『アイデンティティ(Identity)』訳すと、『自己同一性』。この訳を理解できるだろうか?きっと難しいはずだ。『うんこ』と『うんち』の違いを理解するくらい難しいはずだ。そんな概念は、今の日本人にはないからだ。作り忘れられたものだからだ。先人達は本当に無責任だ。
『アイデンティティ』を理解できない僕らが『うんこ』だとしたら、それを作り忘れた先人達は『うんち』さ。どこかの国の民族は、“肩が凝らない”らしい。それは、彼らの使う言語に“肩凝り”を意味する言葉がないからだ。もっと分かりやすい例で言えば、日本人は、LとRの発音を聞き取る耳がない。それと同じことだ。だから日本人は『アイデンティティ』を頭で理解できない。
猿渡屋さんも例外なくその1人だった。本能で『アイデンティティ』を『自己防衛』したいのに、概念がないから道筋を見失う。唯一の救いはそれに気づいているという部分のみであろう。
猿渡屋さんが下等生物を蔑視するのは、アイデンティティの“本能”と“無理解”の狭間でさ迷っているからだ。簡単に言えば、その狭間にすら気付けない下等生物を、群れを為す生物をゴミ 箱に捨てたいのだ。鼻をつまみながらな。