私の娘、紅梨(クリ)は脊髄小脳変性症の

DRPLA(歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症)

という病気を患っています。

 

脳が萎縮していく病気で、遺伝性・進行性・治療法はありません。

現在は寝たきりの状態です。

 

夫、千秋さんは6年前に、クリに薬が間に合う事だけを祈りながら亡くなりました。

 

現在はキュアDRPLAという団体で

治療法開発活動をしています。

またFacebook内で

患者家族会を立ち上げました。

 

どうか、DRPLAの治療法が

見つかりますように

自己紹介の最初からはこちら

 

今日のブログは

曖昧な内容なのですが

 

私にとって

とても大事な事なので

シェアさせてください。

 

 

 

私はCureDRPLAという

団体のメンバーで

治療法開発の活動をしています。

 

具体的な内容は

まだ非公開なので

書けませんが

 

活動は確実に進んでいます。

 

 

ただね。

未知なる薬を創るという

内容を知れば知る程

 

それが大変な事だと

分かってきます。

 

 

 

病気が分かった15年前は

ただただ薬が見つかって欲しくって

 

ある日

『DRPLAの治療薬が出来ました』

というニュースを見て

『わ〜!!』

と喜ぶイメージでした。

 

でも今は

そこにどんな工程が

あるのかが分かるので

 

15年前より

薬が遠のいた様にすら

感じる時があります。

 

 

別の例でたとえると

『お店を持ちたいという夢』

があって

 

最初は

『こんなお店がいいな』とだけ

思っていたけれど

 

実際には、、

場所を探して

内装はどうするか

様々な契約があり

お金を工面するには、、など

 

分かり出すと

頭が痛い事が

たくさん出てきますよね。

 

今の私の状態が

それです。

 

 

 

 

今日は神経科のDr.Bに

ある相談をしに行きました。

 

それはクリにとっても

DRPLAの患者さん達にとっても

とても大切な事なのですが

 

 

物事を前に進めるには

 

Dr.Bだけの協力では済まず

病院全体の話だったり

いくつもの超えなければならない

障害がある事がわかりました。

 

 

分かっているつもりでしたが

帰りの道のりで

心身ともに疲れ切って

 

家に帰ったら

物凄い腹痛に襲われました。

顔色も悪かったと思います。

 

治療法に近づいたからこそ

落ち込んでしまいました。

 

 

だけどね。

 

ナースのシェラが

「少し休んだら」

と言ってくれたので

 

クリをシェラに預けて

ソファーで30分ほど寝たら

 

『簡単にいかない事なんか

想定内じゃない。

今までだって

そういう道を

乗り越えてきたんじゃない』

と思えたんですよね。


 

で、

シェラが帰るまでに

まだ15分あったので

 

近くにあるミツワで

缶ビールを買ってきて

 

今ビールを飲みながら

このブログを書いています。

 

障壁ができたって

障壁を乗り越えればいい。

道は残っている。

 

この15年で

私はそう学びました。

 

 

あれ

ビールで気が大きくなっているかな?

 

わかりませんが

頑張りますね。

 

詳しい事が

公表できる様になったら

すぐにブログでお伝えします。

 

応援していてください。

 

明日もいい日になります様に。

 

 

『難病を紹介するクリチャンネルとは』

私は治療法を見つける為に

このチャンネルを作りました。

 

負けるもんか!

見てない人

絶対に見てください!

 

 

 

今日のハワイウェブTV。

 

『ディーン&デルーカハワイ』

ハワイらしいお土産が

いっぱいです、