菊池容斎 奏聞清麻呂神勅之図:掛軸 | 野崎淳之介 『玉石混淆 美術館』 blogsite

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菊池容斎(きくちようさい Yosai Kikuchi
天明8年―明治11年

菊池容斎は幕末から明治時代初期にかけて活躍した日本画の巨匠です。
菊池容斎の作品は、これで4作目となります。
私自身がかなりこの画家の絵が好きなのです(^_^)

菊池容斎は緻密に描いた人物画・歴史画で知られ
明治時代における歴史画の重鎮と呼ばれた画家です。

容斎とは号であり、本名は武保といいます。

上古から中世・南北朝時代までの皇族・忠臣・偉人など
500人以上を描き記した全10巻からなる「前賢故実」を残しており
明治天皇からは「日本画士」という称号を授かったりもしている
幕末~明治の日本画壇における巨人なのです!


まさしく菊池容斎の真骨頂ともいうべき
古代日本の偉人図「奏聞清麻呂神勅之図」です。
 

 

 



清麻呂とは、奈良時代末から平安時代初期にかけての貴族
和気清麻呂(わけのきよまろ)のことです。

また、奏聞とは「天皇(帝)に申し上げる」ことであり
神勅とは「神のお告げ、神の命令」を意味しています。
端的に言えば、神のお告げを天皇に伝えているところなのですね。

これは「宇佐八幡宮神託事件」のまさに一場面を描いています。

「宇佐八幡宮神託事件」とは
奈良時代に天皇後継問題に端を発して起こった出来事のことです。

当時の称徳天皇(孝謙天皇)が
「次期天皇には弓削道鏡が就くべし」という宇佐八幡宮の託宣を聞きます。
弓削道鏡(ゆげのどうきょう)とは当時の法王でかなりの権力を握っていた僧。
その託宣を受けて称徳天皇は宇佐八幡宮へ和気清麻呂を遣わすのですが
そこで和気清麻呂は、現れた神からまったく逆の神勅を得ることになるのです。
そして、その神勅を朝廷に持ち帰り称徳天皇に報告するのです。

もっとも先の託宣自体が道鏡が皇位に就くための企てだったともいわれていますが
道鏡を信頼し、皇位に就かせる腹積もりだった称徳天皇は
和気清麻呂が持ち帰った神勅の内容に怒り、清麻呂を流罪にしてしまいます。

ただ、神勅が神勅だけに
結局、道鏡が皇位に就くことは見送られ、この事件は決着したとされています。


今回のこの作品は
まさに和気清麻呂が宇佐八幡宮で神から聞いた神勅を
称徳天皇に報告している場面なのです。
 



称徳天皇の御前にて奏聞をしている和気清麻呂。
この後、自分が流罪になってしまうとは知る由もありません。
しかも、名前も和気清麻呂から別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)へと
改名させられてしまいます。

清麻呂(きよまろ)から穢麻呂(きたなまろ)・・・
あまりにもストレートすぎるネーミングセンスです(^_^;)
 

 

 



姿の見えないこの向こう側に称徳天皇(孝謙天皇)がいるのです。
ちなみに称徳天皇は女帝です。
 

 

 



落款部分です。
署名は菊池容斎ではなく「藤原武保」と記しています。

もともと菊池姓は藤原の流れを汲むとされるので
藤原姓に本名の武保を充てているのかと。

また、この落款から菊池容斎83歳の作品であることがわかります。
 

 

 



印譜の比較です。
左側は参考資料、遊子館 刊「日本書画 落款大事典」からの抜粋です。

 

 

 



軸裏には題目が書かれています。
この記事のタイトルも、この題目に倣っています。
 

 

 

 

 

 



箱です。
共箱などではありません。