舞台に上がるか、観客になるか | 受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

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昨日は生まれて初めて生のボクシングを後楽園ホールで観て来ました。


日本チャンピオンの防衛戦。


本気の打ち合い、やばいっす。はじめの一歩を読みたくなりました。


面白いのは、本気で打ち終わった後なのに、対戦相手に本気で感謝しているんですよね。


ある意味、敵と戦ってはいるんだけど、自分と戦っている感覚があるのかもしれませんし、お互いの苦労を知っていたりするのかもしれないし、


対戦相手がいることで自分が強くなれたり、成長の喜びを感じられたりするということを体で知っているんだろうな、と感じました。


世界一のゲーマー梅原さんも言っていますが、大事なのは自己の成長。


対戦相手はある意味、そのために存在してくれているわけで、だからこそ感謝の気持ちが生まれてくると。


ボクシングというものに自分の人生の全てを賭け、本気で取り組んでいる人たちの「生」は刺激的なものでした。


今回はボクシングでしたが、こうやって新しい体験を色々していきたいと思っています。


ただ、個人的にはやはり「自分で何かをする」のが一番刺激的かなーなんて思ったりもします。


多分会場の中で一番熱くなれたのはボクサーであって、観客ではない。


観客は結局「見ている」だけで、それを「応援」することしかできない。


もちろん、それは楽です。緊張もいらないし、ただ刺激を受けるだけで、面白くて、別に自分の人生にはその結果は「関係ない」。


ボクサーからすれば生活や人生がかかった勝負。


それを観客は見ているだけです。


楽なのは楽なのだけど、得られるものもそれだけ少ない。


一時的には盛り上がれても、その後続かないし、何となく虚しさが残ったり。


緊張したり、失敗したり、恥をかいたり、上手くいかなかったり。


ステージに立てば、舞台に立てば、色んなことがあります。


だから、多くの人は舞台に上がることをやろうとしない。


安全地帯にいたいと思う。誰からも何も言われないように、無難に生きようとしてしまう。


で、いつまでも観客席側にいることを選びます。


もちろん、そこに良い悪いがあるわけではありませんが、


舞台に上がった方が様々な「感情」を感じることができるのは確かです。


感動して涙が流れたり、やってきて良かったと思えたり、本当に求めているものが手に入ったり。


観客席側にいつまでもいたのでは、絶対に手に入らないものがあります。


観客でいる選択をするのなら、諦めないといけないものもあります。


そして、その選択をしたのは自分。


手に入れない、という選択をしたのは自分。


舞台から去り、ステージから身を引いたのは自分。


全ては、自分の選択です。


良い悪いではなく、大事なのは自分は本当はどうしたいのか。


何を求めていて、どうなりたいのか。


その自分の本音から目を逸らさず、自分と向き合い、そう在りたいと思う在り方で生きることが大事なのだと思います。