遠ざけた、と言われています。

ネットでは、お万の方の強かさを「女が嫌う女」と叩かれていましたが、家を無くした女が生きていく術として、賢かったのは間違いないのでしょう。

最後に、今週のツボ潤です。笑。
白状するなら今だ、と忠次と数正に言われて目が泳ぐ殿。爆。



家臣の前で瀬名に米びつぶつけられて立つ背がない殿と



瀬名に次の米びつを渡す康政!爆。




あー、おもろ(^O^)





こんばんわ!
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす♪
(╹◡╹)

さて。
ありがたいことに、浜松祭りの騎馬武者行列の観覧をさせていただきましたので、その話を少し。

メディアでもたくさん取り上げて頂いていましたので、いまさらいいよ〜、ってみなさんはスルーしてくださいね。
自分の覚書でもありますので( ´∀`)

東京を出発して、浜松に着いたのは、9時半頃。
すでに浜松駅は人混みがすごくて、どうしよう?状態でした。

郵便局で、東海地方限定のどうする家康のフレーム切手を販売しているとのお友だち情報で、まずは浜松郵便局に向かいました。


浜松郵便局は、浜松駅から見えていて、行ってみると行列ができていました。
が、郵便局の列ではなく、並ばずにあっさりと買えましたよ( ´∀`)

こちらは5月25日(木)から、日本郵便でweb受注販売を受け付けるそうですので、欲しい方はぜひ(╹◡╹)


続いて、一度駅に戻って、案内所で観覧席のブロックを確認しよう、ということで。


私たちはC-2ブロック、行き方を案内所の女性に教えていただきましたが、なんだか思っていた方向と違うぞ?笑。

でも、その方が「私の言う通りに行って!」と何回も仰るので、その通りに行ってみた。

結果、遠回りになるという。爆。

まあ、いいんです、それもまた旅の楽しみ( ´∀`)


とりあえずの確認のために観覧ブロックに向かいましたが、もうすでに人!人!人!

あれ?これはマズいぞ?とC-2ブロック周辺の列に並んでいる方に、確認。

「ここ、C-2ですか?」

「C-2ですけど、最後尾はあっちですよ」

とめちゃくちゃ親切♪

やっぱり嵐ファンはあったかい〜!と思いながら、列を辿って後方へ…


え…


え…

え…

すごい並んでるやないかいっ!

(O_O)白目


そうだよね…そりゃそうだ。笑。

んーーー、50メートルは並んでたかな?


各ブロックの当選人数は同じではなく、150人程度から400人以上まで、とバラツキがありました。

C-2は400人以上が入るブロックだったので、並んでる人も多く。

これは大変!とまずは最後尾に。

これが10時頃。


実は、後で知ったのですが、ブロック入場待ちの待機は認められていなくて、正式な待機列ではなかったようです。

でも、並んでいる時は整然とキレイに並んでいるのが、嵐ファンの民度の高さ、というか、松潤ファンの常識度の高さかもしれません!


そのまま12時のブロック入場までひたすら待ち…

入場後は、ブロック内にレジャーシートを敷いてまたひたすら待つ…


そうして待機列に並び始めてから5時間後。

「皆のもの、すすめ〜!」とスタート地点で号令をかける潤くんの声が聞こえて、きゃああああああああああああ!の声がだんだん近づいてくるっ!


もう、ドキドキが止まらないし、呼吸は荒くなるし、なんだか眩暈はしてくるし。笑。


最初に見えたのは、平岩親吉役のハナコ・岡部大さん!


とにかくニッコニコで、しっかりと観客席を見ながら、手を振ってくださっていました。

じゅじゅの近くにいた男性がめちゃくちゃデカい声で

「おかべ!おかべっ!」

って叫んでました。笑。

男性ファンも多いんですね〜。


次に現れたのが夏目弘次役の甲本雅裕さん!


甲本さんは、徒歩で行進。

優しい笑顔でちょっと照れ臭そうに手を振ってくださっていたのがとても印象的でした。




そしていよいよっ!

目の前を潤くんがぁぁぁぁぁぁヽ(;▽;)






なんか、感動がすごくて、潤くんの顔がよく見られませんでした(T_T)

けど、めちゃくちゃカッコいいし、貫禄があるし、美しかった・゜・(ノД`)・゜・。


通り過ぎて行くまで、おそらく30秒くらいの間のことだと思います。

それでも、その存在感と全身から放つオーラとに圧倒される感じ。

馬に跨る潤くんの凛とした姿が眩しいったら!

もはや、わーきゃーわーきゃーパニック状態の観覧席。


あっという間に過ぎて行ってしまいましたが、その後ろには井伊直政役の板垣李光人さん!

正直、潤くんに夢中になっていて、李光人くんの存在に気づいた時は、お馬さんもお尻姿でした(^_^;)

でも、とってもキレイなお顔立ちの李光人くんでしたよ!

