私の娘、紅梨(クリ)は脊髄小脳変性症の

DRPLA(歯状核赤核淡蒼球ルイ体萎縮症)

という病気を患っています。

 

脳が萎縮していく病気で、遺伝性・進行性・治療法はありません。

現在は寝たきりの状態です。

 

夫、千秋さんは4年前に、クリに薬が間に合う事だけを祈りながら亡くなりました。

 

現在はCureDRPLAという団体で

治療法開発活動をしています。

 

どうか、DRPLAの治療法が

見つかりますように。

自己紹介の最初からはこちら

 

私たちの闘病記を語る時

避けて通れないのが

睡眠障害です。

 

このブログで何度も書いていますが

本当に

本当に

ひどいものでした。

 

クリは朝まで一睡もできず

足をバタンバタンとベッドに打ち続ける日が

延々続きました。

 

私は壁につけた時計の針を

「ああ 15秒過ぎた」

「30秒過ぎた」と

クリの身体をさすりながら見続けました。

 

眠れた日は365日の内の

10日もなく

それが10年近く続きました。

 

様々なテストをして

 

ハワイだけでなく

日本やメインランドの病院でも検査し

 

薬を与え

 

最終的に

「これ以上は麻酔の領域。

暴れるのを止める為には拘束するしかない」

と医師から言われ

 

私は眠る事を

諦めました。

 

 

州からのサービスで

夜クリを見てくれるエイドが入ったり

友人達も泊まりに来てくれましたが、

 

お金を払って来てくれているエイドが、

「ごめん、少し交代して」と

言うくらい

 

一晩中苦しむ声を上げ続けるクリと

同じ部屋にいる事は

拷問でした。

 

 

こんな風に

足をばたつかせていました。

 

足のバタつかせは

毎晩数千回。

 

あまりにも苦しそうで

クリの周りだけ

世界が違うのです。

 

夜になるとホラー映画の中に

入ってしまう感覚でした。

 

 

でもね

「クリも私もよく生きのびた」

と思うような体験なのですが

 

今となってみると

あの体験以降

何が来ても

 

「あの体験に比べたら、大した事ない」

と思えるんですよね。

 

二度と体験したくないけど

あの体験が

クリや私を強くした気がします。

 

逆説的な考え方ですが

DRPLAという病気が

千秋さんと私とクリの

絆を深めたんじゃないかとも思います。

 

変かな。

でもそう思えるんです。。。

 

千秋さんに会いたいです。

 

 

 

次回に続きます

 

  私たち家族のことを書いた著書「OHANA : 家族」の

        オーディオブックはこちら

 

 

        明日もいい日になります様に。