花火の日のイヤな想い出
負の感情が次から次へと湧いてくる。
何か、西洋占星術とかで、
そういう時期なのだろうか??
まぁ、いい。
こうした感情を放置しないと決めたから。
私は、わりと常に無価値感、つまり、
自分なんてどうせ
何やったってダメ
誰からも好かれない
という気持ちに苛まれてきた。
常に、ではなく
わりと常に、と言ったのは
そうした感情を感じたくなくて
色々試みてきて
一時的には成功したかのように
思えたこともあったから。
心の襞の間に溜まって
取れない汚れのようにこびりついて
私が幸せになるジャマをする。
今回の人生ではもう無理かもなと半ば
諦めの気持ちもあるのだが。
父親に愛されている女の子をみると
羨ましいと感じる。
同世代の人間なら嫉妬心もわく。
両親に、特に父親に溺愛されてきた女性
みると、ケッて思う。
小さい女の子なら、ケッとは思わないけど
私には頑張っても手に入らなかったものを見せつけられているようで、いいなぁと眩しくみえて、苦しくなる。
だから、うちには女の子が生まれてこなかったのかもしれないなー。
小学校の低学年の頃だったかな。
公園で近所の男の子数人と気が合って
花火したいね、という話になった。
火をつかうから、大人の助けがいるね。
私、お父さんかお母さんに頼んでみる。
と、はりきって家に帰ってお願いしてみた。
父の返事
はぁ?
なんでオレがガキたちの
花火の相手をしにゃならんのだ。
隣りにいた母の反応は
ほんとそうだよ。
アンタは余計なことを引き受けてきて。
お父さん、行くことないよ。
みたいなことを言って父の肩を持った。
普段夫婦喧嘩ばかりしてるくせにさ。
このとき、自分の心がひゅうっと冷たく
なったよね。
あ、この人たちに、こういうこと
お願いしちゃいけないんだ。
もう絶対に頼まない。
約束しちゃったから、結果的に
父は来てはくれたんだけど。
父は終始仏頂面だったな。
よそのお父さんが、バケツに並々と水を入れて、使用済みの花火を入れてるのをみて、
父的には水は最低限入れればいいと思ったらしい
ったく誰だよこんなふうにしたのは。。
みたいに、ブツクサいってるのを
ご本人がきいてて
申し訳なさそうにしている様子をみて
イヤだなぁ、感じ悪いなぁ
もう絶対にこの人には頼まない
と再度心に誓ったものだ。
忙しい親に自分の遊びに付き合わせてしまったことへの罪悪感
みんなで楽しみたいという気持ち
みんなのために自分の親を連れていくんだという使命感
を、尊重してくれなかったことに対する失望感
私が何か思い立ったって
何かしようって意気込んだって
どうせいいことにならないんだ
どうせ誰も喜んで手を貸してはくれず
迷惑をかけるんだ
そんな思い込みを潜在意識に植え付けるには
十分過ぎる出来事ではなかろうか。
今、大人目線で考えれば
父の気持ちも分かる。
勝手に引き受けてくんなよって
私も思うだろうから。
私も同じように息子に接したことが
あると思うしね。
息子のこと、傷つけちゃったん
だろうなぁ。。
でも、夫なら同じことがあっても
息子たちに対して絶対にそんな反応しないので
母にまで味方してもらえなかった私よりは
救いがあったはず。
人には頼っちゃいけない。
人は冷たい。人は厳しい。
私が人に頼るなんて迷惑でしかない。
私なんかが何かやろうとしても
いいことになんかならない。
そんな感情が芽生えるキッカケの出来事
でした。
また内観してみる
私は損害保険の営業をしている。
ある日、損害課との値段交渉で
思い通りにいかなくて
イライラしている保険代理店の社長から
電話がかかってきた。
こういうとき、私はとっさに
解決してあげなくちゃいけない
私に責任がある
と思って身構えてしまう。
そしたら、その社長
私のビビッた気配を電話越しに
感じたのか
いいんだよ
聴いてほしいだけなんだから
って言ってくれて、ふと力が緩んだ。
そう。そうなんだよ。
こういうときほとんどの人は
私に解決を求めているわけじゃない。
恐らく損害課で事務的な
あちらも仕事だから仕方ないけど
冷たい対応をされて傷ついてる。
そんな気持ちを受け止めてほしい。
寄り添って欲しいだけなのだ。
なのに、私はなぜ
私に責任をなすりつけられる!
とばかりに、危険を感じ
身構えてしまうのだろう??
と内観してみる。
悲しんでいる、困っている
お母さんのことを
本気でなんとかしてあげたくって
胸を痛めている小さな私がいた。
母は依存的な上に
他責思考をする人だった。
まだこどもだけど
長女でしっかりしていた私に
全力で頼ってきた。
まだこどもの私が一生懸命考えて
提案したことがうまくいかないと
アンタがそう言ったからこうしたのに
うまく行かなかったじゃない
というような人だった。
いやいや。
年端もいかないこどもに本気で意見を求めるのが
間違ってるだろ。
今なら突っ込みどころ満載だと思うのですが、当時の私は自分を責めた。
お母さんの感情の責任が自分にあると
刷り込まれたんだろうな。
心理学用語でいうと
課題の分離
とか言うのだろうか??
お母さんの感情はお母さんの問題
なんだけれども
そんなこと、こどもの私に
わかるわけない。
母の感情の責任を取るという
無理ゲーを押し付けられて
母の気まぐれで感謝されることも
あるけど、うまく行かなけへば
罵倒され、人格否定される。
私がそんな扱いを受けるなか
妹はただただ可愛がられる愛玩児♪
ズルいよ。
思い出して
胸がきゅっと締め付けられる。
小さい頃私ってほんとに健気だったと思う。
今回は
わーって言われたけど
相手がいい人だったし
また、隠れていた自分の感情に
気づくことができてよかった。
で、自分はどうしたい?
負の感情と向き合って、感じて
解放していくことは必要だけど
たぶんそれは、一生続いていくことで
そればっかしている訳にもいかない。
肝心なのは
で、自分はどうしたいの?
ってところ。
健康に留意して仕事を続ける。
少なくとも、こどもたちが
大学を卒業するまでは。
仕事においては良好な人間関係を築く。
好かれなくていいけど嫌われない。
仕事は正規雇用ではないけど
小さくても志を持つ。
あの人頑張ってるよね
成長したよね
あの人のお陰で助かった
くらいには思われたい。
逆に言えば
使えない、気が利かない
やる気あんのか
信用できない
アテにならない
などとは思われたくないなー。
要するに信頼されたい。
仕事だけじゃない。
家族も友人も。
好きとか嫌いという問題じゃなく
信頼があればいいじゃないか。
で、お金。
私はやっぱり、健康と人間関係の次に
お金がくるんだな。
仕事を一番に書いたのは
お金が必要だからではありますが
我が家は長男が県外私立理系という
いちばんお金かかるコースに進んだので
なにがなんでも卒業させるという
ミッションがあるからね。
やっぱ書くという行為は
思考がクリアになるね!
精神的、肉体的に
健康を害すほどの負荷がなく
人間関係良好=信頼関係があるなかで
仕事がしたい。
