Junkoの心日記 -10ページ目

Junkoの心日記

思ったことや感じたことを、綴っていきます。

何かを、感じていただけたら、嬉しいです


さらに3日後、やっくんと、また会うことができました。


場所は、山口県長門市仙崎で、金子みすずさんの故郷でもあり、

先日、追悼ドライブで行った場所でもあります。


過去の記事を読んでくださった方もいるので詳しく書きませんが、
この日のやっくんは、握手会で話しかけてくれた瞬間に分かったほど

可哀想なぐらい声がガラガラで、肉体的にも精神的にも辛そうでした。


2回目は照れ隠しに、「またきちゃいました」と言ったのですが

1回だけだったら、また、やっくんの事を誤解しそうだったので、

散々悩みましたが、2回目も参加して正解でした。


ブログは、「時間がある時にでもよかったら来てね」と書きましたが、
その日に限って名前の欄がアメーバーのIDになってしまい、


誰だか分からないだろうし、忙しくて読みに来る暇もないだろうと思い、

やっくんが「ブログありがとね。」と言ってくれた時は

完全にコメントのことだと思っていました。


延岡の時も、今回も、タッチ会をしていたのは、

やっくんだけだったんです。


歌のライブが福岡で開催されなかったから、延岡で会えて

さらにまたすぐに、長門で会えて、覚えていてもらえたのですが、


今思えば、ほとんど会いに行ってなかったので、

やっくんに関して私は、とてもラッキーだったと思います。


そして、ライブ終了後のタイトルは、「山口県にきちゃいました」  

初めて読んだ時は、お返事だと気づかなかったです。


実はこの時やっくんは、リアルタイムで更新していなくて、「つづく」と

書いてあるのですが、両方ともライブ終了後の更新でした。


この頃、やっくんが女装をやめることが本格的になってきていて、

ファンの間では、女装をやめても応援できるか話題になっていました。


例の騒動がきっかけとなり、さらに女装の件も加わって、

コメント数が3分の1に減っていた上に、ポリープの問題もあり、

この後、やっくんの気持ちが揺れることが多くなっていきました。






ダイエットのお返事から一週間後、「忘れてた」で、


「さぁて、今日はエンタ。ネタおろしが史上最悪の出来だったので、

今日は気合をいれないと!がんばらなくちゃ!!.」と書いてあったので、


エンタに関しては5ヶ月ぶりにコメントをしました。

「今日のエンタが、やっくんの納得のいく出来に仕上がりますように!」


収録直前の更新だったので、読んでいないと思いますが、


「五味さん」で、今日の収録は最近では珍しくスムーズに進みました。

いやぁ、収録がうまくいくと嬉しいなぁ~。エンタの収録はいつも真剣勝負

なので、今日はいい試合が出来ました!」と報告してくれました。


やっくんが熱を出した頃や、この頃、私はよく祈っていました。




さらに5日後、「千葉へ」から「いい旅夢気分」まで、以前リクエストしていた、

美川さんとの旅番組の第2弾の様子を報告してくれました。


やっくんは、美川さんとの旅番組という書き方をしていたのですが、

この番組の題名には、妖怪という言葉が使われていて、

やっくんを長く見れることは嬉しかったのですが、微妙な気分でした。




やっくんと再会してから、今、自分に何が出来るのかを

真剣に考えていて、肝心のコメントはおろそかになっていました。


そして、ついにブログを始めるのですが、

その途中で尿管結石になり、石は小さかったものの

症状がひどかったため、救急車で運ばれました。


薬を処方されて、2リットルの水を飲むように言われたのですが、

なかなか実行できなかった時に、やっくんが再びダイエットを始めて、


「一緒に参加する人も大歓迎!」、と呼びかけていたので、

私も悩んだ末、途中から、便乗させていただくことにしました。


今回のダイエットは、前回、私が反対したことを踏まえていたのか、

「とりあえずー3キロから始める」と自分から書いていたので、


次の更新の時に、前回のダイエットの経緯や理由など、

後から私が分かった事と、今回は応援することを書きました。


翌日の更新で、「またご飯抜きのダイエットをしているの?

もう3回目だから大丈夫だよね。」と書いたら、

「罰として今日は炭水化物抜き!」というお返事。


さらに、他の方から言われたのか、翌日は自分から、

「今日もバランスを考えて食事だぁ」と書いていたので、


「今回は、すごい成長ぶりだね。」って褒めたのですが、

参加し始めて数回で病気が治り、コメントをやめたら


いつの間にか更新されなくなり、結局、今回は、

何のためのダイエットだったのか、よく分かりませんでした。



救急車で運ばれた日、主人が帰って来るまで、

母が付き添ってくれたのですが、


その間に、妊娠うんぬんの話になり、「違うと思う。」と否定され、

「私は、高度治療は反対。」と母の方から切り出してきました。


その時、私は40歳目前。母の時代の常識からすれば、

娘を思って反対するのは当たり前なのですが、


今思えば、私にとっては、ぎりぎりのラインでした。

「それでも、お願い!やらせて。」と言えず、

かと言って、なけなしの貯金をはたく気にもなれず、

体外受精への道が、完全に閉ざされた事を実感しました。


そして再び、やっくんの応援に、熱が入り始めました。