私の娘、クリは

DRPLAという

病気を患っています。

 

脳が萎縮していく病気で、

遺伝性・進行性・治療法はありません。

現在は寝たきりの状態です。

 

夫、千秋さんは5年前に、クリに薬が間に合う事だけを祈りながら亡くなりました。

 

現在はキュアDRPLAという団体で

治療法開発活動をしています。

またFacebook内で

患者家族会を立ち上げました。

 

どうか、DRPLAの治療法が

見つかりますように

自己紹介の最初からはこちら

 

もうすぐ

病気が発覚した日(9月15日)がきます。

 

この日が近づくと

私は滝の水に打たれている様な

感覚になります。

 

そして

また新しい年度が始まります。

 

 

これから書く事

心のどこかで

「自分の中で

留めておけばいいんじゃない?

壮大過ぎて

恥ずかしいよ」

という気持ちがあります。

 

でも

行動しなければ

口に出さなければ

後で後悔すると思うから

書いていきます。

 

 

 

毎日

平均15000人の方が

訪れてくれるこのブログ。

 

きっと

何人かの方は

賛同してくれると

祈っています。

 

可笑しかったら

笑ってくださいね。

 

私のしたい事は

『クリの病気DRPLAの

治療法を見つける事。

 

だけど

それだけじゃなくって

他の難病の薬も

DRPLAの治療法開発を参考にして

少しでも早く

目的を達成してもらいたい。

 

できるだけ

多くの病気の薬が

見つかってほしい』

です。

 

だって

このブログを通して

他の病気の人達とも

沢山繋がったから。

 

 

具体的に何をしたいの?

計画は?

 

こう思う様になった経過や

計画を書くのは

あまりにも

長くなるので

何回かに分けて書きます。

 

すごく重い内容です。

すみません。

 

 

賛同してくださる方

是非協力してください。

 

まずはこのブログのシリーズを

拡散していただけると

ありがたいです。

 

 

 

あの日。

病気が発覚した日。

 

当時

千秋さんはいつも鬼の様な

形相をしていましたし

 

クリを見ていても

「この子はもしかして

長く生きられないんじゃないか」

という不安はあったけれど、、

 

実際に病気がわかった時は

本当に

本当に

人生が折れる音を聞きました。

(OHANAで

詳しく書いています)

 

 

そして

どう捉えようとしてみても

どうしても

ダメなんです。

 

大切な二人が

毎日病気に苦しみながら

最後はいなくなってしまうという事が

 

現実だと言われても

受け入れられないんです。

 

家族がいなくなる事を

心が拒絶しているんです。

 

 

 

私は自分に聞きました。

「手がなくなってもいい?

足がなくなってもいい?

目が見えなくなって

ずっと寝たきりになっても

それより

クリを救いたいの?

二人に生きていてもらいたいの?」

 

私の答えは

「はい」でした。

 

そして神様に

「私の身体と

クリの身体を交換する事が

できないなら

これからの人生を

全部自分に使わなくていいから

この子を救ってください」

と祈りました。

 

当時

千秋さんは千秋さんで

「俺の命を

クリにやってください」

と祈っていました。

似たもの夫婦ですね。

 

でも

どんなに祈っても

現実は二人とも

確実に弱っていきました。

 

私はあまりにも辛くて

「私はこの世に

存在していない。

もう悲しむ心もないよ。

二人が安心して旅立つ日まで

二人を支えることだけ考えよう。

私はもう

いないんだよ」

と思い続けながら

一日一日を

過ごしていました。

 

 

 

どうやって

あの頃を過ごす事ができたのか

自分でもわかりません。

 

続く。。。。

 

 

 

明日もいい日になります様に。

 

 

『彼の信じられない最後』

千秋さんも

同じ事思っていました。