これが、最後、と言うか、瀬名と家康の最初のシーンに結びつくとは、なんたる伏線の壮大さでしょう!
【築山の謀】
ドラマの中で、瀬名と信康が描いた理想の国は、家康が目指す「厭離穢土欣求浄土」まさにそのものでしたね。
そのために命を賭けて、徳川を守った2人でした。
さて、ここからは史実の話。
通説とされている「三河物語」では、武田方に通じている「滅敬」なる漢方医と築山殿が繋がっていたと書かれています。
また、築山殿と五徳は、五徳が姫君しか産めなかったことなどのいわゆる嫁姑問題で仲が悪く、その煽りで五徳と信康も不仲であった、とも。
五徳は、信長に当てた、築山殿と信康の乱暴、不行を12個もしたためた書状を、酒井忠次に持たせています。
ここはドラマでも描かれていましたね。
ここで、学者さんたちの間でも謎とされているのが、忠次の行動。
築山殿と信康の悪行を並べた五徳からの書状をみて、信長は真偽のほどを忠次に問いますが、忠次は全面的に認め、ふたりを庇うことはなかった、とされています。
家康の側近中の側近、忠次が家康の知らないところで五徳の言いなりになり、正室と嫡男を窮地に追いやる手助けをした、とは考えにくい。
そこで、築山殿や信康が死に至った正当な理由がないため、後から作り上げられた話ではないか、と疑問を唱える学者さんも多くいて、正直、築山事件がなぜ起きたか、明確な結論がでていないのだと思います。
事実としてあるのは、築山殿は二俣城に送られる途中の佐鳴湖(さなるこ)の湖畔で自害を求められましたが応じなかったため、家康の家臣の手で殺害された、ということ。
信康は、大浜城、堀江城と移され、二俣城で切腹を命ぜられた、ということ。
信康の処断について、信長は家康に任せていて(ここもドラマで描かれてていました)築山殿については触れてもいなかった、ということ。
それでもなお、築山殿と信康は処罰を受け、命を落としていること。
まだまだたくさんあるのですが、まずはこれらのことを総合的にまとめて、築山殿と信康の粛清には、家康の何らかの思惑があったのではないか、と考えられてます。
ただ、こういう史実を踏まえた上で、凄いな〜と思うのは、「あー、そういうのもありかも?」と思わせてくれる脚本の力、ですね。
例えば、五徳の書状を信長に届けた忠次が申し開きをしなかったのは、「五徳もグルになった瀬名信康逃亡作戦のためだった」。なーるーほーどーーー!
瀬名が粛清されたのは、「家康と家臣、国を守るため、瀬名が自ら死を選んだから」。なーるーほーどーーー!
歴史学者さんたちの間でも疑問視されていることが、ドラマになるとしっくりくる結末、凄いと思いませんか?
【五徳、その後】
実は、五徳の書状が築山事件の原因とする説に謎が残るのは、事件後の五徳の処遇が大きく関係しています。
正室と嫡男を死に至らしめた嫁の存在は、家康にとって憎むべきものであったでしょう。
ところが、家康は五徳が岡崎を去る際には化粧料田を与えたり、娘ふたりを徳川で育てたり、と寛容な対処をしています。
ちなみに、五徳のふたりの娘、登久姫と熊姫の養育をしたのは西郡の局、そう!お葉です( ´∀`)繋がった。笑。
そして、夫と死別すれば、また有力な武将と再婚するのが当たり前だったこの時代に珍しく、五徳は信長の娘でありながら、信康の死後は再婚していません。
ドラマの中で、信康との別れの時に「どこに行っても岡崎殿と呼ばれたい」と許しを願う五徳でしたね。
これは、再婚はしないよ、ずっと待っていますよ、という意思表示だったのでしょう。
信康と不仲だった、とはいえ、愛情がなかった、とはいえないと思います。
ボタンの掛け違い、こころのすれ違い、そんなものが信康と五徳の間にはあったのかもしれませんよね。
五徳もまた、波に飲み込まれ翻弄され、悪女に仕立て上げられた、時代の被害者だったのかもしれません…
【大いなる伏線】
第25回のタイトル「はるかに遠い夢」を観た時、夢とは「築山の謀」だと思いました。
ところが、そんな大きな大きな謀ではなかった。
瀬名がずっと追い求めていたのは、ほんとに小さくて慎ましい夢、「家族でひっそりと暮らしたい」だったとは(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
忍びのくせに嘘が下手な半蔵。
忍びではない、忍びではない、とずっと否定してきたのに、信康に言われた時は言い返せない半蔵。
だって、忍びじゃないって認めたら、嘘が下手、も認めることになるからね。
意地でも、うそが下手ではない、瀬名が逃げたのは本当、ってしたい半蔵の気持ちも、壮大な伏線。
「大切なものを守るために命をかける時が来る」
父母からの言葉をうけ、大切なものを守るために、全てを背負わせてください、という瀬名。
これもまた、壮大な伏線。
そして何よりも一番壮大な伏線だったのは…
世の者どもは其方を悪辣な妻と語り継ぐぞ
平気です
本当のわたくしは、あなたの心におります
これが、25回かけて、古沢さんが丁寧に丁寧に紡いできた通説の中に埋もれている瀬名の姿。
まさに、壮大すぎる伏線でした。
家康の言うとおり、後世を生きる私たちには、徳川が書き残した「悪辣な妻」の瀬名が通説です。
でもそうでなかったのかもしれない、とちょっとでも思う瞬間が見ている私たちの中に芽生えていたのなら、それは脚本の勝ち、ですよね( ´∀`)
まだまだ書き足りないのですが、長くなりましたので今日はこの辺にしておきたいと思います!
それでは、明日の潤くん大好きで頑張りまっつん♡
おやすみなさい💤
瀬名の死を目の当たりにして抜け殻になってしまった家康。