ただ、李光人くんは馬の扱いに少し手こずっていたようですね( ´∀`)


こんな感じで、夢のような時間はあっという間に終わってしまいました。笑。


後からの報道で、約67万人が押し寄せた騎馬武者行列だったと知りました。

でも今回、わたしが見た限りでは、マナーが悪かったり、人の迷惑になるような行為をしているファンはいませんでした。


事前に潤くんが「enjoy」で声をかけてくれたのもあると思いますが、やっぱり潤担は年齢層が高い分(笑)、常識をわきまえて行動するファンが多いんだと感じました。

それは、潤担の誇りであり、自分たちの行動が大好きな潤くんの評価に繋がることも充分わかっているからだと。


あれだけの人数が集まったイベントが事故なく無事に終われたことこそが、日頃の潤くんがファンと真摯に向き合ってきた結果だったと思います。


そしてなによりも、おしゃれして出かける準備も、友達とおしゃべりしながら待っている時間も、アラシゴトをたくさんしていたあの頃のキラキラの中に戻ったみたいで、すごく楽しかったですし、幸せでした。


こんな時間がまた戻ってきて欲しい、と願わずにはいられなかったのは、きっとじゅじゅだけではなかったよね。

また夢の続きができる日を待とう、と決意が決まった瞬間でもありました。


たくさんの潤担さんたちが残念な思いをされた中、観覧できたのはひとえにお友だちのお陰です。

感謝しても感謝が足りません。

本当に、本当にありがとう。


そしてまた、潤くんに会える日を楽しみにしながら、日々一生懸命生きていきます。


以上、浜松祭りの騎馬武者行列レポでした( ´∀`)









こんばんは!
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす♪
(╹◡╹)

浜松祭りから帰ってきてバタバタしてました( ̄▽ ̄)
後ほど簡単なレポあげますが、その前にまずは今日の第17回放送、どうする家康、のお話をしましょう。

*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*

まずは恒例のタイトルバックから。

家康の弱くて優しい心、白ウサギちゃん。

瀬名に託して、家康はいざっ、信玄との決戦へ、というストーリーに合わせたタイトルバックでした。

ぴょんっ!ぴょんっ!のころのウサギからすると、こちらもずいぶん立派なウサギになりました。笑。


【初登場キャスト】

今回から登場したのが、家康の嫡男・信康(演:細田佳央太さん)。

家康が岡崎から浜松に居城を移す時に、岡崎城の城主となりました。

瀬名、五徳、そして七之助こと平岩親吉(演:岡部大さん)とともに、岡崎お留守番組です。

ちなみに、七之助は信康の後見人のような、世話役のような役目を仰せつかり、幼い頃からずっと一緒だった家康と離れ離れになりました。

ただ、家康の大事な嫡男の側にいる訳ですから、家康からも相当な信頼がなければできないお役目ですよね。

家康が、幼なじみとも言える七之助をどんなに信頼していたか伺えるのが、なんだか嬉しいです( ´∀`)


【武田信玄の策略】

万全の計略のうえ、武田軍を迎え討とうとしていた家康の目の前で進路を変えて素通りして行っちゃって、さあどうする?となりました。


これは、家康の性格と信長から受けているプレッシャー、そんな諸々のことを考えての信玄の策略だったのでしょうか、まんまとはまってしまった家康でしたね。


まるで、家康など眼中にない、とばかりに目の前を素通りされてカッとなって討って出た、と言われていますが、それだけではなかったのではないか。


信玄の向かった先には、瀬名たちがいる岡崎がありますが、その手前、浜名湖を背にして堀江城という大事なお城がありました。

この堀江城を武田軍に取られてしまうと、浜名湖の水運を抑えられてしまい、織田軍からの物資や応援部隊の補給を止められてしまいます。

まさに、徳川軍の命の綱だった堀江城をなんとしても死守しなければならなかった、そんな事情もあったようです。


いずれにしても、武田軍2万5千に対して徳川軍8千+織田援軍3千では、圧倒的に数的不利な上に、地の利を活かした布陣で迎え討たれた徳川軍には、勝ち目はなく。

およそ2時間で徳川軍は軍勢の1割を失い、大敗をしました。


【本多忠勝孤軍奮闘】

本多忠勝らが偵察にでたのは史実上本当の話です。

そこで、予期せず武田軍わと遭遇してしまい、思わぬ形で戦が始まってしまいました。

しかし、圧倒的に数が足りなかった徳川軍ですので、すぐに撤退戦に変えて、しんがりを忠勝が勤め、なんとか浜松城まで逃げおおせました。

その時戦った相手が

「徳川に過ぎたるものがふたつある。唐の頭に本多平八」

と言ったとか。

「唐の頭」とは、ヤクの毛で作られた兜の装飾品のことで、当時は大陸から取り寄せたかなり高価で貴重なもの。

家康はそれを愛用していたので、平八郎と共に、家康にはもったいない、と言わしめた。

忠勝の強さがわかる、いいエピソードですね〜。


*・゜゚・*:.。..。.:*・''・*:.。. .。.:*・゜゚・*

というわけで、今回はこんな感じの流れでした。

もっと書きたいことがありますが、来週は三方ヶ原の裏話というが、三方ヶ原で起きていたこと、を話してくださる回。

それを待つことにしましょう(^_^;)

最後にカッコいい殿!をおいていきまーす💜






では、本日はこれまでにしとうございます♪






おはようございます!
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす♪
(╹◡╹)

ワクワクが止まりません(^^)
この、アラシゴトしている感じ久しぶりで、それが嬉しい。

さて、今回、お友だちのとんでもない強運に乗っかって、1月以来の浜松〜💜
ヤバかっこいい殿に会いに行きまーす♪

NHKさんが中継をしてくださる、と嬉しい報告もありましたね!

殿からの指令、「お行儀がいい潤担」の姿を、全国の皆さまにご覧に入れますよっ!(^^)

いざっ!出陣です。いってきますm(_ _)m

富士山写真ヘタ選手権、優勝。爆。