私の娘、紅梨(クリ)は脊髄小脳変性症の

DRPLA(歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症)

という病気を患っています。

 

脳が萎縮していく病気で、遺伝性・進行性・治療法はありません。

現在は寝たきりの状態です。

 

夫、千秋さんは4年前に、クリに薬が間に合う事だけを祈りながら亡くなりました。

 

現在はCureDRPLAという団体で

治療法開発活動をしています。

 

どうか、DRPLAの治療法が

見つかりますように。

自己紹介の最初からはこちら

 

今日はコメントを頂いた方の返答から

させてもらいますね。

 

書こうかどうか悩んだのですが

コメント主さんの娘さんが

医学部に通っているとあったので

患者家族の気持ちを

伝えられればと思いました。

 

『この病気って認知機能は落ちないと聞きました。

医学部に通う娘がこのブログを拝見し、

晴々しい姿ならまだしも、

そうではない姿を勝手に載せられるのはたまらなく嫌だ、

と言っています。
乳幼児ではなく、

手段は少なくても

しっかりとした意思ある成人した1人の女性として

対応されてるようには正直感じません。

ダイパーのことなんて誰も書かれたくないですからね。
だから目をつぶるのでは。』

 

 

DRPLAの症状の一つに

認知機能の低下はあります。

脊髄小脳変性症にはいくつものタイプがあり

クリのDRPLAは残念ですが

認知の低下だけでなく

人格変化も起こる場合があります。

 

きっと娘さんは、正義感の強い優しい方なのですね。

クリのことを真剣に考えてくれて

ありがとうございます。

 

 

 

私は最近

学会や医療系学校で話をする機会が増えました。

そこでお話しするのは

あるナースからかけて貰った言葉です。

 

病気がわかった当初

私たちはクリの体調を考え

ハワイに残ることを決めました。

その時余命は宣告されましたが

喘息もあるクリの命を1日でも存えるには

ハワイの気候が大切だと思いました。

 

 

でも

「何故日本に帰らないのか」

「暴力を振るう夫とどうして一緒にいるのか」

とブログは炎上しました。

 

その時、一人のナースから

「我が子が余命を宣告された親は、

周りの人には理解できない行動をとる。

でも親とはそういうものなんです。

我が子を亡くすということはそれ程辛い事なのです。

周りに理解されなくても、

我が子に一番いいと思う事を

とことんしてあげてください」

と言われました。

その言葉に、救われました。

 

あの言葉がなかったら

私自身が二人より先に

潰れていたかもしれません。

 

 

 

クリは病気が進行した時

「病気を治したい」

とずっと言っていました。

近くでその様子を見ているのは

本当に辛かったです。

 

 

 

今でも病気を治したいと思っているでしょう。

 

この病気は患者数が少なく

知られていません。

 

私は絶対に

この病気を多くの人に知ってもらい

研究者を増やし、

病気を治してやりたいです。

 

クリだけでなく

東京にも、北海道にも、大阪にも、

ニューヨークにも、ロンドンにも、

そのほかの土地にも、

この病気と闘っている人たちがいます。

 

病気と闘っている人、

全員に治療法が間に合ってほしいです。

 

その為に

私は塩沢家の生活を

大変さもありがたい事も

みんな伝えていきます。

いい部分だけでなく

病気の大変さ、辛さを伝える事が

クリを救う道に繋がると信じています。

 

いつか薬ができたら

その時に「色々書いちゃってごめんね」

と謝ります。

きっとクリは

笑って許してくれると思います。

 

 

クリの事を気遣ってくれた娘さんへ。

もし上から目線に感じられたら

私の文章力のなさです。

すみません。

 

いつか医療の仕事について

目の前の患者さんや家族が

理解に苦しむ行動をした時

「何故この人はこういう行動を取るのだろう」と

患者家族に寄り添う方になって貰えたら

嬉しいです。

 

 

今日は動画をあげる日です。

先日クリと見たパレード。

きっとクリは感じてくれていると思います。

 

 

見てください。

 

明日もいい日になります様に。