最近すごく感じることがあります。
それは、人間の喜びには色々とあるのですが、人生の方向性を大きく変えてしまう喜びがあるなということ。
どちらに比重があるかで、全然違う人生になる。
それは、「創造すること」を喜びとするのか、「安楽」を喜びとするのか、です。
もちろん、根本的にはどちらも喜びではあるのですが、どちらに比重があるのか。
世の中で結果を残す人、自己実現している人というのは「創造する人」なわけです。
もっと言えば、安楽の喜びを否定して、創造する喜びに生きる人。
誰だって安楽は喜びだったりするわけですが、そこに留まっていてはダメだと思う人。
作家、アーティスト、起業家、芸術家、ミュージシャン、映画監督…
こういった人たちは自分の力で何かを生み出し、その生み出すという行為に喜びを感じ生きています。
彼彼女らにとっては「生み出す」ことこそが「生きる」ことであって。
間違っても「眠る」ことが生きることではないわけです。笑
「○○をしないとよく眠れない。だから○○をして生きなさい」と言った賢者に対して、
「お前はアホだ」とニーチェは言いました。
この賢者は眠るために生きているからです。
それは生きることなどではないのだと。
上記の職業だけでなく、全ての人は生み出すことに喜びを感じるわけですが、それをしようとしない。
しかし、生み出すことに生き甲斐はある。
自分の人生を「創りあげる」ことに心震える喜びがある。
創りあげるっていうのは、好き勝手生きるってことです。
今は、「なぞる」だけの人が多いわけですね。用意されたものをなぞる。人の価値観をなぞる。
人と違うことはできない。したくない。
だって、安楽こそが最高価値だから。
そんなに無理してどうするの。私はよく眠りたいの。
といったような。
誰が何と言おうと、自分の人生は自分の人生なのだから、好き勝手創りあげたらいいんですよ。
そして、そこにこそ生き甲斐がある。面白いぞ、人生は。と思える。
なぞるだけ、真似するだけ。
だから、生き甲斐がないんです。自分の人生を生きている感触がないんです。
そうでしょう?
だから、何となく自信がないんです。自分を失ってしまっているから。
私自身は、それだけではないですが、作家として生きていきたいなーと思っているし、生きていくんだろうなとも思っています。
第二作の発売時期もようやく決まってきました。第二作出るので、楽しみにお待ちください。もうちょっと先ですが。
で、どんどん本を出していきたいなと思っています。それは、自分にとっての「創造」の喜びだから。
作家だけでなく、トレーナーとしての自分もいるし、受験指導する自分もいる。
一つにくくれるわけではなく、色んな顔があるわけで。
でも、結局は「池田潤」なわけで。
ホントは肩書きなんかいらなくて、私は「池田潤」として生きていきたいだけ。
どの顔だって、自分でしかないわけだから。便宜上、肩書きを用意しますが、ホントはいらないし、それだけじゃないぜと思っています。
だって、今回のセミナーなんて、受験生ほとんど来てませんからね。笑
受験生は来ないでねって言ったし。
それでも、大学生とか社会人の方がたくさん来てくれて。
ブログを見ていたら、受験のことだけ語りたいわけではないというのはビシバシ伝わっていると思います。
この間なんか、読者さんに「もっと受験について書いてください」と言われてしまいました。笑
まあ、それも私なんです。それが池田潤。
なのです。
人間、安楽にも喜びを感じるもので、それがないと疲れてバタンキューでしょう。
ただ、創造の喜びというものにもう少し目を向けていくことで、生き甲斐や充実というものを取り戻せるかもしれません。