こんばんは!
今日も潤くん大好きなじゅじゅでぇす♪
(╹◡╹)
ああああああ。
数正あああああああ
(´༎ຶོρ༎ຶོ`)
好きー!大好きー!
なんたって神回決定ですぅぅぅ
(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)
では、どうする家康第34回「豊臣の花嫁」じゅじゅ的考察、いきまーす♪
タイトルバックは、築山の花々。
瀬名の「戦無き世を」という想いは、家康と家臣それぞれの心の中で大きく、そして重くなっています…
数正の妻・鍋が生けていたこの花。
築山に咲いていた花(千代が持っていました)と同じですね。
【天正地震】
天正13年11月29日(1586年1月18日)亥の刻(22時頃)、近畿から東海、北陸にかけた広い範囲に甚大な被害をもたらした「天正の大地震」が発生しました。
今と違い、建物の造りも脆弱で、災害に対する備えもない時代、その被害の凄まじさは想像を絶したことでしょう。
文献などもあまりなく、震源地や被害状況もはっきりとはわからないようですが、一説にはマグニチュード8ほどであった、とも。
2016年、九州地方に甚大な被害をもたらした熊本地震がマグニチュード6.5、2011年、東北地方に未曾有の被害をもたらした東日本大地震がマグニチュード9ですので、天正地震の揺れの大きさは相当なもの。
数々のお城が山崩れで壊滅したようですが、耳覚えのある場所を少しあげてみましょう。
・美濃 大垣城 全壊焼失
・尾張 清州城 液状化による倒壊
・伊勢 亀山城 倒壊
・京都 東寺 破損
・三河 岡崎城 大破
ドラマの中でも、羽柴秀長(演:佐藤隆太さん)が、「徳川との戦に備えていた大垣城が焼け落ちた」と秀吉に報告してましたね。
また、若狭湾、伊勢湾で津波が発生し、沿岸部に押し寄せ村々を水没させたそう。
ムロ秀吉が苦々しい顔をして
「つくづく運のいい男…家康!」
と呟いていましたね。
まさにそのとおり。
秀吉は、この天正地震の復興のために、徳川攻めを諦めて和睦に舵を切りました。
もしこの時、秀吉が家康を攻めていれば、おそらく徳川家は滅亡し、その後の歴史は大きく変わっていました。
もしかしたら、500年経った今も、戦国時代をまだまだ続けていたかもしれませんねー(^_^;)
【関白の妹・旭姫】
家康との和睦を探る秀吉は、どうしても家康を上洛させ、自分の家臣として臣従の意を示させたい。
けれど家康にしたら、のこのこ敵地に乗り込んで、命を狙われたらたまったものじゃない。
そこで、戦国時代得意の駆け引き「人質」の出番です。
人質は、主君との関係が深ければ深いほど、強い人質ですので、普通は実子を差し出すもの。
前回、秀吉との講和の際に人質を差し出すよう求められた家康は、次男の於義伊を人質にしましたよね。
それと見合うだけの人質を今度は秀吉が家康に差し出すとしたら…
ただこの時、秀吉には実子がいませんでした。
そこで白羽の矢がたったのが、秀吉の実妹の旭。
旭は当時結婚して夫がいましたが、離縁して家康の継室になりました。
継室とは…
継室とは、最初の正室を死別や離縁で失った後に迎えた正式な後妻。ふたりめ以降の正室。
側室とは…
側室とは、正室以外で正式に認められた妾。
「室」は本妻、「局」がそれ以外、ですね。
旭姫は、家康の本妻として迎えられたのですから、家康を妹婿にして取り入りたい、という秀吉の思惑がありありと見えますよねー。
「お前がうまくやらないと、次は母親を送りつけることになりかねないぞ」と身内を脅す秀吉が、五徳の顎をムギュッと持って脅していた信長と重なり、こわっ…ってなったじゅじゅでした(>人<;)
ちなみに、ドラマの中で旭姫の元旦那さまは、行方知れず、と言われていましたが、離縁後に自害したとも、剃髪して僧になったとも。
まぁ、妻を奪われたわけですから、男としてのプライドもあったことでしょう…
なんとも無体なことです(T_T)
旭姫もまた、時代の波に翻弄され、おなごの戦に巻き込まれたひとり、であったのですね…。
【数正の出奔理由】
前回、秀吉の元に出奔した石川数正。
その理由が、今回明らかになりましたね。
長年の通説は、秀吉との合戦に意気込む家臣団の中で、数正だけが秀吉との和睦を主張し、孤立を深めていって居場所がなくなった、もしくは、命の危険を感じて出奔した、とされていました。
ところが、最近の学者さんたちの説は、今回描かれた「徳川を守るため、戦さをとめて和睦させるため」というのが主流になっています。
実際、家康の側近中の側近、数正の出奔により、徳川の軍事機密や、家臣団の内情、財務状況など、とにかく徳川方の全てが秀吉に流れたであろうということで、家康は大々的な軍事改革を行っています。
井伊直政を中心とした武田式の戦術に替え、秀吉が欲しがった数正の知識は役に立たなくなりました。
そのため、数正は秀吉の飼い殺し状態に遭い、決して良い結果だとは言えませんでしたね…
秀吉の力を存分に見せつけられた数正は、自分が秀吉のところに出奔することで、徳川は勝ち目のない戦をすることができなくなり、結果和睦に応じることになる、それが徳川を守る唯一の道である、と考えた。
そのためにあえて、裏切り者のレッテルを貼られ、後世まで「卑怯者」と呼ばれることも厭わなかった数正は、徳川の忠臣のなかの忠臣だったのかもしれませんね。
それに気がついた家臣団が「数正のあほたわけ」と口々に叫び、最後に家康が振り絞るように「あほたわけ」。
そして、妻・鍋の「まことに殿がお好きでございますな」に「しーっ!あほたわけ」と言って笑顔を見せる数正の「あほたわけ」。
「あほたわけ」は、このシーンのために8ヶ月かけて作り上げてきた、壮大な伏線だったのかも?
数正の過去一番の笑顔がなんともグッとくる素晴らしいシーンでした!
世界で一番美しい涙(T_T)
一緒に号泣😭😭😭😭😭
次週は一回お休みで、いよいよ秀吉の家臣となった家康が、新しいやり方で天下一統を目指す新章に突入!
ますます盛り上がっていきましょう!
てば、またー👋