私の娘、紅梨(クリ)は脊髄小脳変性症の

DRPLAという病気を患っています。

 

脳が萎縮していく病気で、遺伝性・進行性・治療法はありません。

現在は寝たきりの状態です。

 

夫、千秋さんは4年前に、クリに薬が間に合う事だけを祈りながら亡くなりました。

 

どうか、DRPLAの治療法が見つかりますように。

 

 

初めまして。

皆さんは脊髄小脳変性症という病気をご存知ですか?

 

私の娘、紅梨(クリ)はこの病気を患っています。

クリは26歳。寝たきりの状態で、食べる事も話をする事も、自分の身体を思い通りに動かす事もできません。

でも小さい頃は、ダンスが大好きで、活発な女の子でした。

夫・千秋さんはこの病気で、4年前に亡くなりました。

 

 

クリと私は、ハワイに住んでします。

私たち家族は、クリが6歳の時にハワイに移住して来ました。

 

 

これから何回かに分けて、私たち家族がたどって来た道を綴りたいと思います。

お付き合いしてもらえると幸いです。

 

 

 

 

最初に脊髄小脳変性症について、説明させてください。

「1リットルの涙」という本やドラマで、この病気を知っている人もいるかもしれません。

 

またこの病気には、いくつものタイプがあり、クリはDRPLA(歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症)というタイプです。

 

他のタイプの脊髄小脳変性症が、運動失調の問題が生じるのに対し、DRPLAはミオクローヌス発作、痴呆、協調運動の障害、不随意運動などが出てきます。

 

つまり、他の脊髄小脳変性症には出ない人格変化や知能の低下も現れます。

そして遺伝性です。

 

 

 

 

我が家の場合は、クリが13歳の時に、DRPLAと診断されました。

当時は大人になるまで、生きられないだろうと言われました。

その時に、千秋さんから遺伝した事もわかりました。

 

 

千秋さんは、日本在住時テレビディレクターをしていて、とても優しい人でした。

でも病気がわかった頃の彼は、被害妄想が酷く、何にでも怒鳴り、怒り、暴力もありました。

 

その性格変化も、DRPLAから来ている事を、この時知りました。

 

私はその時、自分の人生がポキンと折れる音を聞きました。

 

 

想像してみてください。

あなたの大切な家族が、少しずつ弱っていき、苦しんで、苦しんで、その苦しむ姿を見続けなければならない事を。

仲の良かった家族が、病気の為に崩壊してしまう事を。

最後は誰もいなくなってしまう事を。

 

私はあの日からずっと泣き続けています。

 

 

 

でも、病気がわかった日に千秋さんと決めた事があります。

それは

『クリを絶対に守ること!DRPLAの薬ができる日まで、クリを守り抜くこと』

 

当時の千秋さんは、怒りやすくなっていましたが、本来はとても愛情深い人なのです。

 

最後まで、クリと私を思い、

「クリに俺の命をやる」という信念を果たして亡くなりました。

 

 

 

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千秋さんの驚くべき人生はこちら

 

私たち家族のことを書いた著書「OHANA : 家族」の読み聞かせはこちら

 

 

 

明日がいい日になります様に。