私の娘、紅梨(クリ)は脊髄小脳変性症の

DRPLA(歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症)

という病気を患っています。

 

脳が萎縮していく病気で、遺伝性・進行性・治療法はありません。

現在は寝たきりの状態です。

 

夫、千秋さんは5年前に、クリに薬が間に合う事だけを祈りながら亡くなりました。

 

現在はキュアDRPLAという団体で

治療法開発活動をしています。

またFacebook内で

患者家族会を立ち上げました。

 

どうか、DRPLAの治療法が

見つかりますように

自己紹介の最初からはこちら

 

 

今日はクリをウーン(傷)ドクターに

連れていき

発疹を見てもらいました。

 

 

手の発疹は広がっていますが

頭皮の傷は治ってきているので

専用のシャンプーを処方され

手もそれで洗う事になりました。

 

心配してくださった方々

ありがとうございました。

 

これで良くなって欲しいです。

 

 

バーブの文章を書く前に。。

少し私のことも書きたいと思います。

 

 

病院の帰り道

ホームナースのシェラが

「バーブは本当にキュートで

インデペンデントだったよね」

と言いました。

 

 

シェラは

バーブの最後の日も

来てくれていました。

 

「インデペンデント(主体的・自立している)?

バーブが?」

 

「だってそうじゃない。

00も

00も。

すごいなと

思っていたんだ」

 

(00の部分は

後で書きますね)

 

 

シェラとバーブの思い出話を

泣き笑いしながら

話していました。

 

この

『インデペンデント』

 

私には

宝物の様に聞こえました。

 

 

 

実は私

小さい頃から

『自立心が強い子』

と言われ続けてきました。

 

自分でも

それは認めます。

 

私は何でも自分で決めて

自分で行動する子でした。

 

性格というか

仕事も

結婚も

世界旅行に出る時も

全て報告でした。

 

私が結婚する時

バーブは

千秋さんのお父さんやお母さんに

 

「あの子は一人娘なのに

小さい頃から

独立心が強くて

親としては寂しいくらいです」

と言っていたそうです。

 

本当にそうなんです。

 

大切な事は

自分一人で決めて

自分一人で納得して

行動しないと

嫌なんです。

 

 

千秋さんが亡くなった時も

私は一人で葬儀場へ行って

火葬まで一人で決めてきました。

 

ハワイでは残ったファミリーで

葬儀の内容を決めるのが一般的だそうで

 

葬儀場のスタッフが

私一人で現れたので

大層驚いて

心配してくれました。

 

 

何でもかんでも

一人で落とし前をつける私。

 

バーブをハワイに引き取ると

決めた時も

沢山の方に支えられて

見送ることが出来ましたが

 

一方で

「バーブの最後は

私が一人でしっかり見送ろう」

と心に決めていました。

 

 

長い間

『インデペンデント

(自立心が強い)は

私の性格』

と思い続けてきたので

 

ナースのシェラから

バーブがそうだと聞いた時には

目から鱗というか

 

「私はバーブに

似たということか」

と驚きました。

 

 

そうなんです。

 

私が『一人でバーブを見送る』と

決めていた様に

 

バーブも

『自分の旅立ち方』を

決めていた様でした。

 

続く

 

バーブの信じられない最後①はこちら

 

 

 

『彼の信じられない最後』

 

そういえば

千秋さんも

自分で旅立ち方を決めて

その通りに

逝ってしまいました。

不思議な家族です。