毎日色々考えているのですが、やはり人が自分の望む結果を得られなかったり、そもそも「望めない」のは、
自分には「できない」という気持ちが強すぎるからでしょう。
何度言っても言い足りないほどに、これは重要な問題で。
昨日紹介した加藤秀視さんの「自分を愛する技術」には「想念」の問題として書かれていますが、
根本の部分で自分には「できない」という思いがあって、できないのだから望むことをやめよう、となるわけです。
実は今行っているプログラムでもそういう悩みを抱えている子もいて、
自分には才能がなくて、できることがなくて、人よりも劣っていて、平凡で。
そういう気持ちが強くありすぎ、それが事実だと思い込んでしまっている。
「劣っている意識」×「できない意識」=憎悪、攻撃、自責、他責
という方程式が成り立ちます。
どちらか一方ならそうはならないのですが、この二つが掛け合わさることでそうなってしまう。
昔はこういう方がいると、反応してしまう自分もいたのですが、最近はあまり反応しないようになってきました。
その人の奥にある「悲しみ」が見えるからです。
プログラム生にも、そんな風に「劣っている意識」「できない意識」を抱いてしまう自分に苦しんでいる人はいます。
しかし、それらは全て「思い込み」なんです。
自分の価値と何かができるできないをリンクさせすぎていて、人と自分を比べて、何かを持っているかどうかで自分の価値を判断してしまう。
そういう「思考の癖」がある。
で、その癖は外側から与えられたもの。
子供の頃からそうだったわけではなく、
例えば受験での失敗、恋愛での失恋、比較される環境、学校社会での人間関係、親からの愛の与えられ方、などなどの影響で自分が深く傷ついてしまった。
実はその傷も思い込みであるケースがほとんどなのですが、
その自分の中にある「傷だと思っているもの」が原因で、自分にはできないと思っていたりします。
その思い込みを手放していかないと、何をどうやっても変われないという状況が生まれます。
だから、今行っているプログラムでは、一番最初に「過去と向き合う」ということを行いました。
一旦「傷だと思っているもの」を自分のアイデンティティとしてしまうと、なかなかその人は変われなくなります。
もはや、その「傷を抱えた自分」「被害者の自分」がアイデンティティになってしまっていて、
その自分を変えるということは、「自分を失う」ということになります。
だから、その傷を手放そうとか、被害者の役を演じるのをやめようとか、そういう風には思えなくなってしまう。
手放せと言われれば言われるほどに、「反発」の気持ちが強まる。
なぜなら、それがアイデンティティだから。
そこにしか自分がないからです。
傷や、エゴや、思考を自分のアイデンティティとしてしまうことで、「不幸にしがみつく」状況が生まれます。
不幸を手放すということは、自分を失うということ。
自分を失うのは、最大の恐怖です。
だから、いつまで経っても変われないのです。変わりたいと頭で思っていても、変われない。
不幸なのに、不幸にしがみつく。
それは、思考と自分を一体化して、傷と自分を一体化して、エゴと自分を一体化しているから。
いくらテクニックやマインドを変えても、その一体化が行われている限りは、これまでの自分、過去の自分を手放すことはできません。
だから、「変われない」のです。
ごめんなさい、少し難しい話も出て来てしまいました。
今、プログラムで教えている内容の触り部分、という感じです。
長年ずっと考えてきて、色々と見えて来ました。
プログラム生の変化も、かなり大きくなってきました。もちろん個人差はありますが。
人は必ず変われます。
最後に、プログラムに参加してくれている方からのメールを紹介させていただきますね。
「今日、観たかった映画観に行きました!
潤さんもご覧になった、『青天の霹靂』という映画です。
今の自分、被害者ぶっている自分に気づきをくれました。
僕も主人公に似て自分の人生がうまくいっていないのを、親や環境など周りのせいにしていました。
あんな親だから俺がこうなんだとか。
あんな親だから、俺には他の人みたいに秀でた才能がないとか。
そういう風に自分以外のせいにしないと、今の不甲斐ない人生と辻褄があわないじゃないか。
だから、周りのせいにして自分を守らなきゃ。
他人と比べて、自分が劣っていることを確認しなくちゃ。
無意識のうちにそう思っている部分がありました。
顕在意識では、変わりたい、成長したい、人生を謳歌したいと思っていますが、
一方で変わらない、情けない自分でいることで得られるものに安し、飛び出すことが出来ませんでした。
でも、この映画はないものでなく、すでにあるものに気づかせてくれました。
本当に今週の音声ともろかぶりで内心かなり驚きました。
それは、親の愛です。
生まれてくる子供や妻ために、一生懸命働いている父親。
生まれてくる子供や夫のために、一生懸命痛みや病気闘う妻。
この映画のそういう場面をみて、ああ、子供が生まれるって大変なんだ、うちの親も苦労したんだなと色々してくれてたんだなと見えないものに気づきました。
子供を生むために、子供のために必死で頑張ること。これが当たり前なんかじゃないって思いまし
た。
物語の最後に、主人公がうまくいってないことの矛先をいつも親に向けていたのが、逆にそんな状態でも親の愛があるから生きていけると告白したシーンがありました。
いつも親のせいにしてたのとは、むしろ逆に、うまくいってない状態でも生きていけるのは親のおかけだと。
自分には何もないようでも、生まれた頃から親に注がれてきた、見えない愛があるんだと。
それに今日ちよっとだけ気づけた気がしました。
今は、気分が良くても、嫌なことがあれば、すぐ被害者に戻るのかもしれません。
それでもいい。どうせ、良くなる。
そういう気持ちで今はいます。
今日みたいに、ちょっとだけ成長を感じれて良かったです^^
これもカフェセッションで話を聞いてくれた潤さんや、プログラムの人たちのおかけです。本当にありがとうございます。」
3ヶ月目から、再募集もしようかなと思っているので興味ある方は情報をチェックしておいてください。