完璧でなくて良い理由 | 受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

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よく言っていますが、私は聖人君主でもなければ完璧な人間でもありません。


できないこと、苦手なことは山のようにありますし、


頭も良くないし、背も低いし、ダメ人間な一面を持っています。


いつも、どこまでいっても自分は凡人である、ということをいつも痛感します。


昔は、そんな自分が許せなくて、必死になって頑張っていました。


自分のことを愛せず、完璧になれば愛せると思っていました。


しかし、それは全くの誤解でした。


今は、完璧であろうとは思いません。


それは向上しないということではなく、受け入れるということ。


受け入れた上で、前に進むということ。


自分が完璧でなければ、と思っているときは、人にも完璧であることを要求します。


誰かがミスをしたり過ちを犯すと、執拗に責めたくなり、非難したい衝動に駆られてしまいます。


そして、責めれば責めるほどに、自分の首を締めることになります。


なぜなら、自分にもそれを許すことができなくなるので、どんどん「完璧でなければ」と思い込むようになるからです。


自分に許していないことを、人は人に許すことはできません。


自分が不完全であることを許していない人は、人が不完全であることを許せません。


しかし、人間はどこまでいっても不完全で、どこまでいっても人間です。


誰だって、できないことがあったり苦手なことがあったり、ミスを犯したりします。


それが人間というものです。


そういう自分を認め、許すことができる人は、他人を認め許すことができます。


私たちはどうしても被害者意識を持ち、問題の所在を自分ではなく他人に置いてしまうのですが、


人を責めたくなるのは、いつも自分を責めているからです。


そして、責めているうちは自分を愛せず、人を愛することもできません。


完璧な自分しか愛せないと思い込み、その自分への接し方がそのまま他人への接し方になるからです。


自分を認め、許し、愛することは、そのまま他人を認め、許し、愛することにつながります。


いつだって私たちは被害者ではなく、自分で自分の世界を創っています。


そのことに気づいている人と、気づいていない人がいるだけ。


自分は完璧ではないと自覚し、そんな自分を認め、許し、


その上で自分がしたいことをする。楽しいと思えること、喜びを感じること。


心からそうしたいと思うことをやればいい。


完璧でなければやりたいことをしてはいけない、なんていうルールはありません。


不完全な自分を受容し、不完全な他人を受容し、生きていけばいい。


そうすれば、もっと楽に、もっと充実感を持って日々を過ごせると思います。