私たちは自分に価値を感じられなければ感じられないほど、他人を基準にして生きるようになります。
自分で自分の価値を感じていないので、他人の評価で自分を価値付けたくなってしまうのです。
しかし、他人の評価はコントロールできません。
他人は他人の主観で人を判断するからです。
他人が自分に下した評価は、自分の評価を表しているのではなく、その人がどういう人間かを表しているにすぎません。
このあたり、詳しいことは今書いている本の中にも書いています。
で、そのことと少し関連して、プログラムに参加してくれている子がfacebookに書いてくれていた記事をシェアします。
こちら。
『ここ数日身体の調子が良くありませんでした。
よくあることです。
身体の異常に気付くまで頑張ってしまう自分がいる。
なんでやりすぎてしまうのか。
ストイックな自分が好きなだけかと思っていました。
カフェセッションで潤さんと話す中で、自分がなぜやりすぎてしまうのか?なぜ上を目指すのか?
わかってきました。
ただ怖かった。怯えていただけだった。
負けたくない。
昔の努力できなかった自分に戻りたくない。
努力しなければ目標とする人に追いつけない。
バカにされたくない。
行動の原動力は全て恐怖からでした。
そして、何よりも自分に自信がありませんでした。
表面上ではいくら自信を持とうと努力しても、心の奥底ではいつも自信がありませんでした。
そんな自分から目を逸らしていました。
潤さんとお話をする中で、自分というものがどんどん浮き彫りになって来て、丸裸になって行きました。
正直恥ずかしかったです。
でも認めると同時に、心が楽になって行きました。
怯えている自分でもいい。そう思えてきたのです。
自分の弱いところ、隠しておきたいところを認め、曝け出すことによって、
自分の心が驚くほど軽くなって行くのがわかりました。
認めれば認めるほど
自分の弱点なんてどうでも良くなる。
そんな感覚です。
本当の強さはここにあるのではないかと思っています。
自分が弱いことを知っているからこそ、何が来たって怖くない。
怖いけど怖くないんです。
よくわかりませんねww
でも、僕にとっては大切な感覚です。
今日はここまで!バイトで疲れたので寝ます。』
なぜ、恐怖からの行動になるか。
一つには、他人の評価を基準に生きようとするからです。
評価を得られるかどうかが気になるからです。
人と話すときにオドオドしてしまったり、必要以上にかしこまってしまう、なぜか恐怖を感じるのも同じです。
相手の評価を「必要としている」から、怖いのです。
私が今のプログラムで目指しているのは、本当の意味での自信や自己愛を手に入れ、自分を生きること。
そして、自分の本当の夢や目標、やりたい、こうしたいを見つけ、その夢や目標もどんどん叶っていく。
そんな生き方ができるようになることです。
怖れもなく、自分を隠すでもなく、人とのつながりを断つのでもなく。
自分を受け入れ、人を受け入れ、本当の意味で満たされることの意味を見出して、生きていくこと。
記事を書いてくれた子は、オフ会、カフェセッションと参加してくれた子でした。
プログラムに参加してくれた子が自分に気づいていってくれるのは嬉しいことです。
それでは、今日はこのへんで。
本の執筆に戻ります。