劣等感と競争と言い訳の親密な関係について | 受験コーチ池田潤が教える参考書学習法

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昨日の記事にかなり反響がありました。たくさんのメールもいただいています。


で、今日は少しその話と関連した話を。


「劣等感」について。


基本的に、劣等感はただの思い込みです。


主観的に「自分は欠けている」と思い込んでいるから生まれる感情。


例えば、学歴。これは、社会が勝手に決めた価値判断であって、学歴が上だったら価値がある、下だったら価値がない。


そんな勝手な価値基準を社会から与えられ、


その通りだと受容することで学歴コンプレックスなどという全く意味のないコンプレックスが生まれます。


スティーブ・ジョブスは大学中退、ビルゲイツもマーク・ザッカーバーグも中退です。


だけど、彼らは劣等感など持っていないでしょう。


もし、「事実」によって劣等感を持つかどうかが決まるなら、


学歴のない人は全員劣等感で苦しんでいるはずですが、そんなことはありません。


つまり、学歴を自分の価値と勝手に結びつけ、勝手に苦しみ、劣等感を持っている人間がいる。


それだけの話です。


その他、ありとあらゆる劣等感がそう。


収入においても、モテるかどうか、スポーツができるかどうかも。


それを「自分の価値」と結びつける。


自分以外の何かで自分の価値を計ろうとする。


比較によって自分の価値を決めようとする。


人との「比較」や「競争」に勝つこと、人よりも上に行くこと。


それが自分の価値を高めると思っている。


この「比較思考」も劣等感を強めますね。


劣等するためには比較対象が必要です。


ということは、劣等感を感じている人はいつだって他人と自分を比べているのです。


そして、そういう人は自分が上になれるものがあれば、今度は人をバカにします。


上から目線になります。


だって、そもそも「比較」して人の価値を判断するからです。


メリットのある人にはゴマをすり、「この人は自分より下だ」と判断すれば途端に冷たくなります。


大事なことは、誰かとの競争ではなく自分がどう生きるか。自分は何がしたいか、です。


他人がどうであるかは、自分の人生には関係のないことです。


比較の人生には自分がなく他人がいつもいます。


他人に勝つことが原動力になっている。


ただ、劣等感は行動につながることもあります。


「もっと上手くなりたい」「もっと成長したい」という向上心につながることもあります。


上を目指すがゆえに抱く劣等感です。


この場合、それは行動につながり、より高いレベルを目指すことにつながっていきます。


しかし、ここで二通りの人間に分かれます。


純粋に上を目指したいと行動し始める人と、


言い訳をし始める人です。


言い訳をし始める人は、「自分は○○だから…」「○○がないから」「頭が悪いから」「そういうの苦手なタイプだから」などといって、行動しません。


行動しないから現実は変わりません。


現実は変わらないけれど、劣等感はどうにかしたい。


現実を変える勇気はないし、行動を起こすパワーもないけれど、劣等感はどうにかしたい。


自分は何もしたくないけれど、劣等感はどうにかしたい。


どうすればいいんだ。


そうか、他人を貶めればいいのか。


自分が上がるのではなく、他人が下がって来たらいいんだ。


俺のところまで堕ちて来い。


そうやって始まるのが、ネット上の悪口です。


彼らは押し並べて、強い劣等感に苦しみ、その劣等感を少しでも癒すために他人を貶めようとしてしまいます。


貶める対象は別に誰でも良いのです。ただし、「人生上手くいっている人」に限定されますが。


自分自身の「上手くいっていない」という劣等感がその人によって刺激されてしまい、その劣等感を癒したいと感じる。


自分を癒すことが目的。


「貶めたい」という無差別な気持ちが先にある。


貶めるべき対象が先にあるというよりも、貶めたい、自分を癒したいという気持ちが先にある。


で、それができる「ほころび」が見えたら徹底的に叩きたくなってしまう。


そういう心理状態になっているわけですね。


そして、そういう人の言葉を鵜呑みにしてしまうほど情報リテラシーが低い人も現実に存在する、ということもまた問題です。(もちろん、彼らの意見が全て間違っているわけではありません。ただ上記のようなことを知った上で「判断する」ことは必要だ、ということです)


ただ、彼らが「悪」だというよりも、彼らはただ傷ついてるんです。


自分に価値を感じられない。自分に自信が持てない。


そんな自分を救いたい。


自分を癒したい。


その最後の手段として、他者を攻撃する、という行為に出てしまった。


私がそれを見て感じることは、彼らの悲しみです。


彼らのつらさ、悲しみがその言葉、その行為には込められています。


彼らもまた、つらい経験をし、苦しい日々を生きているのだと思います。


自分のことを認められなくて苦しんでいます。


もし、彼ら自身が自分のことを認め、自分を愛するようになればそういうことをしようとは思わなくなります。


自分の人生を生きよう、と思うようになります。


人を許し、人を愛することを学び始めます。


大事なことは自分を愛し、自分を認めることです。


それができれば、変わるから。


それができたとき、彼らもまた愛のある人に変わっていきます。


今は大事なことは何なのか、を見失っているだけです。


人はいつからでも変われるから。


話を戻して、


劣等感+言い訳は、人の人生を向上させません。


前に進みません。


進まないどころか、自分の人生に何の関係もない他人を邪魔する、という精神状態にまで発展する可能性を持っています。


大事なことは、劣等感は主観的な思い込みであるとまずは知ること。


今感じている「価値」は社会が勝手に作り上げたものであると知ること。


自分には何もなくても価値があると信じること。


自分のままで価値があると信じること。


人の価値は比較では決まらないと知ること。


自分には現実を変える力があると知ること。


人生はいつからだって良くできると知ること。


いつだって自分の現実を創り上げているのは自分であると知ること。


他人に勝つことではなく、自分が生きたい人生を生きることの方が何千倍も大事なことだと気づくこと。


こういったことを感じられるように、自分と向き合っていくこと。


です。


長くなりましたが、今回伝えたいことは以上です。


参考になれば幸いです。